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Amazon.co.jp ・本 (408ページ) / ISBN・EAN: 9784047037151
作品紹介・あらすじ
『純粋理性批判』の精緻な実現を記す『実践理性批判』。「義務論」を念頭に本書を読み解けば、作品とその思想について新たな姿が見えてくる。現在日本のカント研究を牽引する第一人者による最上の入門書。
みんなの感想まとめ
倫理学の核心を探求する本書は、カントの実践理性について深く掘り下げ、義務論の理解を促進する内容となっています。著者は、カントの議論を丁寧に追いながら、彼の「義務」の概念とその構造を明らかにし、読者に新...
感想・レビュー・書評
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2025/9?-2025/10/30
同著者の純粋理性批判の解説書に引き続き読了。カントの普遍的な議論が、ときたまマイクロプラスチックや地球環境問題といった現代的、すなわち時代に制約された例をもって論じられているのが少し好みではなかった。しかし、これはp.145, 146, 218などの一部分に限られるし、大きな問題ではない。内容的には『カント 純粋理性批判』(御子柴)よりも理解しづらかった。認識という日常的に行っている作業の再認に対して、アプリオリな道徳の可能性、神の存在、魂の不死といった普段考えないことが多いので読み通すだけでも一苦労だった。
実践理性批判の解説書は数少ないので、その意味でこの本は一冊持っておいて良いと思う。
以下、メモ。
第一章
カントの『実践理性批判』が「純粋実践理性批判」でないのは、純粋実践理性が存在すればそれは仮象を生み出すようなものではなく、前著の純粋(思弁)理性批判とは異なり、純粋実践理性自体を批判する必要がないからである。むしろ「純粋実践理性は存在するか」、あるいは同じことだが「アプリオリに純粋理性だけを根拠に意志決定を行うことができるか(道徳に普遍的な根拠を与える能力が我々にあるのか)」を示すことが目的となる。
さて、ここで実践的な理性使用とは、理論的な理性使用、すなわち「○○である」という認識を得るための理性使用ではなく、「○○であるべきだ」という主張をすることである。この実践理性自体は意志の規定に関わる。例えば、「喉が渇いたら水を飲むべきである」など。しかし、喉の渇きという不快は感性界で経験されるものであるから、経験的な原因である。ここで問題となるのは上で述べたのと同じ、「純粋理性は意思を規定するのにそれだけで十分か」ということである。当然、因果律に従う現象界に原因を求める限りこれは不可能である。しかし、『純粋理性批判』で証明も否定もされずに残った「自由」を要請すれば、純粋理性が無条件的な意思規定の根拠を与える理路が開かれる。
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これ以降は理解が甘いので再読が必要。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『実践理性批判』の内容を、カント自身の議論の展開にそくしてていねいに読み説いている解説書です。
カント倫理学といえば、義務倫理学の代表的な思想として知られており、多くの倫理学の入門書にその解説があります。しかし著者は、「カント倫理学を義務論として理解することに誤りがあるわけではありませんが、どのような意味でカント倫理学が義務論なのかという説明が不十分なのです」といい、「理解されるべきなのは、カントの用いる「義務」とはどのような概念であり、その「義務」づけの構造がどのようになっているのかということです」と述べています。こうした問題意識にもとづいて、本書ではカント自身の議論をたどることで、その内容に立ち入って検討をくわえ、カントの真意を読み説く試みがなされています。
『純粋理性批判』では、理性の思弁的な使用において経験の領野を離れて用いられるために、われわれがアンティノミーに陥ってしまうことが明らかにされました。カントはこうした純粋(理論)理性の機能と意義を、理性の自己吟味というかたちで示しました。これに対して『実践理性批判』でおこなわれるのは、純粋実践理性の批判ではありません。実践理性のうちに、われわれの意志を経験的に条件づけられることなく規定することのできる純粋実践理性を見いだし、それによってわれわれの道徳的行為の自由を基礎づけることがカントのねらいでした。
本書は、こうしたカントの意図を明確にしたうえで、普遍的な道徳性の原理を提示した『道徳形而上学の基礎づけ』との関係にも触れながら、その議論の道筋をたどっています。
本書とおなじ「シリーズ世界の思想」から刊行された『カント純粋理性批判』(2020年、KADOKAWA)以上に、原著にそくした解説が徹底されているような印象を受けました。
著者プロフィール
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