浜 矩子の「新しい経済学」 グローバル市民主義の薦め 角川SSC新書 (角川SSC新書 102)

著者 :
  • 角川SSコミュニケーションズ
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  • Amazon.co.jp ・本 (189ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784047315259

作品紹介・あらすじ

経済は誰のために存在するのか-。そんな根源的な問いから始まる本書。鋭い分析力と広く豊かな視野を持つ著者は「経済は本来、人の営みそのもの」と説く。グローバル・ジャングルの中で牙をむき続ける新型デフレを乗り越えるために必要なことは何か-。独自の視点から描きだす、"潰し合い"から"分かち合い"へ、これから先の経済論。

感想・レビュー・書評

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  • 文体が苦手過ぎて、公平な心で読みすすめられなかった(笑)
    いや、やはりひいき目でみても抽象的でよく分からない。「グローバル市民主義」が気持ちの問題として書かれているような…。サブプライムショックなどは、目先の自己の利益にとらわれて起きたとして、自分の利益ばかり追求せず、隣人益や公益も考えましょう!というのが主訴みたい。悪い主張ではないけれど、本にするほどの内容か…。どうすれば、市民主義の潮流を生めるのか、その具体策が知りたかった。

  • 蟹工船ブームにも言及、経済はもともと人間を幸せにするために存在するはずだったのにという著者の疑問から出発しています。いつしか人はグルーバル・ジャングルの中で「みんなで考えること」をしなくなってしまった。自己責任で部門別損益を追求し、隙間において人々が出会わなくなった。かつては創造性の宝庫だった部門と部門の隙間がいまや不毛地帯と化している。とのこと、耳の痛い話です。著者が提唱する「グローバル市民主義」は「江戸の長屋の住人たち」の姿にも重なります。個人の生き方から、日本のあり方(成長戦略は古い皮袋、成熟社会の新しい酒は新しい皮袋を探さなくてはならない)まで。

  • 経済には全く疎いが、ここで言われているように、グローバル経済が浸透する中で、経済そのもの質が変化しているということはなんとなく理解できる。

    本書において、原因の一つとして挙げているのは、金本位制の終焉にともなう、管理通貨制である。
    これにより通貨供給量の制約がなくなり、コントロール不全となってしまった。

    それに加えて、グローバル化した経済の世界から信用という概念が希薄になり、この間発達した金融工学によって、リーマンショックのような不幸な事態が引き起こされる。

    あるのは「自分さえよければ」という、競争に急き立てられ、挙句の果てに経済という生態系のバランスを崩している。

    著者は、解決策として「グローバル市民主義」を掲げ、地球時代の経済人(ホモ・グローバノミクス)として、経済活動の三つの黄金の正三角形をめざさすべきだと説く。
    すわなち、成長・競争・分配、地球・国家・地域、ヒト・モノ・カネ、の三つのバランスの回復である。

    これらそれぞれの一要素のみが肥大化することで問題が起きており、パレート最適が崩れている。
    それでは、グローバル市民となるためにはどうすればいいか?
    残念ながらそのことについての具体的な処方箋は示されていない。

    経済がグローバル化した世界では、すでに「国富論」は通用しない。
    著者は、今の現状を、自分さえよければいいという「僕富論」と名付ける。
    そして、目指すべきを、三方よしの感受性を持つ「君富論」だという。

    三方よしをいうのなら、企業の社会的責任にも触れてほしかった。
    そして、その実現のための組織のマネジメントにも触れてほしかった。

    著者が言うように、例えば日本経済なんだかんだ言って成長している。
    問題は、稼いだお金が回らないことだ。
    これは、国の政策の問題でもあるが、企業が魅力的な製品・サービスを提供できていないということでもあるのではないか。
    あるいは、働く仲間を切り捨てて、部分最適→全体不最適を招くやり方は、組織のマネジメントに問題があるのではないか。
    国が過去に背負っていた役割を果たせなくなり、企業や組織のマネジメントが、人々や世の中をよりよくしていくということについて、何十年も前からドラッカーは語っていた。

