真田信繁 幸村と呼ばれた男の真実 (角川選書 563)

著者 :
  • KADOKAWA/角川学芸出版
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感想 : 5
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784047035638

作品紹介・あらすじ

諱は「幸村」か「信繁」か。真田丸はどこにあり、どんな形態をしていたのか。実戦経験の乏しい信繁が、なぜ徳川方も称賛するほどの軍功をあげることが出来たのか――真田研究の第一人者が、文書や軍記物、絵図や布陣図ほか数少ない史料を博捜し、真田信繁をめぐる通説・俗説・新説をその根本から再検証。重視され続ける旧来の大坂の陣論や家康謀略論をも問い直し、幾多の謎に包まれた「不思議なる弓取」の実像を解き明かす。


豊臣秀頼を滅ぼした徳川家康の意外な真意とは。
信繁たち大坂方の牢人は、大坂の陣でどんな役割を果たしたのか。
彼らの活躍は両陣営の戦況と政策に如何なる影響を与えていたのか――。
勝者と敗者を分ける「その時」を捉えなおし、
真田信繁像や大坂の陣論に、新たな視座を提示する!

感想・レビュー・書評

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  • 真田信繁の生涯を少ない資料から紐解いていく一冊。なぜ信繁は実戦経験が乏しいにもかかわらず実績をのこせたのか、大阪の陣に係る新しい視点も面白い。

  • 真田信繁が幸村と称した事実はない。犬伏の別れの前に、昌幸・信繁と信幸が豊臣方、徳川方に属するのは決まっていたのではないか、信幸が事前に大阪から人質を引き上げていたことから伺える、犬伏の別れは創作か、あっても意思確認以上のものではなかったのでは、と。豊臣恩顧の武将が味方する、美濃から適宜援軍を送れる、という誤った情報に基づく情勢分析で真田昌幸・信繁は上田城籠城の準備に入ったと考えられる。第二次上田合戦の真田氏の勝利は、徳川方の作戦変更による攻撃続行中止の結果であり、転がり込んできた結果的な勝利だったのでは、と。真田丸は信繁入城以前か直後に大阪方で築城が決定しており、信繁は普請と守備を担当。ただし信繁独創の設備もあったと思われる。大阪城の周囲に砦を築いて守備するのは信繁の独創ではなかったが、大坂冬の陣で他の砦は陥落しており、その奮戦は特筆できる、と。この辺りが、信繁に対して得られた知見かな、と。個人的には。また、大坂の陣の推移については、和睦条件の堀埋め立てについては、信頼できる史料には見当たらないこと。当時の人は、城に一歩も侵入できなかった徳川方と籠城しこれに痛打を与えた豊臣方では後者が勝者であったと印象を持ったものが多くいたこと。家康は浪人追放と秀頼国替を行うために軍事的圧力で、城内強硬派、牢人たちを諦めさせようとしていたこと。だが予想に反し、牢人たちの抗戦意思が固く、開戦され、慌てて参陣を命じるも間に合わなかった大名がいたこと。大野治長が秀頼参陣を促すために黄金の馬印を持って大阪城に向かったこと、内通者が大阪城に火を放ったことが、少しは優勢だった大阪方の士気をくじいたことが、秀頼参陣の機会を逃し、大きな敗着となったこと、が個人的に得られた知見。通俗な小説が描いたり、通説とされるものが研究の進展で書き換えられていくのを実感できる。

