物語消滅論―キャラクター化する「私」、イデオロギー化する「物語」 (角川oneテーマ21)

著者 : 大塚英志
  • 角川書店 (2004年10月1日発売)
3.23
  • (6)
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  • (72)
  • (3)
  • (1)
  • 本棚登録 :276
  • レビュー :19
  • Amazon.co.jp ・本 (228ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784047041790

作品紹介・あらすじ

テロとの戦い、ファンタジーの世界的ブーム、ネットでの中傷による殺人事件…。いまや社会において人々を動かしているのは「物語」である。80年代後半にイデオロギーによる社会設計が有効性を失い、複雑化する世界を見通すことが出来なくなった時、人々は説明の原理を「物語」の因果律に求めた。それは善と悪、敵対者、援助者など単純化された要素により成り立つ因果律である。それは分かり易さ故に人々を動員し政治をも動かし始めた。イデオロギーが「物語」に取って代わられた時代、世界はどこへ向かうのか?そのリスクはいかなるものなのか?「物語」が「私」と「国家」を動員し始めている。

物語消滅論―キャラクター化する「私」、イデオロギー化する「物語」 (角川oneテーマ21)の感想・レビュー・書評

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  • 世の中、物事を物語(単純な因果、役割)で認知する人が増えていることを主張。
    マルクス主義に代わるイデオロギーが無いために、物語がとってかわっている。
    その点は、資本主義が最後であるという、「歴史の終わり フクヤマ」と通じる話

    対処として、文芸批評、文学の復活を唱えているが良く分からなかった。
    サブカルチャーと文学の違いも分からなかった。

    また、物語自体の創作が工業化可能な指摘とその可能性についても
    興味ある内容があった。作者が消える世界があるのか。
    フーコー的、ポストモダン的な主体性批判の議論につながる。

    自分自体がキャラクターとして設定され、ふるまう生活。主体が”真”には存在しない時、物語の役者と同様に各人はキャラクター化される。

    その時、自分でキャラクターを選らぶことで、生き方、生きやすさを選択できるのかが自分の興味。

  • 後ろから読むとちょうどいい。結局は高度消費社会における一切の商品化の中で言葉の誠実さの如何について論じているわけだが、結局は「大衆社会」への苛立ちや焦燥が著者の心底にあるのではないか。パコソン見過ぎると無常ばかりが見える、というか、次々と流れ行くメディアを前にして永遠を装う無常に如何に対処するかということに躍起になっている感あり。山や月やを、、。

  • 語りおろしであるせいか、大塚英志の思想が簡潔に語られていて、過去の本を読んでピンと来なかった人には参考になるだろう。しかし、彼の思想のつまらなさ・雑さみたいなものも同時に見えてしまう

  • 物語がイデオロギー化しているとしたら、それはやっぱり、物語は「大きな物語」を語りたがっているということかも。

  • 「リアルのゆくえ」で感じた大塚と東の立場の違いを、「一般意志2.0」とこの本を読むことでより理解できたようにおもいます。現状認識としては概ね重なるが、その後のあるべきないしあり得るべき社会に関する構想が異なるのだと。手放すことのできないものと、それすら手放さなければならない絶望。あずまんの絶望は深い。大塚英志は一見シニカルなようにも思えるが、この本を読んで確信した。愚直なまでに誠実だし、理想を求めているひとなのだと。現代社会にあって可能なるあり方とはなんなのか、カルスタ的な停滞を越えて思考していく様は刺激的だし、学ぶ部分も多い。あずまんと大塚の違いとして、脱構築していくか普遍的なものに向かうのかという部分があって(あずまんが脱構築の帰結として適切かどうかは別として)、じゃあわたしはどちらにいくんだろう、と。ゆっくり考えたい。

  • 80年代、著者は「物語消費」という考え方を発表しました。「物語」を求める動きはその頃から顕著になり、マルクス主義という「大きな物語」の権威が失墜する中で、フェイク・ヒストリーを求める潮流が顕著に見られるようになります。たとえば村上春樹や中上健次、さらに『ガンダム』の富野由悠季らが、こうした思考をはっきりと示していると著者は述べています。

    その後、よりシンプルな物語が求められるようになり、片山恭介の『世界の中心で愛をさけぶ』など、「泣ける」「感動する」といったリアクションを引き出すサプリメントとしての物語が好評を博します。さらに、「物語消費」から東浩紀のいう「データベース消費」へと消費の形は拡散・細分化していきました。

    こうした動向を踏まえた後、著者は近代文学の起源についての考察へと移ります。田山花袋の私小説が描き出したような「私」も、私小説という言説の中で生み出された一つのキャラクターであったと著者は論じます。こうして形成された近代的自我は、現代になって衰退し、物語消費がデータベース消費へと移って行ったのと軌を一にして、「私」を情報に解体しキャラクターの「属性」と呼ばれるような情報の束として認識される事態が見られるようになりました。

    著者は、いずれこのような世界と私の把握の仕方が一般的になるのかもしれないと認めながらも、一方で「世界」や「私」が拡散してしまったために苦しんでいる人間がいるのであれば、近代文学の成立と同様のプロセスを通じて「私」を立てなおすことが有効なのではないかと論じています。

    近代文学的な「私」が健在だったころ、そうした「私」は社会を動かしていく主体として把握されており、それに対応して現実は主体によって作られていく進化論的な枠組みが取られていました。他方キャラクター的な「私」は、比較的単純な物語の構造に依拠した、説話的な歴史の枠組みと神話的だと著者は論じています。このため、物語はきわめて実用的な社会工学となりうることに、十分に注意しなければならないと著者は警告を促しています。

  • 古本で200円

  • [ 内容 ]
    テロとの戦い、ファンタジーの世界的ブーム、ネットでの中傷による殺人事件…。
    いまや社会において人々を動かしているのは「物語」である。
    80年代後半にイデオロギーによる社会設計が有効性を失い、複雑化する世界を見通すことが出来なくなった時、人々は説明の原理を「物語」の因果律に求めた。
    それは善と悪、敵対者、援助者など単純化された要素により成り立つ因果律である。
    それは分かり易さ故に人々を動員し政治をも動かし始めた。
    イデオロギーが「物語」に取って代わられた時代、世界はどこへ向かうのか?
    そのリスクはいかなるものなのか?
    「物語」が「私」と「国家」を動員し始めている。

    [ 目次 ]
    第1章 創作する読者と物語るコンピュータ(「物語」がイデオロギーを代行する時代とは;記号的価値としての「物語」 ほか)
    第2章 キャラクターとしての「私」(都市伝説と集合的な作者;「現実」は明治三十年代に作られた ほか)
    第3章 イデオロギー化する「物語」(新化論的な因果律の消滅した世界;「キャラを立てたい」日本 ほか)
    あとがき なぜ、ぼくは「近代的言説」を「擁護」しようとするのか

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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 物語的な因果律で最近みんな動いてるんじゃないの?って話は『キャラクター小説の作り方』の方で既に書かれていて、そこからとりあえずどうしていくべきかという話を本著で語っていた。
    ひとまず近代的言説で急場は凌ごうと言葉で言うのは簡単だけど、具体的にはどうしたらいいんでしょうね。
    話の上ではうまくいきそうな風に聞こえるけど、どうにも曖昧模糊としていてもやもやが残った。

  • 消費論、その後。

    プログラマに学問としての文系学科出身が多いのがなんとなくわかった。

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