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Amazon.co.jp ・本 (568ページ) / ISBN・EAN: 9784047036284
作品紹介・あらすじ
『資本論』こそが、新しい社会を生み出すための最強の理論的武器である!
今、資本主義が大きな転換点を迎えている。経済の停滞、政治の空洞化…苦しみを乗り越えて新しい社会を作るとき、『資本論』は、誰にでも手に取ることのできる「最強の理論的武器」となりうる。マルクスのテキストに立ち返り、『資本論』への誤解を解き、この世界の仕組みを根底からひもとく。長大な原文のキモとなる箇所を抜粋、難解な部分は徹底的に噛み砕いて解説し、随所に読解の勘所を指し示した、画期的な入門書。
【目次】
はじめに
人と作品
◆第一篇 商品と貨幣
◆第二篇 貨幣の資本への転化
◆第三篇 絶対的剰余価値の生産
◆第四篇 相対的剰余価値の生産
◆第五篇 絶対的および相対的剰余価値の生産
◆第六篇 労賃
◆第七篇 資本の蓄積過程
コラム1 哲学と『資本論』
コラム2 エンゲルスと『資本論』
コラム3 『資本論』第二巻と第三巻
コラム4 文学と『資本論』
コラム5 『資本論』第一巻以降のマルクス
『資本論』関連年表
あとがき 『資本論』を読むための文献案内
索引
感想・レビュー・書評
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マルクスの資本論の入門書。
資本論そのものを読むための入門書なので、引用と解説からなる。
※資本論を引用して解説するスタイルから、数ある資本論入門本とは異なりだいぶ難解
・商品、貨幣とはなんぞや
・労働者はいかにして生まれどうなるのか
・剰余価値の発生メカニズム(労働により生み出す価値>労働力の費用)
など、資本主義的生産様式が支配的である社会において、何がどうしてどうなって今に至る。また、将来はこうなるであろうと引用しつつ解説された書籍。
原文が難解で多様な解釈が可能なのか、学者間でも理解が異なるらしいので鵜呑みにせず読み解くべき一冊。
この手の本をしっかり理解できると、資本論そのものもなんとか読み解ける日が来る、かもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『資本論』のうち、マルクス自身が執筆した第一巻について解説している本です。
本書は、『資本論』のテクストから数多くの引用をおこない、著者自身のコメントを差し挟むというかたちで構成されており、読者自身がマルクスの文章を読む体験ができるようになっています。
『資本論』の注釈的解説書としては、平田清明の『コンメンタール『資本』』全4巻(日本評論社)や佐藤金三郎ほか編『資本論を学ぶ』(有斐閣)などがありますが、著者自身の研究も含め、最新のマルクス研究の成果についても触れられているところに特徴があります。
第一篇「商品と貨幣」では、著者の中心的な研究課題である「物象化」の概念についてとくにくわしく解説がなされています。また、福祉国家的な制度の実現をめざす運動が労働者のアソシエーションへとつながる可能性をもっていることや、フェミニズムやエコロジーの観点からの問題提起に対してマルクス主義がどのようにこたえることができるのかといった問題についても言及がなされており、『資本論』に秘められたさまざまな思想的可能性が掘り起こされています。 -
"人間は、彼が生産を始める前にも、生産しているあいだにも、地上に姿を現わした最初の日と変わりなく、いまもなお毎日消費しなければならない。"★(p199)
4分の1が第一章の解説に割かれている。
労働力(具体的特殊的有用労働・抽象的一般人間的労働)が商品に付加されて、使用価値及び交換価値になる。
①価値形成過程(等価交換の商品流通:不変資本)W1商品-G貨幣-W2商品
②価値増殖過程(可変資本)G貨幣-W労働力-G貨幣+ΔG剰余価値
描かれる1800年代前半のイギリスの労働環境が悲惨。9歳の子供が深夜2時に起こされ、夜の0時まで働かされる。1833の工場法において初めて9歳以下の労働が禁止されたが、それでも18歳までは8〜12時間働かされている。それが1851年のロンドン万国博覧会に繋がっていると思うと戦慄するものがある。マルクスの問題意識は、工場労働の奴隷状態にあるということが感じられる。
商品による貨幣の誕生は、必然的に労働力を商品として消費する資本家を生み、労働者と対立するが、資本家もまた貨幣により駆り立てられており、資本主義の問題の解決が『資本論』のいうように労働運動を推し進めることにはないように思える。つまり、労働者が対立するのは資本家ではなく、貨幣、ひいては商品であり、労働者同様に資本家も資本主義から救い出さねばならないのではないか、と思わされる。
商品は特権的な交換価値の商品としての貨幣を生み、貨幣は力としての資本を生み、資本は資本家と労働者を分け、生産手段を労働者から奪い、資本家を剰余価値へ駆り立てる。資本の集中は労働者を資本主義的生産様式に縛り付け、貧困を生むが、生産手段の個人所有を再建するアソシエーションの可能性を内包する。
『資本論』の主旨を掴むのに最適な良書。
・はじめに
ドゥルーズやデリダは、冷戦終結後にマルクス主義ではなく、マルクスそのものの理論として読む可能性をみた。世界史を変えたマルクス主義は、エンゲルスがマルクスを通俗化したものを、労働・共産主義運動によって単純化、図式化したもの。マルクスに可能性があるとすれば、「マルクス主義」ではなく、マルクス自身のテキストの中に見出されねばならない。資本主義の終焉が騒がれる格差社会とポピュリズムが蔓延する現在ほどマルクスを読むことが求められている時代はない。マルクス自身のテキストとして読む手伝いが本書の目的。
