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Amazon.co.jp ・本 (248ページ) / ISBN・EAN: 9784047034945
作品紹介・あらすじ
「のろのろ」「おろおろ」。動作の擬音ではなく、振舞いの抽象としての表現が、なぜぴたりとその様態を伝えるのか。ドイツ語で「音の絵」ともいうオノマトペを現象学的に分析。現代人の存在感覚を解き明かす。
〈目次〉
言葉の感覚 序にかえて
1 声のふるまい オノマトペのさまざまな顔
ぎりぎり
ぐずぐず
ちぐはぐ
ゆらゆら
ふわふわ
ほっこり
ぼろぼろ
なよなよ
にやにや
ねちゃねちゃ
2 音の絵 オノマトペの構造
1 音の絵
感覚による抽象
批評と否定
2 言葉の内臓感覚
音の軌み
内圧の高まり
言葉の原体
3 律動と情調
初発のリズム
いのちの息遣い
4 感覚の越境
声のテクスチユア
音色──肌理の表現
干渉しあう感覚
5 意味の内と外
アナーキーな言葉の輝き
意味と音調
意味と無意味
オノマトペの造語機能
6 魂の言葉 結びにかえて
あとがき
感想・レビュー・書評
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ことば
哲学 -
オノマトペについて、さほどの興味がない者にとっては、只々退屈な本である。
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オノマトペについての考察。
ひじょうに興味深く読んだ。 -
面白い。学問ていうのは こんなことまで考えるのか。
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オノマトペは、擬音語と擬態語の総称であるが、ここでは擬態語をめぐって、多くの文献の記述も参照しつつ、多面的な洞察を行っている。
擬態語には、単なる「自己感覚による抽象化」を越えて、自分自身を突き放してみる「自己疎隔化」という意味での<批評>と「けなし」というかたちでの<否定>とが、結びついているという。本書の表題となっている「ぐずぐず」はその典型と言える。さらに、声によるふるまいを通して、他者への様々なはたらきかけ(促し、叱責、命令、諭し、訴え、懇願、誘惑、排斥、争い、慰藉、からかい、囃し立て、呆れ、突き放しなど)を含むというのも、「ふむふむ」とうなづける指摘である。
著者が飼っていた九官鳥を籠に戻そうとした時の九官鳥の反応が面白い。その手から逃れようとして、九官鳥は覚えていた3つの単語のうちの一つ「おはよう」と叫んだという。ここから、著者は「わたしたちもまた九官鳥のように、地声をすでになくしている。どんな衝撃的な体験をしても、激痛に襲われた瞬間をのぞけば、もう地声で唸り、訴えることはできなくなっている。すべての体験や反応は、一定の言語体系に従って表出される。発生のシステムがそっくり入れ替わった」ということを発見する。「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」と謳った田村隆一の詩『帰途』の一節も思い出される。プロ野球の長嶋茂雄が、プレイの指導をしたり、インタビューの受け答えの際にオノマトペを多用して話題になっていたことも思い出される。長嶋茂雄は、オノマトペを多用することで動物的な感性を保ち続けていたのかもしれない。
日本語では多くのオノマトペが用いられることについて、漢字・漢語の表意性に対する反動として、ひらがなの音を用いたオノマトペを多用するのではないかという仮説も面白い。 -
擬態語オノマトペを体系的に詳細に分析し論じた書。内容を理解するのはむずかしいが、感覚はよくわかる。
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私は大好きです。このように、色んな日本語にああだこうだ、書いてくださる著者は日本の宝だと思います。心から尊敬いたします。
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内藤やす子の「思い出ぼろぼろ」、YOUTUBEで確認し、ぽろぽろとぼろぼろでここまで違うか、というオノマトペの威力を思い知りました。
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割と読みやすかった。なるほど、と思うところがたくさんあった。読み終えた後、いろんなオノマトペを使いたくて、わくわく、した。
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言葉が伝える「世界の感触」に深く共感する。「腑に落ちる」というのがよくわかる。
話の内容よりも「話し振り」に強烈な魅力を感じさせる人が確かにいるし、逆もある。ということを連想した。 -
よみながら、どきどきした。
わくわく、した。
はらはら、した。 -
「ぎりぎり」「ぐずぐず」などなどオノマトペ(擬態語)を、九鬼周造やメルロ・ポンティ、川田順造などの引用を交え、様々な視点から分析したもの。
しかしながら、時おり駄洒落も挟みながらアレコレと語る様は、いっそのことエッセイとして楽しむべきかもしれない。
語に対するフェティッシュな感性にグッときつつ、頭に浮かぶのはやくしまるえつこの歌声なのでありました。 -
じぶんの存在が「浮いている」と感じるというのは、じぶんが「ここ」にいなければならない理由が見当たらないということである。労働という、システム化された社会に組み込まれるかたちで組織されたひとびとの緊密なネットワークから外れたところに位置するひと、たとえば非定職者や専業主婦は、「ここ」という場所の感覚が消え入りそうな感覚に襲われる。いや、勤務している者も内心には、能力や資格をもつ者であればだれとでもじぶんは取り換えられるという不安を、ひそかに抱え込んでいる。なにかの仕方でじぶんの身体に重しをかけないと、じぶんの存在が干上がり、爪先立つ場所すらなくなってしまいそうな社会にまとわりつかれている。だからときに、たとえ象徴的な仕方であれ、みずからの身体を傷つけることでじぶんがここにいるという事実を確認することへと、みずからを追いつめすらする。
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言語学では「オノマトペ」と名付けられている、擬態語等について書かれています。
著者のいう言葉の豊穣とは、言葉の行き交いの豊かさのことで、それが欠けていたから言葉への渇望があったというのは共感するところです。 -
11/09/30。
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哲学を馬鹿にすることこそ、真に哲学をすることである。
我々は絶壁が見えないようにするためにに、何か目をさえぎるものを前方においた後、安心して絶壁の方へ走っている。
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