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Amazon.co.jp ・本 (178ページ) / ISBN・EAN: 9784047101470
作品紹介・あらすじ
「俳句」に秘められた閃きと発想力は何なのか? 芭蕉は最高の「脳トレ」をしていた?! 脳科学者と俳人が語る俳句の魅力と俳句の深さ。異色の日本人論。
みんなの感想まとめ
言葉の余白や深い世界観を表現する俳句の魅力を探求する一冊です。著者は、俳句が持つ独自の美意識や発想力を、脳科学の視点からも解説しています。特に、俳人が自然に向き合い、日々の体験を通じて言葉を紡ぐ過程が...
感想・レビュー・書評
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茂木さんのパートは、
『俳句はその余白も含めて、「ある世界観全て」を表現している
一方短いワードとして共通するものとして格言や引用などがあるが、こちらはある体系の一要素に過ぎない。』
という部分が残った。
黛さんのほうが全体的に感銘を受けた
『俳人は、言葉を考えるときに足で稼ぐ。たとえばスミレを歌おうと思えば山に毎日通いつめスミレに対して屈み、向き合うということを徹底的にする。その緊張の日々の中で、例えばシャンプーをするなどという緩和の瞬間に言葉が降りてくる』
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知らず知らずのうちに身につけている日本人らしい美意識を自覚的に知る上で役に立つ。ぼんやりとわかっていても,ちゃんと言われると納得できる。「脳」をだすなら,もう少し科学的にしてほしい。
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【芝蘭友のトップストーリーニュース】vol.21で紹介。http://www.shirayu.com/letter/2009/000066.html
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俳句を習っているので、黛まどかさんの句作の話は、隅々までとても参考になった。なんとなくもやもや感じていたことが、明文化されていて、すっきり。
「短歌は情熱の詩であり、俳句は諦めの詩である。短歌は懺悔の詩であり、俳句は祈りの詩である。」
ものすごく納得した。
茂木健一郎と黛まどかの対談もおもしろかったけど、何にでも○○脳と名付けるのは違和感。 -
・第二部 ひらめきと美意識-俳句脳対談 多様性が文化を創造する
橋本内閣が組閣した当時、ニューヨークタイムズ東京支局長が
著者の一人である俳人・黛まどか氏を訪ね
「新聞・週刊誌の短歌、俳句、川柳のコーナーへの投稿、
お茶のペットボトルやキャンディの袋にまで詩が書いてあり、
世界中で詩が低迷している昨今、こんな国はどこにもない」
というようなことを言ったとのこと。
実に興味深い。
”詩”的な表現(?)だが、このときは通勤時で
ちょうど奥田民生の「さすらい」がイヤホンから響いていた。
「詩」とは何なのかとつくづく思った。
すぐにgoogleに頼るのは悪しき習慣なので、pomeraという事もあり辞書を引いてみた。
以降、使用した辞書は
三省堂 新明解国語辞典 第四版
である。
詩:(1)文学の一形式。自然の美しさ、人生の哀感、社会への憤りなどを、
一定のリズムを持つ縮約的表現で述べたもの。
[広義では、渇き切った現代人の心に憩いを与える純粋で清らかなものをも意味する]
(2)「漢詩・詩経」の略。
なるほど、(1)、(2)の意味とも遠く義務教育で習った気もするが、今となっては定かではない。 -
勉強になりました。
堅物と呼ばれようと型は守ります。
個性は自由にしていれば伸びるものではなく、型にはめられ押しつぶされてもはみ出てしまうものが真の個性であるとの思いを再確認しました。 -
俳句というのは 季語 がとても大切なものだということが
今回読みながら 痛感した。
手紙を書いたりする時に 以前は時候の挨拶を書いていたが
いまは、メールがほとんどなので 季節の言葉など
あまり考えることもなくなったが・・・
季語という 季節の移ろいを 17音の中に
取り入れていくという 俳句の 厳しい規則と
その言葉が 自然の破壊のなかで
少しづつ消えていこうとしている ということが
ひたひたと・・・感じられる本だった。
その季語が ある意味では 1000年近くの連綿とした
歌詠みの世界が存在していて・・・
その言葉が たくさんの歌人 そして俳人によって
読み込まれることで よりくっきりと 風景が呼び覚まされる。
『遣らずの雨』という言葉の持つ
ヒトに対する 深い思いやりが ずっとしみるようになった。
芭蕉の 『古池や蛙飛び込む水の音』は・・・
『古池に蛙飛び込む水の音』ではない指摘が
俳句の 切り立った表現が よく見える。
『古池に蛙飛び込む水の音』
一連の 蛙の 動作を スローモーションのように
その風景を 思い浮かべさせる。
『古池や蛙飛び込む水の音』
は 古池という シーンと 蛙が飛び込むシーンが
