憲法力―いかに政治のことばを取り戻すか (角川oneテーマ21)

著者 :
  • 角川書店
3.28
  • (1)
  • (3)
  • (14)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 41
レビュー : 8
  • Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784047100053

作品紹介・あらすじ

「国民」である前に「有権者」たれ。「憲法力」とは「ことば」への信頼である。「憲法」を裏切り続けることで、「ことば」を裏切り続けた政治に私たちから終止符を打つ方法とは。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • 社会主義の筆者
    最終的に憲法改正には反対なのだなと。
    憲法改正の良否は、知識不足により判断つかず。
    安直に60年前、かつ敗戦後にできた憲法は、ものすごい勢いで変化した日本にマッチしていないとは思っているものの、やはり知識が足りなすぎるな。。。
    柳田國男さんの件りはいろいろ気付きがあったな。

  • 大塚英志は憲法を通じて"ことば"を取り戻すことを訴える。押し付けでもなく、借り物でもない自らの言葉。

    日本という国のあり方を決める憲法を自らのことばで書くこと。自ら護憲派であり改訂の必要はないという立場を取りながらも、専門家でもなく官僚でもなく自らのことばで書くということの必要性を述べている。

    本書は日本国憲法の専門書ではない。日本国憲法はどういう経緯で書かれたのか、GHQが意図したこと、日本政府が意図したことなどごく簡単に歴史的経緯は踏まえてあるものの、本書の意図はそれよりも自らのことばで考えようということの啓蒙にあると思う。

    <blockquote>伝わらないからこそ伝えなくてはいけない。わからないからこそ、わかろうとする。ところが「共通の心があるからわかる」といった時に、ことばはいらなくなってしますわけです。しかも、その「共通の心」に保管されないものは、すべて異物としてて気になっていきます。だから大切なことは、「お互いがわからない」ことをみとめあい、「だからことばがひつようだ」「ではどういうことばがひつようなのか」という議論を立てていくべきなのです。(P.78)</blockquote>


    大塚は憲法前文草案にある主語に注目する。これを大塚の教える学生の殆どは私と訳した。「我々」なのか「日本国民」なのか。

    <blockquote>憲法下において規定された「私」は、日本人としての「私」ではなくて、「有権者」としての「私」なのです。だからこそ、国家に対してコミットするときに、われわれがどういう責任を追うのかを考えなくてはいけないのです。その責任は、あくまでも「個」を出発
    点としてパブリックなものを形成していくことにおいての責任です。
    (中略)「国民」や「日本人」であることは、それぞれの自由ですが、「公民」としての「私」はすべての人々に「責任」として要求されるのです。(P.81)
    </blockquote>
    昨今、自分語りが増えた。誰にとっても自分が特別なことは確かだが、公に語ることばを持たず私が、俺がと自分語りに終始する。学生を見ているとそういう風潮が強くなったと大塚は語る。"戦後の社会の中で言葉が如何に空疎化してたのかが問題"であるとし、これが憲法九条と関係するという。ひとつには戦争をしない、軍隊を持たないと決めた憲法九条に対して日本は事実の方を徹底して歪めていった。あれは軍隊ではない。あれは自衛のための組織である。解釈では派兵は可能だとか何とか。


    いわゆるネトウヨと言われる人たちやへサヨと言われる人たち。右も左もこの空疎化した言葉の問題が絡んでくると自分は考える。大塚は「文学の問題」とし、自らが育んできたオタク・オタク文化に対してケジメをつけようとしているようにも読めた。

    <blockquote>戦後のアニメ誌に徹底して「第九条」の精神を見て「おたく」の根拠を日本国憲法に置こうとさえしているササキバラ・ゴウのような、直球で理念や倫理をかたるこっとが、実は以下に大切か。「偽悪」より、「偽善」の方がはるかに困難でラディカルなのです。(P.206)</blockquote>

    <blockquote>その時、建前と本音の使い分けを日本人の本質論に回帰させてしまうのは、実は問題のすり替えでしかないと思います。少なくとも、戦後社会がことばを裏切り続ける過程で、日本人の特質とされる建前と本音の使い分けが「憲法」をめぐってできあがってしまった。(P.206)</blockquote>

    2005年に上梓された本だが10年近くの時を経てますます右傾化する日本社会。閣議決定で9条の解釈を変えてしまういまの世に改めて世に問いかける一冊。

  • 【9】

  • 柳田国男は、第1回の普通選挙がおこなわれたとき、人びとが一人の有権者として行動するのではなく、地域的な共同体による利益誘導に簡単に囲い込まれてしまったことを見て取り、「個としての有権者」の不在を嘆きました。著者は、柳田が嘆じたのと同様の状況が、現在のムード的なナショナリズムにも見られるのではないかと論じています。

    その一方で著者は、「憲法前文を自分で書いてみる」という運動を続けています。その中で、中高生が「固有の私」から出発して、互いに異なる人びとが作り上げる公共性への道筋をたどっていったことに、驚きを感じたと述べています。著者は、言葉を通して、「固有の私」から「公共性」を立ち上げていく、柳田国男が求めたような有権者の誕生を目の当たりにしたのです。

    さらに著者は、日本国憲法が「悪文」だという改憲論者たちの批判に答えるため、作家の池澤夏樹による日本国憲法の「新訳」を紹介し、現在の憲法の文章を作ることで戦後民主主義の理念としての公共性を作り上げようとした人びとの歩んだプロセスを追体験することになるのではないかと論じています。

    ムード的な改憲論者たちよりもはるかに真剣に、公共性の再構築をめざす著者の姿勢には、すなおに頭が下がる思いがします。

  • 私は法律屋ではないので専門的なことはわかりませんが、二十歳になるに先駆けて読みました。
    自分がどのように「国民」であり「有権者」であるかを、真面目に考えつつ選挙権を行使したい。

  • ¥105

  • マンガとかサブカル系のものを本屋で立ち読みしてばっかりだったこのひとが、もうほとんどベタってかんじで書いてる。今のおとなにかけているのが公民権を行使するのに必要なチカラだ、つぅ話なんだが、柳田國男、田山花袋、ラフカディオ・ハーンを取り上げて日本の近代化を説明しているくだりがわかりやすい。

  • 俺も憲法前文書いてみてーなって思った。
    歴史学的に現行憲法を語るのが意外と斬新。民俗学の柳田國男センセイとかさ。ありそうでなかった本。

全8件中 1 - 8件を表示

著者プロフィール

大塚 英志(おおつか えいじ)
1958年生まれ。まんが原作者、批評家。国際日本文化研究センター研究部教授。まんが原作者としての著書に『多重人格探偵サイコ』(田島昭宇画)『黒鷺死体宅配便』(山崎峰水画)、民俗三部作『北神伝奇』『木島日記』『八雲百怪』(森美夏画)、『恋する民俗学者』(中島千晴画)など。
評論では『「捨て子」たちの民俗学――小泉八雲と柳田國男』(角川選書/第5回角川財団学芸賞)、『公民の民俗学』(作品社)、『怪談前夜 柳田民俗学と自然主義』『殺生と戦争の民俗学』(ともに角川選書)などがある。

大塚英志の作品

ツイートする