  • 日本一人気のある武将、真田幸村。ただ、彼の生涯のほとんどは史料がなく謎に包まれている。彼の諱が、はたして幸村なのか信繁なのかさえ定かでない。生年も不明。本書では少ない史料を丹念に読み解き実相に迫る。信繁を追いながら当時の歴史背景にも緻密な分析を加え知られざる歴史の真実も教えてくれる。
    徳川家康・秀忠父子との交渉で、一大名として生きる道があったにもかかわらず、幕府からの提案をすべて拒否し、戦いへの道を選んでしまったのは豊臣秀頼自身。家康は豊臣家を最初から潰すつもりなどなかったし、大坂の陣勃発後も、何とか戦争を回避しようと寧ろ秀頼の説得に努めていた。大阪城の堀を埋め事実上、無力化したのは、大阪城に群がる浪人たちに、もはや抵抗する術なしとして大阪滞在を諦めさせるためのものであった。ところが、冬の陣の豊臣方の善戦もあって、かえって多くの浪人を大阪城に呼び寄せることになった。豊臣家滅亡の原因は詰まるところ浪人問題。しかし、浪人が巷にあふれる原因を作ったのは豊臣家の内部分裂による関ケ原。因果応報は永遠に連鎖していく。

  • 真田研究の第一人者が、新たな信繁像を打ち立てる。図版や資料も充実した最新研究のすべて。大河ドラマ「真田丸」時代考証担当者の書下ろし最新作。
    豊臣秀頼を滅ぼした徳川家康の意外な真意とは。信繁たち大坂方の浪人は、大坂の陣でどんな役割を果たしたのか。彼らの活躍は両陣営の戦況と政策に如何なる影響を与えていたのか。勝者と敗者を分ける「その時」を捉えなおし、真田信繁像や大坂の陣論に、新たな視座を提示する。(2015年刊)
    ・序「不思議なる弓取」と呼ばれた男
    ・第一章 真田信繁の前半生
    ・第二章 父昌幸に寄り添う
    ・第三章 関ヶ原合戦と上田城攻防
    ・第四章 九度山での雌伏
    ・第五章 真田丸の正体
    ・第六章 大坂冬の陣
    ・第七章 大坂夏の陣
    ・終  章 真田信繁から幸村へ

    信繁の発給文書は20点が確認出来るという。史料が少ないのに380ページの大著にまとめ、内容に説得力をもたせるとは、さすが平山先生である。信繁は「不思議なる弓取」と呼ばれたそうであるが、さほど実戦経験が無いと思われるのに何故、日本一の強兵と呼ばれたのか疑問に思っていたのだが、本書ではその一端に迫っている。
    p320梶原美濃守政景、太田安房守資武、菅沼休巳ら歴戦の老将の「私たちは関東で二、三百人の敵といつも戦ってきた。だがこれほど広大な戦場に五万、三万の大敵を相手にしたことはない、今回ばかりは、実戦経験者もそうでない者も立場は同じである」というの話を聞くと、信繁の活躍は、なおさら不思議に思う。
    また、大坂方の浪人衆が歴戦の強者であったのに対し、関ヶ原から15年経つうちに、世代が交代した幕府側が、戦慣れしておらず味方崩れが頻繁に発生したというのも面白い。冬の陣は、実質的に豊臣方の勝利であり、幕府側のメンツのため、堀をを埋めることにしたのだという。
    厚いのに読みやすいので苦にならず、その面白さにグイグイと引き込まれた。真田信繁について知りたい方は、まずは読むべし。本書は、必読の1冊であろう。

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著者プロフィール

平山優(ひらやまゆう)
一九六四年、東京都生まれ。立教大学大学院文学研究科博士前期課程史学専攻(日本史)修了。専攻は日本中世史。山梨県埋蔵文化財センター文化財主事、山梨県史編さん室主査、山梨大学非常勤講師、山梨県立博物館副主幹、山梨県立中央高等学校教諭を経て、健康科学大学特任教授。二〇一六年放送のNHK大河ドラマ「真田丸」、二〇二三年放送のNHK大河ドラマ「どうする家康」の時代考証を担当。著書に、『武田氏滅亡』『戦国大名と国衆』『徳川家康と武田信玄』(いずれも角川選書)、『戦国の忍び』(角川新書)、『天正壬午の乱 増補改訂版』(戎光祥出版)、『武田三代』(PHP新書)、『新説 家康と三方原合戦』(NHK出版新書)などがある。

「2023年 『徳川家康と武田勝頼』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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