俳句脳 ――発想、ひらめき、美意識 (角川oneテーマ21 A 85)

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  • Amazon.co.jp ・本 (174ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784047101470

作品紹介・あらすじ

俳句と脳。日本人のひらめきの原点は俳句にあり。

感想・レビュー・書評

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  • 季節を感じる。
    さまざまな人生経験を通し、余白を見る。
    日常のささいなこと。

    脳科学者である茂木健一郎氏と俳人である黛まどか氏。
    各々の俳句論と、対談が載せられた一冊。

    ******
    以下3点、自身の中で留めておこうと思った。

    ①日常のささいなことを大切に。

    日常から生じた言葉というひらめき。
    繊細な言葉を育んできた民族である日本人だからこそ

    「花冷え」:単に寒いでなく桜が咲くころの冷え。
    「花筵(はなみしろ)」「花衣」「花の客」「花の雨」桜:日本人にとって特別
    「遣らずの雨」
    :訪ねてきた人を帰らせないために降る雨 帰ってほしくないと大切な人

    「桜狩」「紅葉狩」「蛍狩」「虎が涙雨」
    朧月だな 菜種梅雨だな 薄紅葉だな

    ポエティックなことばを知ることで発見が増え、感性が磨かれる。
    感性と語彙、それは車輪。俳句とは車輪を回し続けること。
    ピアニストが練習を続けるように、俳句の畑を耕し続ける。

    ②ひらめきには弛緩と緊張。
    ただシャンプーをしているときにぱっとひらめく。
    再発見。直感というより体験。ひとつのモチーフをめぐって体験が重なる。
    豊かさとは視点をたくさんもつこと。

    「日常の目」「表現する目」(畑)「詠む目」(表現しようとする目)
    実態の背後にある真理、普遍的な真理、奥底に隠された真理が見えてくる。
    贅肉を付けすぎると濁っていく。 

    ③俳句「定型」「季語」「切れ」「余白」言葉にならない余白こそ意味がある
    意味は動かないけれどもイメージは広がる=いい俳句

  • 茂木さんのパートは、
    『俳句はその余白も含めて、「ある世界観全て」を表現している
    一方短いワードとして共通するものとして格言や引用などがあるが、こちらはある体系の一要素に過ぎない。』
    という部分が残った。

    黛さんのほうが全体的に感銘を受けた
    『俳人は、言葉を考えるときに足で稼ぐ。たとえばスミレを歌おうと思えば山に毎日通いつめスミレに対して屈み、向き合うということを徹底的にする。その緊張の日々の中で、例えばシャンプーをするなどという緩和の瞬間に言葉が降りてくる』

  • 知らず知らずのうちに身につけている日本人らしい美意識を自覚的に知る上で役に立つ。ぼんやりとわかっていても,ちゃんと言われると納得できる。「脳」をだすなら,もう少し科学的にしてほしい。

  • 【芝蘭友のトップストーリーニュース】vol.21で紹介。http://www.shirayu.com/letter/2009/000066.html

  • 俳句を習っているので、黛まどかさんの句作の話は、隅々までとても参考になった。なんとなくもやもや感じていたことが、明文化されていて、すっきり。
    「短歌は情熱の詩であり、俳句は諦めの詩である。短歌は懺悔の詩であり、俳句は祈りの詩である。」
    ものすごく納得した。

    茂木健一郎と黛まどかの対談もおもしろかったけど、何にでも○○脳と名付けるのは違和感。

  • 人は言葉によって世界を切り取っているから、身の回りのものや経験から得た感覚を表す言葉を知る、またはその逆をすることによって世界の見え方が変わっていく。そのことを再発見させてくれた。