・人と作品
1818年ドイツトリーア生まれ、ベルリン大学で法学文学に成果が出せず療養後、ヘーゲル左派と出会い哲学に傾倒する。プロイセンは保守的だったため、ジャーナリストとなり成功するも『ライン新聞』が政府の圧力により、パリで『独仏年誌』を発行するも失敗。1844エンゲルスに出会う。1845『ドイツイデオロギー』、1847『哲学の貧困』、『共産党宣言』。1849ロンドンで経済的に苦しみながら経済学に専念し、1867『資本論一巻』刊行。
生産力が生産諸関係を変えるとは、技術的発展が新たな社会を望み変革の条件を産むということ。マルクス主義はこれを単純図式化し、生産力が自動的に社会を進歩させる、生産力をもたない民族は遅れた民族といった考えを生み出し、唯物史観と名づけられた。
ヘーゲル左派は、人間が生み出したものが人間を支配することを「疎外」と呼び、宗教を批判し、新しい理念があれば社会変革が可能と考えたが、マルクスはジャーナリストとして社会に接するうちに、社会を支配するのは理念ではないと気づいた、すなわち、人々が宗教を信仰するのは、現実で苦しみ幸福を実現できないから。★宗教は人々の苦しみを和らげる民衆のアヘン(『ヘーゲル法哲学批判序説』)。
・第一章 商品
第一章は最も難しい。
・第1節
資本主義における富は商品として現れるから、商品の分析から始める。それ以前は共同体で自給自足だったが、資本主義では見知らぬ他人との商品の売買が行われ、伝統因習の束縛がなくなり自由競争で生産力が増大し、物質的富が増大する、他方、人間関係が金銭に置き換えられるので好不況に左右される不安定な状況になる。
対象となる商品は、再生産される資本主義の商品。発展したものの分析が、前時代を理解できることから、資本主義以前の商品、貨幣概念で当たり前のように捉えてはいけない(経済学批判)。
商品がもつ人間の欲望を満たす有用性を「使用価値」、商品を交換できる性質を「交換価値」と呼ぶ。★商品が交換できるということは、何らかの共通物がなければならないが、それは具体的な使用価値ではなく、労働生産物であるということ、すなわち抽象的人間的労働が凝固(結晶化=物象化)したものであり、それを「(商品)価値」と呼ぶ。★共通物を理解するポイントは、①再生産商品のみが対象(株や土地、絵画は対象外)、②生産手段は度外視されている、③資本主義社会の商品のみ(共同体内物々交換は対象外)。共通物=価値は、抽象的人間的労働そのものではなく、それが凝固したもの(対象、実在、結晶)=対象化、物象化。★内容としての抽象的人間的労働が価値という形態をとる。
人間的労働はたんに時間ではなく、他の労働力と平均して生産するための時間、「社会的必要労働時間」で測られねばならない。★社会的必要労働時間は、生産力の変化によってもたらされる要因が重要。生産力は、生産効率と同じ意味で用いられる、したがって生産力が上がれば(社会的必要)労働時間は減少するので、価値は低下する。★
・第2節
トレーニングが必要な労働を「複雑労働」、そうでないものを「単純労働」。使用価値が生成される具体的に必要な個別の質的な労働時間は有用労働、商品価値の生成に関わる量的労働時間は抽象的人間的労働。★生産力が二倍上がれば、有用労働は減るので生産物が二倍になるが、抽象的人間的労働が減るので商品価値が二分の一になる。
・第3節 価値形態論
第一巻の白眉であり最大の難所。売買は価格設定が先にあるので、商品交換から貨幣が生まれるわけではない。価格こそが価値形態。人間が生産物を、抽象的人間的労働に対する交換力をもつ価値あるものとして、扱うことによって商品価値は生まれる。「商品価値は、商品間の社会的関係のうちでしか現れえない。」
20エレのリンネル=1着の上着(形態Ⅰ)
リンネル(相対的価値形態)の価値を上着(等価形態)によって表現している。★上着は、交換できるもの(等価物)として利用されることによって、使用価値(現物形態)を、価値の存在形態、価値物(価値体)として通用される(直接的交換可能性の形態)。★おにぎりは100円で買えるが必ず売れるとは限らない非対称性があり、直接的交換可能性をもつ等価物は特権的である。★
等価形態の独自性、①使用価値(上着)が商品価値の現象形態になる、②使用価値を生成する具体的労働(上着の裁縫)が抽象的人間的労働の現象形態になる、③私的労働(リンネルの織布)が(間接的に)社会的労働になる。★
商品価値と使用価値は、一つの商品の中で対立するが、相対的価値形態では使用価値として、等価形態では交換価値(商品価値の現物姿態)として現れる。★
リンネル=上着=茶=コーヒー=小麦=金=鉄=…という価値形態におかれれば、商品世界は社会的関係となる(が、系列は完結せず、バラバラであり、相対的価値が無限となる(形態Ⅱ)。しかし、全てをリンネル(一般的等価物)で表現できるならばそれは「一般的価値形態」となり、商品世界の共同事業として成立する(形態Ⅲ)。★
プルードンの貨幣廃止は、売買条件である価格表示を取り除き全てが必ず売れることを前提するものであり、まるで全てのカトリック信者が教皇になれるのを前提して教皇を廃止するようなもので、小ブルジョワ社会主義の妄想である。
一般的価値形態は、貨幣として機能とする貨幣商品となるが、その特権的な直接的交換可能性を歴史的に勝ち取った(ただし社会的習慣によって現物形態と一般的等価形態が癒着しただけ)のは金である(形態Ⅳ)。★商品は、共同事業によって貨幣を作ることなしには、自分の価値を表現できない。★商品の内的本性によって人間が無自覚に生み出したもの。★
"リンネルは、自分だけに通じる言葉で、商品語で思いを打ち明ける"。★人間が言葉を使うのに文法を知らないのに似ている。★
→ウィトゲンシュタイン文法