    ヒトに注目するのなら、ヒトのいる場面、そこでヒトを変えるプロセスについて考えないといけないのではないかと思いました。

  • (「BOOK」データベースより)
    経済は誰のために存在するのか―。そんな根源的な問いから始まる本書。鋭い分析力と広く豊かな視野を持つ著者は「経済は本来、人の営みそのもの」と説く。グローバル・ジャングルの中で牙をむき続ける新型デフレを乗り越えるために必要なことは何か―。独自の視点から描きだす、“潰し合い”から“分かち合い”へ、これから先の経済論。

  • 結論が新しさに欠ける印象。三極(地球/国家/地域etc)が手を取り合い、バランスを保ちましょうということは当たり前である。しかし、「自分さえよければ」が横行する世の中で、互いに手を取り合うことを「再確認」させている点では有意義である。

  • 自分にとっての幸せを追求しながらも相手の幸せを破壊しないという行動原理が求められている。グローバル市民主義。自分さえ良ければ病の落とし穴、恐怖の自分食い、ホモエゴノミクス。浜氏絶妙のレトリックで国民の向かうべき方向を指し示す。

  •  これは良書。自分の利益追求の利己主義一辺倒ではなく、他人への思いやりを持つ利他主義が今の経済情勢にこそ求められていることを説く。要するに、経済社会では、国家も市民も、成長と競争を自己目的化せず、分配をも考えて行動しなければならない、ということだと思う。東日本大震災で「絆」が問われ、どこぞの市長がやたら競争・競争と騒ぎ立てるのがもてはやされる今こそ読むべき一冊だと思う。

  • 未来は誰にも分からない。

  • この混迷期に経済を語る時、「成長戦略!」ということが当然のように挙がるが、現在の日本経済は成長していないわけではなく、成長は格差をもたらしはしたが、雇用や平穏は与えてくれなかった。
    といったことを序章に据え、現在の状況分析とその先に何をすべきかを見ていく良書。

  • 「国富論」から「君富論」へと、新たな転換が必要《赤松正雄の読書録ブログ》

     常に他人のことを自分のこととして受け止める。人の痛みが分かる市民が主役の時代がこれからの時代だ。そしてそれを地球市民とよびたい―「21世紀型市民革命」を起こす主体としてのグローバル市民主義を薦める、『浜矩子の「新しい経済学」』を読んだ。今売れっ子の女流経済学者が重い内容を軽く流したと思わせる本だ。

     毎日新聞の二面コラム「時代の風」やNHKラジオの「ビジネス展望」などで目や耳にするたびに、いつもそこはかとなく惹き付けられる。なんとなく書店の店頭で見つけたが、読んで損はしなかったなとの思いに駆られている。

     著者がこれを書いた動機は、時代は経済において国家や国境なきグローバル時代に突入していながら、依然として国民経済を論じるものとしての資本主義という概念が幅を利かせているのは間違いだとの思いがある。何時までも「国富論」ではなかろう、と。で新たに「君富論」なる概念を編み出す。それと対比するものとしての「僕富論」を否定しながら。説明するにあたっての「天国と地獄の長い箸の物語」が印象に残る。目の前にあるご馳走ととてつもなく長い箸と。自分で食べようとすると、とても食べられず地獄の苦しみを味わうが、目の前にいる相手にその料理を食べさせようとするといとも簡単で、天国を味わえるという話である。

     また、若者のハングリー精神の欠如ということを嘆く人が多いことに疑問を提起しているくだりも考えさせられる。「なぜ、こんな豊かな日本の中で肉体的飢餓に耐えなければいけない人がいるのかを考える方が先ではないか」と。ややもするとスパルタ教育を宣揚しがちな昔気質の人間にとっての戒めの薦めともなっている。

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著者プロフィール

1952年生まれ。同志社大学大学院ビジネス研究科教授。
主著=『新・国富論――グローバル経済の教科書』(文春新書、2012年)、
『老楽国家論――反アベノミクス的生き方のススメ』(新潮社、2013年)。

「2014年 『徹底解剖国家戦略特区』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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