二つに場面が分かれている ということが すごいと思った。
ミメロギアの練習によって 言葉の持つ クオリア
ということが 私の中でずいぶん理解されてきたが・・・
俳句についても 手習いを はじめたい とおもった。
俳句、短歌、そして 詩 を 詠むことは
言葉の クオリティを高めるためにも 必要な作業と
痛感した・・・・。 -
なんでも脳つけたがる
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[ 内容 ]
俳句と脳。
日本人のひらめきの原点は俳句にあり。
[ 目次 ]
第1部 俳句脳の可能性(茂木健一郎)(言葉を持たない感覚 言語の不思議な営み 「五・七・五」という余韻 ほか)
第2部 ひらめきと美意識-俳句脳対談(茂木健一郎 黛まどか)(俳句がひらめくときと脳 「はまる」メカニズム 俳句は革新の歴史 ほか)
第3部 俳句脳-ひらめきと余白(黛まどか)(俳句の魅力 暮らしに俳句があった頃 日本人らしい日本人に ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
11.1.1 年末の新聞整理で見つけた読みたい本。
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俳句とは、言葉と脳のバトルでしょうか。
季語や切れなどのルールに従うと共に、それにも囚われないこと。
「月日」、「蛍狩」、「花冷え」、「遣らずの雨」、「わたくし雨」、「薄紅葉」...
日本には素晴らしい言葉がたくさんあります。 -
私が嗜んでいるのは短歌ですが、通じる部分があります。
読むと身の引き締まる思いがします。 -
いきおいではじめていた俳句だけれど、いかんせん勉強不足。
茂木さんと黛さんの会話も楽しいけれど、やはり黛さんの俳句への思いや考えかたに感銘。
また、はじめてみようか。
道端にしゃがみこんで、一瞬の心の動きや、生きるものへの感謝驚きを切り取ってみたいと、
そんな風に思わせる良書。
俳句入門の入門としてもお勧めです。 -
俳句というと、古風な日本の文化(文学)というイメージを持っていた。
この対談やそれぞれの考えを読むにつけ、見事にそのイメージが一新された。
なんと豊かな芸術であることか。
制約の中に美を求める日本らしい芸術ではあるが、
現在、世界に広まりつつあるこの俳句という世界は、
生き方そのものなのだ。
つまり、日々の生活の中に見出したものを表現するということは、
芸術に生きるということ。生き方が芸術になるのだ。
会ったことや、話す様子を見たことはあまりないけど、
黛まどかという人からは何か凛としたものを感じる。
それは芸術に生きているからなのだろう。
俳句を通して、日本語の美しさも再発見させられた。 -
俳句や短歌、詩などの、空白を補って読む表現形態に興味がわいてきて、手に取った本。
2人がそれぞれ俳句について語り、対談も掲載されている。茂木健一郎が俳句を評価するわけは以下の通り。
説明されていないもの、言語化されていないものを「摑もう」「感じよう」とする意思は、内なる感覚を総動員して臨む能動的な行為となるので、自分の全体性が引き出されやすい。(略)要するにその句に自分なりの感覚を持つに至るのだが、その感覚こそが自分自身のクオリアである……とのこと。
また、『草枕』の「こんな時にどうすれば私的な立脚地に帰れるかと云えば、おのれの感じ、そのものを、おのが前に据え付けて、その感じから一歩退いて有り体に落ち着いて、他人らしくこれを検査する余地さえ作ればいいのである」という箇所をひいて、これを漱石による俳句脳の説明だと位置づけている。
対談では、一句が出来る際、苦しんだ時ほど最高のドパーミンが出ると解説する。
苦しむことが出来るのも一つの才能です。天才とは努力の仕方を知っている人です。努力は苦しいものですから、つまり天才とは苦しみ方を知っている人なんですよ……という部分が印象に残った。
まどかさんの俳句に対する熱い思いもよく伝わってきた。
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癒し本
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茂木健一郎と俳人の黛まどかさんとのコラボ本。対談もあり。俳句とは、五・七・五の中に言葉を詰め込んで、読み手に季節を含んだ味わいある情景を浮き上がらせる芸術なのだなと思った。俳句を通して、詠み手や読み手は日本古来の季節の移り変わりに対する感性を磨いていくことができるらしい。おもしろかった。
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日本語の美しさを大切にすることや、字数制限の中で表現力のある句を読めたときの喜びは理解できるが、この本を読んだだけではどうも俳句を作ってみようという気にはなれないのが不思議。実例がほとんど載ってないためだろうか。
著者プロフィール
黛まどかの作品
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