・第4節 商品の物神的性格とその秘密
商品が神秘性は、どこから発生し、なぜ発生したのかが重要であり、「マルクス主義」に陥らないために必要な問題意識。抽象的人間的労働自体は神秘的ではない、なぜなら労働や生産は生理学的であり、労働時間、社会的意義に超感性的なものはないから。経済学者が用いる例に倣えば、ロビンソンの自給自足は有限な労働が生産物に変わるので、必要なものを得るためには適切に労働時間を配分せねばならない(労働=抽象的人間的労働)。自由な人々の連合体(アソシエーション)のうちでは、社会的労働を配分して社会的に生産物が分配されるので、社会的意義をもつ。商品生産社会においては、抽象的人間的労働としての社会的意義が、生産物に対象化されて価値になる。労働は、人間の欲望を満たす使用価値を生産する有用労働だけでなく、有限な総労働の一部をなす抽象的人間的労働という社会的性格をもつ。★
商品が、労働の社会的性格を生産物の交換力として表示する交換価値をもつことによって、生産者の社会的関係を反映する自立的なものに見える錯覚、すなわち商品が生まれつき価値をもっているという思い込みを物神崇拝(フェティシズム)という。★
"「物象Sache」は、「人格Person」と対比的に用いられる概念であり、商品や貨幣のように社会的な意味を持つ物のことを指します。そのため、ここで見たような人格的関係が物象的関係として現れる事態のことを「物象化」と呼びます。"★
"価値は、むしろ、それぞれの労働生産物を一つの社会的な象形文字にする"。
物象の運動(市場メカニズム)が、人間を制御する。労働問題、貧困、環境破壊、経済恐慌など矛盾を生み出す。
・第二章 交換過程
商品交換のためには、欲する意志をもつ人格である必要があり、そこでは互いに私的所有者であることを承認している。★フィヒテ、ヘーゲル同様、所有を社会的承認された占有としている。所持する商品の物象の力によって所有が成り立つ、法ではなく権利。★物象化された自由平等所有を人間本来のものと錯覚するのがホモエコノミクス(経済人)幻想。商品は、価値の現象形態として通用する生まれながらの平等であるから、所持者の五感ではじめて交換価値としての使用価値となる。商品の価値は、全面的交換は不可能であり、使用価値に制限されている。★一般的等価物が可能となるのは、交換過程によってのみ。一般的等価物に適しているのは、どの一変をとっても均質で、任意に分割でき再び合成が可能なもの、金銀は生来それをもっている。★貨幣が価値を代理するので、単なる恣意的な標章(シンボル)にすぎないという誤りを生んだ(啓蒙主義、ポストモダン)。貨幣物神は、商品物神から生まれる。
意志と欲望の人格が、商品の経済的諸関係が反映された物象の担い手となることを「物象の人格化」と呼ぶ。★
・第三章 貨幣または商品流通
慣習や法律。商品は、商品と貨幣の二重化を含む。オーウェンのユートピア社会主義的な労働貨幣は、直接的に労働を表示しようとするが、労働が社会的に通用しないからこそ生産物として価値をもつのであるから、商品貨幣とは反対の生産形態を前提する浅はかな考えである。★
貨幣は、決して観念的な価値尺度のみではなく、実在の材料で定まる。慣習的な貨幣は、国家によって法律で統一される必要があり、一般的効力をもつが、そのことが国家が貨幣価値を決定するという幻想を生む。
"W─G、商品の第一の変態、または販売。商品のからだから金のからだへの商品価値の飛び移りは、私が別のところで言ったように、商品の命がけの飛躍である。"★(p153)
各商品の変態列が描く循環(W-G-W)は、他商品の循環と絡み合い、総過程は商品流通として現れる、直接的交換における個人的条件付けを破って、労働の物質代謝(社会内の物質的やりとり)を発展させる。★
生産物の引き渡しと受け取りは、流通によって売りと買いに分裂されるが、それによって流通は生産物交換の時間的場所的個人的制限を破る。★使用価値と価値、労働の私的と社会的、労働の特殊具体的と抽象的一般的、物象の人格化と人格の物象化、これらの内在的矛盾は、恐慌の可能性を含んでいる(需給一致のセー法則批判)。貨幣を手元に留めておけば、商品が売れず、販売不能の拡大が恐慌になる。
流通は貨幣によって媒介されるから、貨幣は常に流通の場であり、流通は貨幣運動の結果として現れる、すなわち売買のイニシアティヴは常に貨幣の側にある。★
流通手段の貨幣量は、商品の価格総額(/流通回数)に規定されている。★したがって貨幣供給で経済活性化させるリフレ論は、貨幣量が価格総額を決めるという貨幣数量説の誤りの変種にすぎない。
鋳造が国家によるものになると、金価格は実質から離れ名目となり章標または象徴となり、商品所持者の一般意志によって保証される紙幣が生まれる。★
流通が発達すると、絶対的に交換できる社会的形態の力としての貨幣の蓄蔵が目的になる。支払手段としての貨幣は、家屋利用のように後払いの信用システムが成立するが、恐慌のときには貨幣が求められる。★手形が貨幣の代わりに流通し、銀行券(信用貨幣)に置き換えられる。金兌換ではない中央銀行券も無制限ではなく、国債を引き受け国家購買力に転化すればインフレーションが発生し価値は大幅に減少する。世界紙幣として機能するには、再び貴金属形態に戻る必要がある。欧米では依然として外貨準備の6〜7割が金。
慣習、法律、人工的組織は、貨幣の物象化能力を補完するが、その補完要素をレギュラシオン学派に倣い、本書では「制度」と呼ぶ。★法律を過大評価する「法学幻想」に倣い、制度全般の過大評価を「制度幻想」と呼ぶ。
・第二篇 貨幣の資本への転化
・第四章 貨幣の資本への転化
