風雅と官能の室町歌謡 五感で読む閑吟集 (角川選書)

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  • KADOKAWA/角川学芸出版
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レビュー : 2
  • Amazon.co.jp ・本 (287ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784047035195

作品紹介・あらすじ

室町の代表的小歌を集めた『閑吟集』には、男女の恋歌を中心に、不安な世への明るい諦念の歌など、当時の人々と人生観を映し出す311首が収められている。戦国動乱の気配が漂う室町後期、人々は無常の世を悟りながら、あえて官能に身を投げ出した。庶民から貴族までを熱狂させた「小歌」に、室町人は何を託したのか。小歌に表れたリアルな感情の動きを「五感」でとらえる斬新な方法で、室町歌謡の豊かな世界を描き出す。

感想・レビュー・書評

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  • 植木朝子氏の『五感で読む閑吟集 風雅と官能の室町歌謡』(角川選書、2013)をふたば書房京都駅八条口店で買う。小野恭靖氏の『戦国の流行歌』は16世紀末の隆達節だつたけど、閑吟集は永正十五(1518)年と16世紀初頭に成立している。著者の本を読むのは『梁塵秘抄の世界』(角川選書、2009)以来だから、久しぶりとなる。論文をまとめた関係で、今様から隆達節まででてくることになる。
    五感に分けて閑吟集から歌を選んで分析する。「味わう」では、「日本の古典文学において、食べ物やその味わいが詳述されることはまれである。」(14頁)としながらも、「青梅の枝」に若い女の暗示をみる。「愛欲の表現においては、当然予想されることながら、五感のうちでも特に触覚に訴えるものが多い。」(32頁)。「香りは人の記憶をよみがえらせるのに大きな働きを担う。」(92頁)、「小歌は、当然ながら耳で聴くものであり、その旋律やリズムを楽しむものであった。」(150)。「日本の伝統的な和歌の世界では、目で楽しむ四季折々の自然の美しさが重要な詠歌の対象となってきた。」(202頁)としながらも、「季節の風物を恋人の比喩に用いたり」(203頁)、「意匠・文様の世界と深く関わる器物が歌われる」(同)という。著者の読み方はしっかりしているな〜。

  •  「やなう」である。なうなう。誰もが、「うわ、今で言うツイッターやん!」みたいなことを考えてしまう。でも、ツイッターやんをとっかかりにして、読んでもいいかもしれない。
     成立した時代は応仁の乱後、下克上、群雄割拠、朝廷の衰微のころ。
    【貴族・武士・僧侶・庶民の各階層に広く愛唱された流行歌謡があった。比較的短い詞章を持ち、小歌と呼ばれた歌々である。】
    【小歌の集成は1518年、隠者某によって編纂された閑吟集が最初である。真名序と仮名序を備え、中国最古の詩歌集「詩経」に収められた詩篇数と同じ311首の小歌を収める。】
     で、その311首を、五感に分けてチョイスして、綿密・詳細に読んでいくのがこの本だ。
     興味深かったのは、小歌に多くの伊勢物語の享受のあとが見られることと、大岡信への指摘部分だった。

     隆達節歌謡の「闇にさへならぬ 月にはとても あら鈍なお人や」の歌について、大岡信が、「あの人はうすのろで暗闇みたい、いやその闇にさえなれない」と折々のうたで読み取っていたが、中世の人にとってはこのような理解はありえないという。「なる」は行くの尊敬語であり、正確には「闇夜にさえいらっしゃらない。まして月夜にはとても来てくれないでしょう。全くひどい鈍感な人」である。
     そして著者はこう言う。【小歌の詞章を読むことには多くの困難が伴う。作者もほとんどわからず、前後の文脈といったものがない、短い独立した詞章を読むので、その歌の成立事情や、歌われている状況そのものがはっきりしないことも多いからである】

     著者の読みとして特に興味がひかれるのが「花筏」だ。
     閑吟集に
    【吉野川の花筏 浮かれて漕がれ候よの 浮かれて漕がれ候よの】
    (私は吉野川の花筏。浮かれて漕がれるのです。そう、あの方に心浮かれて、恋い焦がれるのです)

     という一首があり、ではこの花筏とはどのようなものかについて、俳諧・和歌などの用例をひきながら考察していく。
    ①花の散りかかった筏
    ②桜が川に散って水面を流れるのを筏に見立てたもの
    ③花の枝を折りそろえた筏

     で、花筏で浮かれると考えれば、なんだか色っぽい遊女や、もしくは性行為を思わせる、比喩なのかとか、甘い感じがするのだが、文様の流行等からも考察して、③の筏であると結論する。
     議論はここで終わっているのだが、ここからが問題ではないかと思う。

     吉野の山に行ったことはあるけれども、川と聞いてもピンとこないのだ。

     鞍馬山を越えたところにある、貴船神社沿いの川なんか、細くて、急流で、筏なんか花つけて楽しんでいる余裕なんてない。
     日本の川に花筏をどんぶらこさせるにはどうすればいいか。花筏をうかべて吉野から下流へと向かっていける川を作れるとはどういうことか。
     ある人と話したのだが、それはダムと放流だ。いろんな岩だらけの川を水で(もちろん人力もつかって)
    流してしまうわけだ。運搬できるような川にするためにもダム技術は必須であった。
     そうしてできた吉野川にて、筏が、物流が、通って、うれしいうれしいということ。この小歌はそういう解釈もできるのではと。
     どうなのだろうか。

     伊勢物語も万葉集も同じく、「まとめている」ということは、単なる娯楽ではなく、何らかの「編集目的・意図」があるはずである。
     経済・政治が、「歌」という独特な恋愛パッケージに潜められているのではないか。
     編者や作者らは「新しい恋愛本できました!」と、源氏や万葉や伊勢や閑吟を売り出されたわけではないのだから。
     戦国時代に向かって、閑吟集として、人びとの欲望を集めた何某の目的はいったいどこにあったのだろう。

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著者プロフィール

1967年東京都生。お茶の水女子大学大学院博士課程単位取得。 博士(人文科学)。現在 同志社大学教授。
主要著書『梁塵秘抄とその周縁』(三省堂)『中世小歌 愛の諸相』(森話社)『梁塵秘抄の世界』(角川学芸出版)

「2011年 『今様』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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