大坂落城 戦国終焉の舞台 (角川選書)

著者 : 渡邊大門
  • KADOKAWA/角川学芸出版 (2012年9月22日発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784047035126

作品紹介・あらすじ

戦国時代に終わりを告げた「大坂の陣」。徳川家康が豊臣家を滅亡させるための謀略に満ちた戦いという通説は、事実なのか。家康謀略史観に疑問をもつことで見えてきた、浪人やキリシタン、商人の存在。武将の活躍の陰で、彼らもまた生き残りを賭けて戦っていた。軍功書、首取状などの豊富な史料を駆使しつつ、関ケ原合戦から大坂の陣にいたる激動の時代を鮮明に描く。

大坂落城 戦国終焉の舞台 (角川選書)の感想・レビュー・書評

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  • 専門知識のない私でも分かりやすく読めた。
    この本を読む限り、大坂の陣が始まる前にもう豊臣方は負けていたのだという印象。特に夏の陣。もう流れが戦う方向に行っちゃってたから戦争回避なんてとてもできなかったよ、ということなのかなあ。しかし勝つ見込みがほとんど見えないで戦いに赴くなんて、いくら武士といえど辛かっただろうなあ。浪人勢はそれでも最後のチャンスと頑張れただろうけど。
    徳川家康(と秀忠もかな)からは前もっての準備の大切さを学びましたよね・・・(全く完成していない明日のプレゼン資料を横目で見ながら)
    いやはやしかし関ヶ原も大坂の陣も複雑怪奇だね。今に至るまで多くの人が惹きつけられるだけある。

  • 戦国時代が終わったのはいつなのかは議論が分かれるかと思いますが、私は「大坂夏の陣」で豊臣家が滅んだ時点だと思っています。

    但し、この戦いは全ての大名が徳川側に味方したので、勝敗は始めから決まっていたようですね。もっとも、真田軍が徳川家康の本陣に攻め入って番狂わせがおきそうになったそうですが、残念ながらこの本では詳しく取り上げられていませんでしたが。

    戦国時代を象徴する戦いとして一番面白いのは、「関ヶ原の戦い」だと思います。私たちは結果を知っているので、徳川が多くの裏工作等をして有利だったと思っていますが、この時は日本の大名は両者に分かれて戦っていますし、石田三成の戦略も素晴らしかったと思います。

    この本では、関ヶ原の戦いに始まって、大坂夏の陣までを通して解説してくれています。こうして見ると、歴史というのは一本の糸で繋がっているのだなと感じることができました。

    この本を読んで思ったのは、戦国時代らしい「浪人」が世の中にあふれていたのは、北条氏との戦い(小田原の戦)までのようだとわかりました(p99)、このあたりが戦国時代なのかもしれませんね。

    以下は気になったポイントです。

    ・関ヶ原の戦いで没収・削封された領地は、632万石に及び(毛利、上杉、佐竹等)、約520万石は東軍に与した豊臣系武将に与えられた、135万石は徳川の直轄地(蔵入地)となった(p13、26)

    ・織田信長の孫である織田秀信はキリシタン大名として有名、岐阜城下には立派な教会があった、秀信は西軍に味方したので高野山へ追放(後に高野山からも追放)された(p25)

    ・秀頼の所領高は全国各地に散在する蔵入地を含めて220万石あったが、関ヶ原の戦い後には65万石(摂津・河内・和泉)となった(p30)

    ・1611年頃から豊臣恩顧の大名は死亡した、加藤清正(1611.6)池田輝政(1613.1)浅野幸長(1613.8)前田利長(1614.5)、残ったのは福島正則程度(p65)

    ・大坂冬の陣で秀頼の主力は、関ヶ原の戦いで敗れて浪人になったもの(p91)

    ・大名や家臣に使える者を奉公人というが、1)名字を持ち、武士に寄子・被官として奉公する侍、足軽、2)名字を持たない中間・小者、3)隷属した労働力の下人、に分類される、1)と2)まで(p98)