商品流通の直接的形態は、W-G-W(使用価値を)「買うために売る」だが、貨幣(交換価値)を手に入れるための資本転化G-W-G「売るために買う」がある(資本の一般的定式)。★増加分の価値を「剰余価値」と呼ぶ、言い換えれば自己増殖する。★商品流通は消費、欲望の充足が目的だが、資本の貨幣流通は自己目的ゆえに無限である。★貨幣蓄蔵者が使わないことによって流通から貨幣を救い出す狂気の沙汰であるのに対して、資本家は絶えず貨幣を流通に投げ込む賢明で合理的。★
商品流通は等価交換であるから価値を創造しないが、資本は剰余価値を算出する。剰余価値は商品流通では現れないから、資本家は、使用価値が労働の対象化(価値創造)である商品、価値の源泉であるという使用価値をもつ商品を見出されねばならない、すなわちそれは「労働力」である。★
"労働力所持者が自分の労働が対象化されている商品を売ることができないで、ただ自分の生きている肉体のうちにだけ存在する自分の労働力そのものを商品として売り出さなければならない"。★
未来の生産物では、未来派の音楽家でも食っていくことはできない。★
"人間は、彼が生産を始める前にも、生産しているあいだにも、地上に姿を現わした最初の日と変わりなく、いまもなお毎日消費しなければならない。"★(p199)
貨幣所持者は、自由な労働者(①自分の労働力を処分できる、②労働力以外に商品をもたずその実現のために解放されている)に出会う必要がある。★
"労働力の価値は、労働力の所持者の維持のために必要な生活手段の価値である。"★
家事労働がどれほど労働力の再生産に役立とうと、労働力の価値を生み出すことはない。★労働力の価値には、労働者の子供の生活手段の価値も含まれ、それによって労働力商品所持者の種族が商品市場で永久化される。★
→G貨幣-W(労働力)-G+GΔ★
労働契約の自由、等価交換の平等、処分可能なものの所有、ベンサム的な相互共同全体利益、これらはホモエコノミクス幻想である。
・第三篇 絶対的剰余価値の生産
・第五章 労働過程と価値増殖過程
人間の呼吸や消費は自然との物質代謝であり、有用労働は自然を目的に応じて意識的に加工する。★
→ハイデガー用立て、環世界
素材的富の父は労働、母は土地である。労働対象(自然原料)と労働手段(道具機械土地)をあわせて「生産手段」と呼ぶ。★生産手段の価値は、生産物の価値の成分をなしている。価値形成過程では、生産物が同一であるならば、価値は労働の量で決まる。労働者の生活維持に6h分の賃金3シリングならば、資本家は12h働かせ、3シリング分価値を増殖できる、しかも商品交換の体裁をとって不正なしに得られる。★
・第六章 不変資本と可変資本
機械発明など生産手段が発達して労働時間が短くなった場合、生産量が増えるが、抽象的一般的人間的労働は時間が短くなり交換価値は下がり(可変資本)、具体的特殊的有用労働は変わらないため使用価値を同じである(不変資本)。★
・第七章 剰余価値率
剰余価値率は、可変資本vに対する剰余価値mの比率で表される。
労働者が再生産に必要な生活手段の価値は、必要労働時間で表される。必要労働時間を超えて苦役する剰余価値は、剰余労働時間で表される。したがって、剰余価値率=剰余価値/可変資本v=剰余労働/必要労働=資本による労働の搾取度となる。★
生産物の剰余価値を表す部分を、剰余生産物と呼ぶ。労働者の補填価値(必要労働時間の価値)と剰余価値の生産時間の合計は1労働日をなす。★
・第八章 労働日
剰余価値=労働者が生み出した価値-労働力の価値。労働日は、労働力の肉体的限界、精神的限界によって規定されるが、大きな変動の余地を残す。資本家は、市場の商品交換による労働者をできるだけ多く消費する。労働者は、「標準労働日」、自分の商品の価値を要求する。資本家と労働者の階級闘争。★
→1労働日は、標準労働日(必要労働時間)よりも多く解釈できることから搾取できるので、別に定める必要がある。
労働者の唯一の武器は団結、すなわちアソシエーション。★奴隷制など前近代では主人の使用価値に主眼があり限度があったが、資本主義では剰余価値が無制限に求められ、そのためには奴隷制も接木される。★1860年のノッティンガム市のレース製造では9〜10歳の子供が午前2〜4時から22〜0時まで労働を強制される。パン製造では、ツンフトとギルドにおいて守られた品質や価格統制が解体し、安さのために不純物が混ぜられる。不変資本(生産手段)は、剰余労働を吸収するためだけに存在し、その停止は設備費損失となることから、交代制の夜間労働を強いる。労働者の生命維持の制限は、資本にとって標準労働へ向かうための問題にはならない、なぜなら奴隷貿易のように補充すればよいだけだから。自由競争が資本家への外的強制として機能し、労働者の過重労働へ駆り立てる。14世紀の労働取締法は資本成長のために労働延長を強いたが、同じ国家が19世紀に工場立法で資本の力に対して労働時間を制限する。1802〜33のイングランド労働関係法は強制しなかった死文。1833工場法で13〜18歳の労働を5:30〜20:30間の12時間、9〜13歳は8時間、9歳未満は禁止、夜間は9〜18歳全て禁止としたが、資本家はリレーシステム(短時間での交代制)ですり抜けた。1844追加工場法で18歳以上の婦人も加えられ、労働は12時間、夜間は禁止とされ、起点を朝の労働時刻とした。法律は議会、紛争処理は裁判所、強制は政府、その背後には階級闘争がある。1847では11時間、1848には10時間に短縮された。しかし、資本の反逆により財務裁判所が「法律自身が無意味にする語句を含んでいる」と判決し、実質廃止になった。これに対し労働者はランカシャやヨークシャで威圧的集会により抗議し、1850追加工場法で労働10時間半に妥協、土曜7時間半に制限され、少年婦人は6〜18時で中休みは全員同時とされた。しかし児童は適用されないと解釈され5:30〜20:30働かされたため、1853児童にも禁止の補足がされた。
