しあわせる力 角川SSC新書 禅的幸福論 (角川新書)

  • KADOKAWA (2010年1月9日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (204ページ) / ISBN・EAN: 9784047315129

作品紹介・あらすじ

かつて日本人は幸せを「仕合わせ」と書いた。なぜなら「しあわせ」は人間関係力によってしか生まれないと考えたからだ。現代社会を生きることに息苦しさを感じている人々へ玄侑宗久が贈る幸福論。

みんなの感想まとめ

人間関係に根ざした幸福の概念を探求する本作は、現代社会の中での生きづらさを感じる人々に向けて、心の豊かさを再考させる内容です。著者は「しあわせ」を「仕合わせ」と捉え、他者との関係性が幸福を生む重要な要...

感想・レビュー・書評

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  • 日数をかけてゆっくりゆっくり読みました。
    今、結ぶことのみが強調されているように思えます。だからこそ、開く。結びなおすために開く。手を打つことの大切さと面白さ。
    何事もそれがすべてだとは思わない。絶対だと思わない。相対化という言葉の中に、ゆらぎとは無常のことだと、無常とはゆらぎのことだと。
    玄侑氏の随筆は疲れたときに、ふっとページを開くと何かが確認できる本だと感じます。開かれる本だと思います。

  • しあわせは、仕合わせ。
    相手がいて、人間関係力によって実現するもの。
    なるほど、と思いました。

    また、目標通りの達成は怠慢、という考え方に目からウロコでした。未来は未来にならないとわからないことで、過去のある時点でたてた目標は、あくまでもその時点での可能性であり、たえず軌道修正が必要とのこと。
    なるほど、でした。

    禅的な考え方が私にとっては新鮮で、おもしろかったです。機会を作って他の本も読んでみたくなりました。

  • さらさらと読んだので、また読み直したいです。

  • 読みやすく、読むだけで落ち着く。

  • 语言游戏。 奈良时代的日本和语;「為shi合わせ」-天と私→室町时代「仕shi合わせ」-他人と私→shiに[さきわう(幸)]を当てる。人生は短い。他人の一面だけをとらえて、その人全てを嫌うのをやめようよ。システムの拡充「が考える心」を殺す。は、ずっと思っていたのでとても腑に落ちた。别话,我不信用神。

  • 和語としての「しあわせ」は、室町時代には「仕合わせ」と書いた。「さいわい」は「咲き(にぎ)わい」のことで、勝手に「幸」という文字の訓読みにした。この2つの和語に共通しているのは、相手がいて、その人間関係力によってのみ実現するということだ。西欧の物質的豊かさの幸せとは異なる。本書では、日本人が長年のうちに培ってきた独自の「しあわせ」や「さいわい」について、住職の著者が紹介する。

    第1章 日本人本来のしあわせ観とは
    第2章 システム化によって失われゆく日本人らしさ
    第3章 なぜ日本人はしあわせと思えないのか
    第4章 禅が考えるしあわせ
    第5章 息苦しいいまをいきるために

  • ■しあわせる力

    A.東洋と西洋の宗教で最も違うのは、「言葉」に対する考え方である。仏教や神道は、言葉というものを信用せず、言葉で説明してはいけない、とされる。一方、キリスト教の聖書では「初めにlogos(言葉)ありき」といわれる。

    B.獣に較べたら弱い人間が生き残ってこられたのは、集団で暮らしていたからで、こういった集団を作れる力が「しあわせる力」といえる。ところが、我々は人の世話にならないシステム作りを進めてきた。その結果、人間の本質的な力がどんどん衰え、コミュニケーション力も弱まった。

  • 先のことを決めてかかりたいのは先が不安だから。奇跡が起こる可能性までつぶして未来を結ぶ必要はない。
    歴史という流を語ることは人生に深みも与える。

    神様も仏様もアポイントなんてとらないでやってくる。

  •  坊さんはズルイ。この世間的にも認められている異様な世界観は、現実・実情といかに乖離していようとも、決して荒唐無稽とは評価されない。むしろ「ありがたい」ものとして祭り上げられる。でも、おそらくそれにも理由はあって、坊さんの広める世界観に「一理ある」から、いかに実情と離れていようが「ありがたい」ものとして考えられているんだろうな。

     さて、本書をあえて悪く表現するのであれば「坊さんが、実情も顧みず、好き勝手のたまう一冊」といったところ。ひょっとしたら、この本を読んだ感想として「好き勝手言いやがって! それができたら苦労しないっつーの!」くらいのものを挙げる人もいるかもしれない。しかし、思うに仏教思想的な世界観は、ある種の理想的な世界になっているのだろう。世界が完全に仏教思想を体現するものとなれば、そこには幸福度100%な世界が誕生するかもしれない(もっとも、これはあらゆる宗教・思想に言えることだけれど)。しかし、現実にそれは不可能だ。だったら、世界の一部だけでも少しずつ、幸福だと考えられる、仏教思想側にシフトさせることはできないだろうか。最悪、自分一人がそちら側にシフトし始めるだけでも、世界は幸福に近づくと言える。その際、参考になるのは玄侑さんのおっしゃる「好き勝手」なことなんだと思う。もちろん、既に書いたとおり、仏教思想だけが幸福に近づくルートではないので、本書に拠らなくてもそれはそれで結構なことだ。