    ・北条氏滅亡により、1590.12には、秀吉は浪人を禁止し、村から追放するように命じた(p99)

    ・現在の大阪市平野区に所在した平野郷は、戦国期においては堺と並ぶ自治都市として知られていた(p106)

    ・大阪の陣が始まる前には、米の値段は、約7-8倍へ値上がりした(p113)

    ・大坂冬の陣が終わった時の合意では、二の丸・三の丸の埋め立ては豊臣方が行う予定であった(p142)

    ・豊臣方の大野治房は、堺に入り、徳川方に与したという理由で焼き払われた(p166)

    ・大阪城の焼け跡からは、金:2.8万枚、銀:2.4万枚が回収された(p178)

    ・大阪の陣は関ヶ原の戦いと比較して、「労多くして益少ない」戦いであった、秀頼の65万石を13名の大名で分け合った(p182)

    ・豊臣家の滅亡は、戦国で活躍した浪人衆や、多くの信者を獲得したキリシタンが終わりを迎えたもの象徴的であった(p214)

    2012年11月23日作成

  • 大坂の陣について浪人問題に主軸がおかれているのが面白かった。もちろん、そこに至る過程は描かれている。「国家安康」の銘を考えた禅僧のことなんて初めて知った。また、二重公儀制と家康が当初から積極的に豊臣家を滅ぼそうとしていたことへの否定になるほどと思った。

  • 「大坂の陣」の定説をくつがえす。
    家康が、豊臣家を滅ぼしたのはなぜか?その答えは浪人たちにあった。
    戦国時代に終わりを告げた「大坂の陣」。徳川家康が豊臣家を滅亡させるために謀略に満ちた戦いといy通説は、事実なのか。家康謀略史観に疑問をもつことで見えてきた、浪人やキリシタン。商人の存在。武将の活躍の陰で、彼らもまた生き残りを賭けて戦っていた。軍功書、首取状などの豊富な史料を駆使しつつ、関ヶ原合戦から大坂の陣にいたる激動の時代を鮮明に描く。

    ここのところ仕事が忙しく、本を読む時間がとれないので積読状態の本が山積みであるなか、最近購入したこの本は、思わず引き込まれて読んでしまった。
    本書は読みやすく、新しい研究の成果を知ることができるが、反面、もやもやした部分も少なからずあった。
    家康は秀頼を右大臣にしたものの関白にする気は無かったという推測は面白い。
    (とはいえ右大臣とは破格であり、豊臣が本当に臣下の礼をとれば制外の家として生き残る道があったと思う。) 
    方広寺鐘銘事件事件や大坂城の堀の埋め立ての通説の見直しは参考になる。
    「家康謀略史観を克服する」という部分は、十分に発揮されていないと思う。この点からいうと、私は、笠谷和比古の著書を読んだ時の方が衝撃を受けた。本書
    では、笠谷説に疑問を挟んでおり、参考になる部分もあるが素人目には差が感じられない部分もある。
    また、疑問な点もある。
    ・岡部長盛は外様大名なのか(p55)
    ・家康が二条城において秀頼に臣下の礼を取らせたとあるが、天下に徳川公儀が
     豊臣公儀に優越していることを知らしめる儀式ではあっても臣下の礼を取らせたとは言えまい。
    ・二重公儀制の有効性を補強するための8点に対する批判をしているが、二重公儀制を肯定しているのか否定しているのかがわからない。(仮に二重公儀制を認めるにしても期間限定であるという考え方の模様)この点、私は二重公儀制という言葉が一人歩きしていて批判されているようにも感じる。
    ・家康が、豊臣家を滅ぼすになったのは何故かの分析が欲しかった気がする。

    答えは近いものの、回答に至るルートが異なる。そんなモヤモヤ感が残る1冊であった。(もっとも、笠谷著も含め最近の著作を読んでいないので、私のベースとなる知識が数年遅れていることは否定できない)

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