フランスでは1848二月革命後、12時間法が誕生したが、長所は全ての産業に適用されたこと。アメリカでは黒人奴隷制度廃止後1866標準労働日を8時間とした。アイルランドではイングランド植民地支配により人種差別が労働運動を不可能にしているから、労働者がアイルランドと共同し合併解体せねばならない。1866ジュネーヴ国際労働者大会(インタナショナル)、我々は労働を8時間にせねばならない。のちの「マルクス主義者」は地道な労働改善は労働者階級を維持し革命を妨害する「改良主義者」だと言ったが、マルクスは自由時間の確保は解放活動をする余裕を取り戻すための先決条件だとしている。★"労働者たちは団結しなければならない。"権利主張よりも団結、アソシエーションが資本に強制されず自由を実現できることを学び取っていく、新しい社会の萌芽。★
・第九章 剰余価値の率と量
★剰余価値率M
=剰余価値m/労働力の前貸可変資本v×可変資本総額V
=平均労働力価値k×a'剰余労働/a必要労働×充用労働者数n
前貸される最小額が中世的最大限を遥かに超えるとき、はじめて資本家になる。★ヘーゲル論理学、量的変化がある点で質的相違に転回する。★(使用価値の)生産過程から見れば、労働者が主体となって生産手段を利用するが、価値増殖過程から見れば、機械休止を防ぐ夜間交代労働のように、むしろ生産手段が労働を吸収するために存し、労働者を生産過程の酵素として消費する。★資本が労働を使用する、(生産手段という)物象の人格化、(労働者と資本家の)人格の物象化。★
・第四篇 相対的剰余価値の生産
・第十章 相対的剰余価値の概念
労働日の延長によるものを「絶対的剰余価値」、生産様式変革に伴う生産力増大によるものを「相対的剰余価値」と呼ぶ。★同じ労働時間で2倍生産されるなら生産物の価値は半分となり、労働者の生活手段の価値も下がる、結果として労働力の価値も下がる。★資本による生産力増大の目的は、商品の現在の社会的価値に比して、生産効率によって人件費が下がった分の個別的価値との差額による利益、すなわち「特別剰余価値」である。★
・第十一章 協業
多くの人が計画的に協力して労働することを「協業」という。★社会的接触が個別的作業能力を高めるので、個別の労働者が同じ数集まるよりも、協業の方が生産力が大きい。命令は、協業の調和をもたらす「指揮」の機能であるとともに、それなしでは労働が成り立たないことから、労働者の抵抗を抑圧するための「搾取」の機能となり、二つは分割できないことから資本への従属を強める。★
→フロイト抵抗、抑圧
→分業にすることにより、個別では生産できなくなり、団結できない。
そして、労働者の一部に「監督」を譲り渡す。協業による社会的生産力は、個別には生まれないが、労働者の対価は個別であることから、資本の内在的な生産料である。★
・第十二章 分業とマニュファクチュア
マニュファクチュアとは、16半〜18世紀の工場制手工業で、機械が導入されていないもの。★馬車は独立手工業者の総生産物だったが、馬車マニュファクチュアによって部分労働者に分割された。反対に、紙や活字や針は、同じ作業をしていた労働者が別の作業を割り当てられるようになった。マニュファクチュアは、人間を諸器官とする生産メカニズムであり、一つの作業に集中することで時間が短縮され、作業移行による中断をなくし、労働力支出の強度(密度)の増大と不生産の減少をなす。また、次の工程の労働者を働かせ、強度を増す。
→ドゥルーズ器官、生産メカニズム、強度
"協業においては資本家の指揮にしたがう必要が労働者の資本に対する従属をうながしましたが、ここでは体系化された専門的作業として労働をおこなう必要が労働者の資本にたいする従属をうながすようになる"。★
機能の簡単化によって、修行費が下がり、労働力価値が下がり、特別剰余価値(社会的価値との差額)を生む。
マニュファクチュアは、個人から独立した生産能力をなくし、労働者を資本に依存しなければ生産できない存在にし、生産のための知や洞察、作業の組織化が資本に集中することで、労働者支配が現実のものとなる。★
・第十三章 機械と大工業
機械は三つからなる、①原動機、②伝動メカニズム、③道具作業機。人間の付き添いのみ必要とする自動装置としての機械は、協業を必然にする。自然物及びその法則そのものは資本コストがかからない、科学、機械もまた自然力と同じように作用する。機械使用は、(導入する)機械の価値と、(削減できる)労働力の価値との差によって限界を与えられる。★
機械は、筋力がなくとも労働できるようにしたため、婦人や児童をも労働力に組み入れ、家族維持費を含んでいた成年男子の労働力の価値を分割し引き下げ、搾取度を拡張した。★反抗せず、使用と非使用(摩耗と競争)で損耗する機械にとって休止はむしろコストであるから、労働日の延長を助長する。★機械導入は、剰余価値を生む労働力(可変資本)を生産手段(不変資本)に変えるので、減った労働者数の価値減少を埋め合わせるため、労働日が延長される。構造改革など新自由主義は、規制緩和、財政支出削減によって、労働者の社会保障を減少させて、利潤率の低下を補うこと。★標準労働日による短縮は、労働の強度を上げさせた。★
大工業は、幼少から労働者を部分機械として扱い、資本への絶望的従属が完成される。★
→ドゥルーズ機械としての人間、隷属、生態メカニズム
労働者の技能や熟練は、機械補助が主となった労働では無意味になり、技術的にも生産手段に支配される、すなわち、機械は、生産のイニシアティヴを奪い、労働運動の基盤を砕く。機械が改良されるたび、雇用される労働者は少なくなる。
外国市場も開拓し、東インド、オーストラリアを原料生産地に転化させ、国際的分業となる。