    そう思っていろんな言語を学ぶと、その言語を操る人々がどのように世界を切り取って見ているのか知ることができるかもしれない。

  • ・第二部 ひらめきと美意識-俳句脳対談 多様性が文化を創造する
    橋本内閣が組閣した当時、ニューヨークタイムズ東京支局長が
    著者の一人である俳人・黛まどか氏を訪ね
    「新聞・週刊誌の短歌、俳句、川柳のコーナーへの投稿、
     お茶のペットボトルやキャンディの袋にまで詩が書いてあり、
     世界中で詩が低迷している昨今、こんな国はどこにもない」
    というようなことを言ったとのこと。

    実に興味深い。
    ”詩”的な表現(?)だが、このときは通勤時で
    ちょうど奥田民生の「さすらい」がイヤホンから響いていた。


    「詩」とは何なのかとつくづく思った。
    すぐにgoogleに頼るのは悪しき習慣なので、pomeraという事もあり辞書を引いてみた。
    以降、使用した辞書は
     三省堂 新明解国語辞典 第四版
    である。


    詩:(1)文学の一形式。自然の美しさ、人生の哀感、社会への憤りなどを、
         一定のリズムを持つ縮約的表現で述べたもの。
        [広義では、渇き切った現代人の心に憩いを与える純粋で清らかなものをも意味する]
      (2)「漢詩・詩経」の略。


    なるほど、(1)、(2)の意味とも遠く義務教育で習った気もするが、今となっては定かではない。

  •  勉強になりました。
     堅物と呼ばれようと型は守ります。
     個性は自由にしていれば伸びるものではなく、型にはめられ押しつぶされてもはみ出てしまうものが真の個性であるとの思いを再確認しました。

  • 俳句というのは 季語 がとても大切なものだということが
    今回読みながら 痛感した。
    手紙を書いたりする時に 以前は時候の挨拶を書いていたが
    いまは、メールがほとんどなので 季節の言葉など
    あまり考えることもなくなったが・・・

    季語という 季節の移ろいを 17音の中に
    取り入れていくという 俳句の 厳しい規則と
    その言葉が 自然の破壊のなかで 
    少しづつ消えていこうとしている ということが
    ひたひたと・・・感じられる本だった。

    その季語が ある意味では 1000年近くの連綿とした
    歌詠みの世界が存在していて・・・
    その言葉が たくさんの歌人 そして俳人によって
    読み込まれることで よりくっきりと 風景が呼び覚まされる。
    『遣らずの雨』という言葉の持つ 
    ヒトに対する 深い思いやりが ずっとしみるようになった。

    芭蕉の 『古池や蛙飛び込む水の音』は・・・
    『古池に蛙飛び込む水の音』ではない指摘が 
    俳句の 切り立った表現が よく見える。

    『古池に蛙飛び込む水の音』
    一連の 蛙の 動作を スローモーションのように
    その風景を 思い浮かべさせる。
    『古池や蛙飛び込む水の音』
    は 古池という シーンと 蛙が飛び込むシーンが
    二つに場面が分かれている ということが すごいと思った。

    ミメロギアの練習によって 言葉の持つ クオリア
    ということが 私の中でずいぶん理解されてきたが・・・
    俳句についても 手習いを はじめたい とおもった。
    俳句、短歌、そして 詩 を 詠むことは
    言葉の クオリティを高めるためにも 必要な作業と
    痛感した・・・・。

  • なんでも脳つけたがる

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著者プロフィール

俳人。神奈川県生まれ。1994年、「B面の夏」50句で第40回角川俳句賞奨励賞。2002年、句集『京都の恋』で第2回山本健吉文学賞。2010年4月より1年間文化庁「文化交流使」として欧州で活動。スペインサンティアゴ巡礼道、韓国プサン~ソウル、四国遍路など踏破。2021年より京都×俳句プロジェクト「世界オンライン句会」を主宰。著書に、句集『B面の夏』『忘れ貝』『てっぺんの星』、紀行集『奇跡の四国遍路』、随筆『暮らしの中の二十四節気』など多数。

「2022年 『句集 北落師門』 で使われていた紹介文から引用しています。」

黛まどかの作品

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