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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784047263499
作品紹介・あらすじ
長期脳死のほのさんは着実に成長し、楽しく生きているんです。
みんなの感想まとめ
日常の中での愛情深いケアと、生命の尊厳について考えさせられる内容が描かれています。長期脳死状態にある「ほのさん」とその母親の生活を通じて、コミュニケーションの工夫や日々のケアの重要性が伝わってきます。...
感想・レビュー・書評
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臓器移植法改正について思うことなども詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
(2012、6/30三読)
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秋にも読んだ『ほのさん』の本を、「おとしだま」にするため購入。そしてまた読む。図書館の本ではめくれなかった表紙カバーをとってみる。カバーで3体並んでいたマトリョーシカの小さいひとつが「ほのさん」なのは見えていたが、隣に並んでいたのは「かあさん」「とうさん」だった。帯もついていて、「臓器提供側になりうる家族をご存知ですか?」と書かれていた。
秋に読んだときには、「かあさん、ほんとに大切なのはへその緒ですか? そうですか?」というのが、もひとつわかっていなかった。
「ほのさんとかあさんを繋げる、大切な大切なへその緒が切れた」と、そのせいでほのさんの人生が試練の連続になってしまったと、かあさんは随分自分を責めもしたという。
本の最後には「いのちの誕生を思い出そう」という文章が収められている。ほのさんのいのちと向き合ってきた時間を経て、かあさんはこう書いている。
▼私は、母と子の絆が切れてしまったかのように一度は思ってしまった自分を恥じ、大切なのは「へその緒」ではなかった、帆花のいのちそのものが、私を母親にしてくれるのだ、と気づいたのだった。これが、「ほのかあさん」誕生の、ものがたり…。(p.221)
出産時にへその緒が切れて、心肺停止となり、蘇生したものの脳に大きなダメージをうけたほのさん。「大人と違い、子どもは脳死とは言いません。いのちの続く限り、元気に成長します」と主治医は告げたが、人工呼吸器をつけられ、反応もないのに、元気に成長する、その意味が、かあさんととうさんにはわからずにいた。いつかは、その機械を止めてくださいと言わなければならないとも思っていた。
けれど、ほのさんの方から心にまっすぐ飛び込んでくるような「生きる意志」を感じ、病院の先生や看護師さん、スタッフがほのさんの命を尊び、ほのさんが何を思い、どのようにしたいかと問いかける姿を見て、とうさん、かあさんは、自分たちが感じていたことは過ちだと思うようになる。
▼…あの宣告の日、ほのさんのいのちが自分たちの手の中にあると思ったこと、自分たちの判断に委ねられていると思ったことは大きな過ちであり、人のいのちは、たとえ親であってもどうこうできるものではないと思うようになった。(p.154)
でも、臓器移植法の改正論議で、脳死は一律に人の死で、本人の拒否がなければ家族の同意で臓器提供できるとするA案にふれ、もしもすでにそんな法律があったとしたらとかあさんは考える。
▼「ほのさんのような状態=人の死」というような法律がすでに存在していて、まして、自分が親として置かれいる状況、娘の状態が冷静に判断できない精神状態で、もし、我が子の状態はこのままにしていても良くならないのなら、臓器を提供することで人助けができるのであれば…と、どんどん親の気持ちは自然と臓器提供の方へ傾いていくだろう。
時間をかけて、子どもの「生」を受け入れ、その「生」の価値と重みを感じ、「生きる意志」を感じる機会を奪われるのではないだろうか? ほのさんのように「長期脳死」で生きつづけるいのちは、「臓器移植」のために存在しているということなのか? (pp.154-155)
再び読んでも、ほのさんの「精いっぱい生きるいのち」の力を感じた。「ほのさんの生きたい!というその意志が続く限り、とうさんかあさんは、そのいのちを守っています!」(p.187)という思いと。
(2012、1/6再読)
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国本さんとこが出してるしぇあメール92号に紹介されていたおすすめ本。図書館にあったので、早速借りてきて読んでみる。
へその緒が切れて仮死状態でうまれ、"眠りっこ"となった「ほのさん」。人工呼吸器をつけ、うまれたときからNICU入院6ヶ月、一般小児科3ヶ月の入院を経て、ほのさんの在宅生活はスタートした。