生産とその過剰は利潤率の打ち止めを描き、産業循環を生み、活況、繁栄、過剰生産、恐慌、停滞という一系列をなす。★大工業は田舎のマニュファクチュアを露骨な搾取体制に変革し、亜麻のスカッチングミルのような死亡事故の簡単な衛生保健設備でさえ、国家の強制法がなければ防止できない。
テクノロジーは自然に対する人間の関わり、精神的観念の直接的生産過程を露わにしており、宗教的幻像の現世的な核心を唯物論的、科学的に歴史的過程を暴くものである。★ヘーゲル左派は、宗教を人間の自己意識に還元するが、マルクスは人間の現実生活に根拠を見出す。★
大工業は、労働者の固定的分業から解放し、合理的生産性をもつ、全体的に発達した労働者を必要とする側面があるから、労働者が生産の知識技術を取り戻す拠点になりうる、そして、婦人少年をも平等に扱うことから、人間的発展の源泉となる。★
→大工業は人間発展に役立つとする、ニーチェ的な悲劇の超人性
マルクスはヴィクトリア道徳があり、ジェンダーバイアスやパターナリズムの記述がある。★オーウェンの協同組合は社会革命の出発点と評価している。★社会的生産力の合理化とアソシエーションによる社会高度化を重視し、法律制度による改革は幻想であるとした。★
資本主義的生産は、人間と自然の物質代謝を破壊するが、人間の発展に適合させる形で物質代謝を再建する。★
"自由の国は、必要と外的な合目的性によって規定される労働がなくなったところで、はじめて始まる。""自分の欲望を満たすために、自分の生活を維持し再生産するために、自然と格闘しなければならない"。★"社会化した人間、アソーシエイトした生産者たちが、""この物質代謝を合理的に規制し、自分たちの共同的な制御のもとにおく"、つまり"力の最小の消費によって、自分たちの人間性にもっともふさわしくもっとも適合した諸条件のもとでこの物質代謝をおこなう "★しかしこれはまだ必然性の国であり、この彼方で、自己目的の人間の力の発展、真の自由の国が始まる、その土台は労働日の短縮である。★
→資本主義が成熟し、アソシエーションとしての社会主義が合理化されて、共産主義へ。
生産力の発展には限界があるから、力の最小の消費によって人間に最も適合した物質代謝がが求められる。★
幼女の頃、マルクスの父の友人(のちの妻の父)から文学の手解きを受け、ホメロス、シェイクスピアを暗唱し、『資本論』ではゲーテ、バルザック、ディケンズの引用もある。
・第五篇 絶対的および相対的剰余価値の生産
・第十四章 絶対的および相対的剰余価値
労働過程は、協業段階に入ると、頭と手が対立し、部分となる。資本主義的生産は、剰余価値の生産であるから、労働過程は、価値増殖、資本自己増殖、剰余価値生産の手段となる。★相対的剰余価値生産は、資本のもとへの労働の形態的包摂(資本家指揮・搾取)がなされ、技術的に確立されると実質的包摂(生産手段による労働者使用の物象化)となる。★
・第十五章 労働力の価格と剰余価値の量的変動
労働日の延長は、労働力の価格をそのままに、価値を上げることが可能だが、再生産と活動は破壊される。ある階級が労働の自然必然性を別の層に転ずることで自由時間ができることから、労働日短縮の限界は、自然必然性からなる労働や普遍性である。★
・第十六章 剰余価値を表す種々の定式
剰余価値率=剰余価値m/可変資本v=剰余価値/労働力価値=剰余労働/必要労働★
古典派経済学では、生産物価値と労働価値を同視していることから、労働者と資本家の協同の偽りの外観を生む。資本は、A.スミスの言うように、剰余価値生産すなわち不払労働の指揮権である。★
・第六篇 労賃
・第十七章 労働力の価値または価格の労賃への転化
労働そのものは価値を生むものであるから、価値をもたず、売っているのは労働力であり、労賃が付けられるため、価格をもつように見える。労賃が支払われることは、必要労働と本来は区別された剰余価値に対する労賃が、不払いであることを覆い隠す。★商品売買は、使用価値であるという幻想をもつ。交換価値と使用価値は通約できないが、労働力の価値価格が労賃に変わり、労働の価値価格を規定する、その上労賃は後払いされる。★現象形態の背後にあるものは、科学によって発見されねばならない。重要なのは、本質的関係から現象形態がなぜいかに発生するか。★
・第十八章 時間賃金
一労働時間の価格=労働力一日の価値/慣習的な一労働日の時間数★
労働日の短縮により、必要労働分の労賃を支払わなければ、一労働日の価格が下がり、労働者は労働日の延長を求めるようになる。★
・第十九章 出来高賃金
一生産物あたりの労働価格=労働力日価格/平均労働による一日生産物★
出来高賃金は、労働監督を不要にし、労働強度を高くする。★自由感、独立心、自制心を発達させ、労働者同士を競争させる。★しかし、多く生産しても、標準化されれば一つの単価が下がるので、労働者の自発性は次第に高まらなくなることから、出来高賃金は採用されなくなっていった。★テイラー主義は、徹底した合理化により労働を資本の中に実質的に包摂する。
→ローティテイラー批判、トヨタ
・第二十章 労賃の国民的相違
強度の多い国民的労働は、同じ時間でより多くの価値、貨幣を生産する。労働力の価値も高いが、剰余価値に比した相対的労働力の価値は低くなる。★
・第七篇 資本の蓄積過程
・第二十一章 単純再生産
生産過程は、周期的に絶えず繰り返し同じ諸段階を通らなければならない、社会的生産過程は再生産過程なのである。★
→ニーチェ永劫回帰ではないが繰り返しと生長
労賃は、以前の労働生産物が転化した貨幣で支払われ、再生産する生活手段ファンドまた労働ファンド。★資本家が200ポンドの生活を剰余価値で賄うとき、1000ポンドの資本を5年で維持したことになり、それは他人の不払運動の物質化になる。★