     ところで、本書のなかで玄侑さんが批判しているのは、主に均質化に関することである。仏教思想から見た近代的思想の批判という意味で興味深いところも多い。


    【目次】
    はじめに
    第一章 日本人本来のしあわせ観とは
    第二章 システム化によって失われゆく日本人らしさ
    第三章 なぜ日本人はしあわせと思えないのか
    第四章 禅が考えるしあわせ
    第五章 息苦しいいまを生きるために
    おひらき

  • 子どもの頃から将来は何になるかと無理に言わされ、自分はそうなる人間だと思い込みながら大きくなっていく。まさに自分の経験と重なる。そして常々子どもたちには、このような思い込みを抱かせたくない。

  • 仏教的な見地から『幸せ』について考える。
    日本人は相手に応じて、わが身のあり方を変えていける民族である。

  • 日本で最近、西洋的なシステム化によって、幸せというものが、物質的な豊かさ、便利さといった方向に向いている。元来日本では偶然を楽しみ、人との関係性で感じて来たしあわせがあった。絶対化しない、矛盾を生きるといったことも大切だよっといった内容の本。
    読みやすいが、深さ、目新しさはあまりなかった。

    以下、読書メモ。
    ・元来日本では神様、仏様も、また仏教宗派も横並び、お茶も横並びで、その時のお好みで。
    ・スタンダード⇔無分別(禅)
    ・無宗教=無意識化で来ている=あって当たり前(仏壇、神棚、クリスマス)
    ・うつろいゆく関係性=縁起と無常
    元来日本人は変化を楽しむ
    ⇔個性という言葉=私はこういう人間
    ・むすんでひらいて、手を打ってむすんで
    手を打つ=頭の中がすっきりする
    むすんで一旦ひらいた概念を結び直す
    ・無意識=無心の一つの側面、繰り返すことで無意識にできるようになる『型」(茶道や花道)
    ・禅定(ゼンジョウ)=ディアーナ(三昧になる)⇒禅那⇒禅+定
    言葉でものを考えない
    ・私の見方を絶対化しないこと。前では相対化せよ
    ・鬼や矛盾はあった方が良い?
    ・手入れしながら付き合って行く。やりくりする。
    ・喜怒哀楽を引きずらず感情を塗り重ねしない
    ・結んでひらいて
    <目次>
    第1章 日本人本来のしあわせ観とは(「しあわせ」はいつから「幸福」になったのか
    機心の発生。。。。

    第2章 システム化によって失われゆく日本人らしさ(シルバーシートが奪ったもの
    システム化するということは心が死ぬこと ほか)
    第3章 なぜ日本人はしあわせと思えないのか(「私」を結びすぎた「個性」
    「私」ができると、「汚い」も生まれる ほか)
    第4章 禅が考えるしあわせ(仏教が開発した「私」をほどくための方法
    言葉で説明しない東洋の宗教 ほか)
    第5章 息苦しいいまを生きるために(七癖が転じた七福神
    七福神という集団がしあわせを作る ほか)

  • 何を言ってるのか理解できない部分もあるにはありますが、難しいことはありません。お坊さんの話は気持ちが穏やかになります。

  • ここ数年、就活を始めた頃から生きる目的は何か、というテーマに関連しそうな本はとりあえず読むことにしていて、そのうちの1つ。

    作者の本は以前養老孟司との対談本を読んで以来だが、読み終わって1週間くらい経った今何も思い出せないので、たいした実りはなかったということだろう。

    これではいけないと思うので今軽く読み返してみたが、キーワードは
    ・みんな違ってみんないい
    ということくらいだろうか。確かに社会の同調圧力は生きづらさの大きな部分を占めると思うので、大切な指摘だと思うが、これは社会=他人の態度によってもたらされるものであるから、個人の気の持ちようでは如何ともしがたい部分も多いのではあるまいか。

    坊さんの話はいろんなエピソードを使ってもっともらしい話をするものであるが、根底に流れる哲学や理路整然とした思想がない限りにおいて腑に落ちることは少ないという気がしている。

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著者プロフィール

一九五六年福島県生まれ。慶應義塾大学中国文学科卒業。八三年、天龍寺専門道場入門。現在、臨済宗妙心寺派福聚寺住職。花園大学仏教学科および新潟薬科大学応用生命科学部客員教授。二〇〇一年「中陰の花」で芥川賞を、一四年「光の山」で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。著書に、『禅的生活』(ちくま新書)、『荘子と遊ぶ』(ちくま文庫)、『やがて死ぬけしき』(サンガ新書)、『竹林精舎』(朝日新聞出版)などがある。

「2020年 『なりゆきを生きる』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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