この本は、かあさん・西村理佐さんがブログ「ほのさんのバラ色在宅生活」を書き始めてから3ヶ月(2009年3月~6月)の内容をまとめたもの。表紙には3体のマトリョーシカ(理佐さんは、マトさんに目がない)。よくみると、一番ちいさな右のマトさんは、表紙カバーの顔のところがくりぬいてあって、そこに顔を出してるのはほのさん。
"超重症児"のほのさんが在宅生活を始めるまでにも、始めてからも、「超重症」「子ども」「例が少ない」ために制度やサービスの枠からはみだしてしまい、地域で暮らしやすい環境をととのえることの難しさに何度もぶちあたってきたかあさんととうさん。
ほのさんのいのち、ほのさんの生きる力とともに、かあさん、とうさんの思いをひしと感じる本だった。気管切開して人工呼吸器管理にすることで在宅生活がおくれるとか、よく知らなかったこともいろいろあった。
▼かあさんが、このブログを通じてほのさんとの生活を綴るのは、在宅生活至上主義からではなく、ある家族のひとつの生活スタイルをとおして、「超重症児」と呼ばれる子どもたちの抱えている問題を、ありのままに伝えたい。そして、たくさんの方に知っていただくことで、それぞれの子どもたち、家族たちが、それぞれが望む方法で、穏やかで楽しい生活が送れるようになりますように、という願いからです。(pp.141-142)
人工呼吸器がくっついて生きているほのさんの、日々の様子を読みながら、母がもうすこし生きのびていて、呼吸器をつけることになっていたら、こんなケアが必要だったのかなと思った。ほのさんが痰詰まりで呼吸不全を起こし、文字どおり「死にかけた」話を読むと、寝ている間に痰を詰まらせて死んだ母は、あのときもう吸引が必要な段階だったのだろうかとも思う。
そして、機械で呼吸をしているほのさんのことを読んでいると、人工心肺をつけられそれを止めることで死を迎えた祖母のことをどうしても思い出してしまう。祖母は、もう心臓が破れてしまって救命不可能という状態で人工心肺を一時的につけられた。心臓死が人の死だというなら、もう死んでしまっている身体をわずかの時間、生きているかのように動かしていたのが人工心肺だったのだなあと今は思う。それは、ほのさんが気管切開してつけている人工呼吸器とは違う性質のものだということも、今はわかる。でも、ある時期まで私はやっぱり「機械で呼吸をする」という点で、ごっちゃにしていた。ほのさんのことを読みながら、そのことがはっきりわかった。
本にまとめられているのは、ちょうど1997年にできた「臓器移植法」の改正が国会審議され、いわゆるA案(年齢を問わず、脳死を一律に人の死とし、臓器提供については書面による本人の意思表示の義務づけをやめ、本人の拒否がない限り家族の同意で提供できる)が審議・可決された時期にあたっている。
本の後半は、ほのさんのような「長期脳死」といわれる子どもをもった母として思うことを、かあさんが綴っている。
▼…我が家がいま、どこの家庭にも負けないくらい、幸せな生活を送ることができているのは、ほのさんが、フツウの子と同じように、元気にスクスクと育っており、声にならない声で、かあさん、かあさんと呼びかけてくれているからであり、これは、強がっているのでもなく、無理しているのでもない。それが、一般に「長期脳死」と呼ばれる子たちの、いのちの、真実です。
だから、知らない人から見れば、痛々しいかもしれない、
残酷に生かされているようにしか見えないかもしれない。
でも、知っている人から見れば、
ひょっとしたら、誰よりも強い生命力で、
ただ生きることに精一杯なこのいのちの真実。
これを伝えたかった。 (pp.197-198)
読み終わって、3つのマトさんが並ぶ表紙にある「ほのさんのいのちを知って」というタイトルが、胸にすっと落ちた。臓器移植法の改正案が通ったあとに読んだ『いのちといのちの間で』を、また読んでみようと思った。この報告書も(医療的ケアを要する子どもの在宅療養支援体制の整備に関する基礎調査 http://hirokinanjo.com/doc/report_01.pdf)。
(2011、9/15了) -
臍帯断裂による低酸素脳症で「長期脳死」に近い状態となった「ほのさん」の日常を、「かあさん」が綴ったブログをもとにまとめた本。サチュレーションやリーク音でコミュニケーションを取る様子、経管栄養注入から排泄、目のケアまでピカピカにおこなっている様子に毎日のケアの意味を考えさせられた。また、脳死移植法案が意味するところは、ほのさんのような子供にとってはまさに「 法律一つで生か死かを決められてしまう」状態。それを国民あげての議論にせず拙速に決めてしまったことに対する疑問も、改めて考えさせられることになった。
自分には今のところ障害はなく、障害児を育てているわけでもないので、完全に理解することは不可能かもしれないが、解ろうとするための糸口になる本だった。
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