貨幣が資本になるには、商品交換だけではなく、資本家と労働者が分かれている必要があり、単純再生産で資本主義的生産が永久化される。★"労働は彼自身から疎外され、資本家のものとされ、資本に合体されているのだから、""他人の生産物に対象化される"。★労働力は、人格を買う生活手段に転化される。★
→ドゥルーズ再生産
賃労働こそ、賃労働者を再生産する賃労働の条件であるから、生産手段との結びつきを回復した自由な労働に置き換えねばならない。★労働者に渡される資本は、労働者を再生産する、すなわち労働者の個人的消費は資本の再生産の一契機であり、労働者は、労働用具と同じように間接的に資本の付属物(経済的隷属)となる。★
→ドゥルーズ隷属
近代国家による労働者の移動の制限管理だけでなく、税による治安、公衆衛生、都市機能、社会保障制度の整備もまた、資本主義的生産様式の労働力再生産に寄与する。★
→ドゥルーズ管理、フーコー公衆衛生人口統計学
・第二十二章 拡大された規模での資本主義的生産過程 商品生産の所有法則の資本主義的取得法則への転回
剰余価値の資本としての使用、再転化は、資本の蓄積と呼ばれる。★単純再生産における価値増殖は資本家に消費されたが、資本蓄積は剰余価値が資本に転化され再生産が拡大する。★
貨幣の資本転化、①生産物は資本家のもの、②剰余価値は資本家のもの、③労働者は再び労働力を売ることができる。★「商品生産の所有法則」、生産物は生産者のものである。★
"賃労働がその基礎となるとき、はじめて商品生産は自分を全社会に押しつける。"★
剰余価値のうち、資本家の個人的な「消費ファンド」と資本蓄積に充てられる「蓄積ファンド」の分割は資本家の意志行為で決定される。★
資本家は、人格化された資本である限り、交換価値の増殖が推進的動機であり、より高度な社会形態の基盤となる物質的生産条件を創造する。★
現代化された資本家は、消費せずに資本を再転化する蓄積を「禁欲」として理解する。★
労働者数を増やすより、労働時間を延長した方が不変資本を増大せず剰余価値が増大する(労働力の弾力性)。★"資本は、富の二つの本源的形成者である労働力と土地とを自分に合体することによって、一つの膨張力を獲得する"。★
化学は、生産消費の排泄物を再生産過程の循環に投げ返すことを教え、新たな資本素材を作り出す。資本は固定ではなく、剰余価値の追加資本により絶えず変動する部分であり、合体される労働力、科学、土地は、資本の弾力的な力をなす。★古典派経済学は、資本を固定量と考える誤りを犯した、ジェレミベンサム。
・第二十三章 資本主義的蓄積の一般的法則
資本の構成は、①価値構成…不変資本(生産手段)と可変資本(労働力・労賃)、②技術的構成(素材)…生産手段と労働力に分かれ、これを「資本の有機的構成」と呼ぶ。★
蓄積の欲望が、労働供給を上回るとき、賃金上昇がなされる。剰余価値の生産(利殖)は、生産様式の絶対的法則であり、労働力が不払労働で追加資本の源泉を与える限りでのみ、労働力は売れる。★労賃は、不払労働の提供を条件とする。利潤が下がったり、不払労働が減少して、労賃が上昇しても、資本蓄積による剰余価値が減少すれば、再び労賃は下がる。資本の増加が搾取可能な労働力を不足にする、資本の減少が労働力の価格を過剰にする、すなわち蓄積は独立変数であり、賃金が従属変数である。★労賃上昇は、資本再生産の限界のなかにあり、資本主義システムを脅かす搾取度低下や労働価格上昇は排除されている。★
"人間は、宗教では自分の頭の産物に支配されるが、同様に資本主義的生産では自分の手の産物に支配される"。★
物象化が、商品生産、資本主義的生産過程に続き、資本蓄積の再生産過程で貫徹される。★
生産手段量の増大は、生産性の増大を表し、可変資本が不変資本に取って代わり、生産物の価値は下がる。★
生産力を増大させる方法は、剰余価値生産の方法であり、それ自身蓄積の形成要素である。★資本の再生産による蓄積、集積が他の資本家から収奪されれば、株式会社のように「集中」し、技術的構成の変革を拡大し促進する。★不変資本の拡大は、労働需要を減らし、資本の中位の増殖欲求から余分になる「相対的過剰人口」を生み出す。★相対的過剰人口は、産業予備軍となり、現実の人口と関わりなしに、いつでも搾取できる人間材料を作り出す。★
蓄積の進行は、①労働延長、強化によってより大きく、②同じ量で、③高級な労働力を駆逐することでより多くの低級な、労働力を流動させる。★
→ドゥルーズ流動
就業部分の増大は、相対的過剰人口の遊離を増大させ、逆に競争が過度労働と資本命令への服従を強制する。★資本運動の矛盾は、利潤が低下し低賃金のみに労働需要が発生するなど、大量失業と人手不足が同時に起こること。相対的過剰人口の4種類、①流動的形態(近代産業)、②潜在的形態(農村労働者)、③停滞的形態(家内労働)、④受救貧民(失業者、孤児貧児、堕落者、不具罹病者)。★相対的過剰人口は、富と一緒に増大し、貧困は労働苦に反比例し、受救貧民も増加する、これが資本主義的蓄積の絶対的一般法則である。★相対的過剰人口を蓄積と均衡を保たせておく法則こそが、資本主義的蓄積の絶対的一般法則。★それに対して労働者はアソシエーションで、標準労働日、19c末に社会保障、20c後半に福祉国家を勝ち取った。★
生産手段の集中は、労働者を劣悪な環境に密集させ、都市の「改良」に追いやられる。★
・第二十四章 いわゆる本源的蓄積
資本主義は暴力で労働者と条件を分離させ成立した。大土地所有者のもとで賃労働をしていた農民、自営農民いずれも共有地の用益権を与えられ家畜を放牧していた。農奴も共有地の共同所有者だった。封建家臣団の解体により、無保護なプロレタリアートが投げ出され、宗教改革でカトリック領地は没収され、十分の一税に保証されていた貧困農民の所有権は没収された。共有地囲い込み法案は、人民共有地を私的所有物にする人民収奪の法令。本源的蓄積は、生産手段(土地など)を取り上げることで、労働者と分離させ、労働力のみを売り物とさせることで、資本主義的生産様式を準備する。★前近代的農奴と奴隷は土地と生産手段の事実上の所有者だったが、近代的所有は物象の力によるので排他的である。★農村民は、都市工業のための無保護なプロレタリアートの供給と化し、適応できない者は乞食、盗賊、浮浪人となり、法律で投獄、拷問、死刑にされ、賃労働システムに適合するよう規律訓練された。★その結果、資本主義的生産様式を自明の法則として認める労働者が現れ、資本家の支配が完成する、すなわち利殖のために国家権力の利用することは本源的蓄積の契機である。★農民が営む紡績と織物は工業化され、彼らが市場となる。
大航海時代は、植民、国債、近代的租税、保護貿易システムを生み出し、国家権力という暴力でなされた、"暴力はそれ自体が一つの経済的な力なのである。"★国債による臨時費支出の結果、増税が必要となり、賃労働者を従順、倹約、勤勉にし労働の重荷を負わせる最良のシステム。★
"資本の本源的蓄積、すなわち資本の歴史的生成は、""直接的生産者の収奪、すなわち自分の労働にもとづく私的所有の解消にほかならない。"★
生産手段の私的所有は、小経営の基礎であり、社会的生産と労働者の自由な個性の発展の必要条件である。★小経営は、協業や支配や発展の資本主義的私的所有に駆逐されるが、資本家の数が減り貧困、抑圧、隷属、堕落、搾取が増大し、労働者の反抗も増大する、"資本主義的私的所有の最期を告げる鐘が鳴る。収奪者が収奪される。"★
資本主義の、全体的に発達した個人との矛盾、物質代謝との矛盾、相対的過剰人口の貧困との矛盾が、生産手段と結びついた個人的所有再建の労働者のアソシエーション、連帯の可能性を生み出す、すなわち否定の否定。★
・第二十五章 近代植民理論
私的所有、①生産者の労働によるもの、②他人の労働の搾取によるもの、③植民によるもの。資本主義的生産様式および蓄積は、労働者の収奪を条件とする。
・あとがき
"私たちが『資本論』を依然として読まなければならないのは、それがもっともラディカルな資本主義批判の書であるからにほかなりません。"
"資本主義を人類史の一つのプロセスとして位置づけ、広大な視野からポスト資本主義を展望することができます。"
"思考のうえでは近代社会システムの束縛から自由になり、創造的にその変革を構想することができる"。★ -
文献案内、「資本論」関連年表、索引がある。
500ページを超える。
1日2-3時間読んで1週間くらいかかりました。 -
マル経で、現代の価値や価格が捉えられるわけがないのは明らか。今の経済がどういうメカニズムで動いているのか、いまだに納得のいく説明を聞いたことがない。
本書はマルクスの資本論がどう批判されてきたかという部分に焦点が当てられてもいるようだったので、その今日的な意味を期待して、読んでみた。だが、ここにある引用と解釈は退屈で、掘り下げ方が甘く、私には期待外れだった。
また、翻訳の良否に言及しているが、原文との対比で例を挙げてみて欲しい。
著者にはマルクスが読めているという確信があるということだけは感じられるが、さて。 -
この本ではディーツ版の資本論の第一巻を紹介している。
資本論の実際の文章に、筆者の説明が補足されている。第一章しか読んでいないが著者の説明は、程よい程度で自分にはあっている感じがした。
時間があるときに続きを読もう。 -
資本主義が労働者を搾取し、そこから資本家に対抗するための労働組合ができあがる。それが、次世代の共同体の基礎をなす。そこから、共同体の中の個人的所有が実現される。
生産手段の共同占有のもとに個人的所有を再建する -
基礎知識もほぼない自分には難しかった…
佐々木さんのカールマルクスは読んでたけど、資本論そのものについての前提知識はそれ以外ないぐらいの状態で読んだ
特に第三篇の話が難解で、他の著作もあたってみようと思う
それでも、資本論の入門書としてその3分の1を概観することはできたのかなと思うと個人的にはとても満足だった
資本論自体を読む日が訪れるかは怪しいけど、これが下敷きになってくれることはたしかに思う
終わりには、文献案内ものっていて更なる知的好奇心をくすぐられる -
1年2ヶ月ほどかかったようだ。しかも、湯船に浸かりながらの読書だったので、ぽやぽやしててまばらな記憶になっている。それでも資本主義批判としては、当たり前だが論理的な展開で納得感がある。これからは、雑なマルクス主義と判別がつくようになるだろう。
-
齋藤孝
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・第一巻(のディーツ版)
・原典引用と著者による解説・解釈で構成
今まではほとんど知らなかった資本主義のメカニズムについて理解が深まったと思う。現実の賃労働者である自分という立場について、これまでより高い視座から資本主義や資本家との関係を見つめる事が出来そうな気がする。
インターネットによる繋がりやOSS活動などに新しく柔軟なアソシエーションの可能性があるのか?という所を自分なりに洞察していきたいと思う。
(第2巻、第3巻も頑張って読む) -
系・院推薦図書 総合教育院
【配架場所】 図・3F開架
【請求記号】 331.6||SA
【OPACへのリンク】
https://opac.lib.tut.ac.jp/opac/volume/455849 -
これでひとまず資本論は読んだということにしたい。
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東2法経図・6F開架 331.6A/Sa75m//K
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