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Amazon.co.jp ・本 (260ページ) / ISBN・EAN: 9784047315938
作品紹介・あらすじ
シューベルトの《未完成交響曲》に代表されるクラシック音楽の未完成作品。未完に終わった事情を当時の作曲家が抱えていた「事情」を汲みながら、音楽史のミステリを解き明かす。作品理解をより深めるための一冊。
みんなの感想まとめ
未完成のクラシック音楽作品にまつわる謎を解き明かす本書は、シューベルトの《未完成交響曲》やモーツァルトの「レクイエム」をはじめとする名曲の背後にある事情を探求します。著者は、未完成作品がどのようにして...
感想・レビュー・書評
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物語に終わりはない
終わらせるのは読者
未完の作品が世に出るのは、作者のお家の事情詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
《未完成》が曲のニックネームとして定着しているのは、シューベルトの《未完成交響曲》くらいのものだが、本書はそれも含め6曲(+コラムでもう少し)、未完成のクラシック音楽について論じているものである。こういう本、あってもいいと思っていたのだ。何しろ評者は未完成曲の完成版という類のCDが出ると、ついつい買ってしまうゲテモノ食いだからだ。
いくら未完成だってそれなりに完成した姿がないとコンサートのレパートリーにはなりにくい。未完成のままレパートリーに定着した作品としてはシューベルトの他に、ブルックナーの交響曲第9番が上げられる。この2曲とも完成した楽章まででも演奏上十分な達成感があるのだ。
ブルックナーの場合、作曲者が完成の意志を持っていたのに寿命が来てしまったのだが、シューベルトの場合はそうではない。この人とにかく未完成作品が多い。《四重奏断章》など第2楽章の冒頭で中断しているので、第1楽章のみが演奏されるが、稀代の名曲。《未完成交響曲》の場合も、第3楽章の冒頭が書かれているが、中断してしまっている。それがどのような経緯で人手に渡り、死後に「発見」されたかには謎も多く、本書でもそこがキモだ。
この第3楽章のトリオに歌曲を補い、第4楽章は《ロザムンデ》間奏曲を流用するというニューボルト版という「完成版」があるが、作曲者が断念したものをいったい誰が書き継ぎうるのかという問題を残す。
その点、ブルックナーの交響曲第9番の場合、緩序楽章の第3楽章で楽想が天に昇っていくところで終わりでいいじゃんと誰しも思う。ところが実は第4楽章はほとんど完成していたのだというのが、第2話のキモ。作曲者の没後、関係者が楽譜をそれぞれ少しずつ記念に持っていって散逸してしまったのだ。これも近年、幾人かの学者の手により、ほぼ復原されている。なのに、3楽章版での演奏・録音が多いことに音楽産業の問題を絡めるのは、さすがにレコード・ジャーナリズムにどっぷり浸った著者ならではの見解である。
マーラーの第10交響曲は種々の完成版があるにしても、そろそろ完成版の形での演奏が定着しつつある。それが第3話。ここでは前田良雄『マーラー』による通説批判の紹介が主である。
第4話はショスタコーヴィチ《オランゴ》。最近CDが出たばかりの真新しい「発見」についてである。ショスタコーヴィチの場合、未完成に終わるのには政治が絡む。
マーラーの第10交響曲に取り憑かれてしまったデリック・クック、スクリャービンの未完の大作《神秘劇》の第1部を補完したネムチン、こういった人たちはどうしてこのような割に合わない仕事に生涯をかけたのかと常々思うが、第5話はそういう割に合わない話。プッチーニの《トゥーランドット》はその補筆を担当したアルファーノの非才が非難されることとなっているのだ。しかもその初演のときに、トスカニーニは、アルファーノの補作版を使わず、プッチーニの絶筆のところで尻切れトンボでオペラ公演を終えているのである。これについて著者は時の権力者ムッソリーニとの確執に理由を求めており、なかなか興味深い推理なのである。
実はアルファーノのオリジナルな作品はいくつか聴くことができるが、そう悪くないのだ。同様にモーツァルトの《レクイエム》を補筆したジュスマイアやアイブラーの作品だってそう悪くない。バルトークは第3ピアノ協奏曲の17小節のオーケストレーションを残して死んだが、たった17小節なので、補筆部分がどうのと問題にされることはほとんどないが、ヴィオラ協奏曲となると、シェルイの補筆の問題を指摘した新たな版も出されている。ジュスマイアのオーケストレーションはダメだという意見はずっとあり、別の完成版もいくつか試みられているのだが、あたかも他人がかなりの部分を補筆したことなどなかったかのように演奏されているのがモーツァルトの《レクイエム》だと著者は述べている。これが第6話で、遺族の金策が作品の補筆完成を生んだのだ。
しかし考えてみると不完全な人間がどんなに身を削っても芸術作品を神の域にまで完成できるわけはないので、すべての芸術作品は未完成ともいえる。また、音楽だったら演奏家がいて、聴衆がいて、その都度その都度、違った形で完成される、ともいえる。こうした論点は本書では触れられていないが、芸術作品と未完成という問題は深い含みを持つのではないかと思った。 -
一気読み。面白すぎた!
「未完成」として有名・無名なクラシック音楽の6曲を取り上げ、楽曲と作曲者、未完成に終わった経緯と、「後世において『未完成』とされていった経緯」を解き明かす。
この手の逸話で有名なのは、何と言ってもモーツァルトの「レクイエム」であろうが、死神だの、毒殺だの、ライヴァルだの、悪妻だのといった巷説をきっぱりと排しているのが本書の特徴だ。
それには、著者の徹底した史料主義がある。とはいっても、歴史学の本のようにいちいち出典が記され、古文が長々と引用されるといった読みにくさはない。あくまで新書にふさわしくさらりと書かれているのだが、よく読むと何を述べるにも「作曲者は○年○月○日にこう書いている」から事実関係は××なのだろう、と日付が付記されているのだ。このあたりは、まるで本格ミステリのような印象すらある。「徹底した史料主義」などと口で言うのは簡単だが、その背後にある気の遠くなるような渉猟作業を思うと、これはもう頭が下がる。
そしてまた、著者が作曲者の作業が中絶した理由以上に注目するのが、その作品が「最終的に『未完成』と冠されるに至った理由」だ。LPとCDの容量差とか、ファシズムが猛威をふるった「時代」とか、もちろん経済事情とか、芸術が芸術的たることのみでは成り立ちえない浮世のつれづれが、これまたとびきり面白い。特に、著述家にして編集者でもある著者ならではの「作品にはそれにふさわしい『尺』がある」という主張には、よくぞ言ってくれた! と膝を打った。
「俗説を無批判に信じるのではなく、事実を検証した上でそのセンチメンタルな伝説も含めて楽しむ――この本は、そんな方々と一緒に楽しむために書いたつもりだ」
「あとがき」のこの一節がすべてを物語る快著である。
2015/5/22読了 -
シューベルトの交響曲第7番"未完成"やモーツァルトの"レクイエム"など、クラシックには数々の未完成な作品があります。その経緯にまつわる伝説は数々ありますが、それらは本当なのか?という点をミステリー仕立てで紹介しています。本書では、上記2名に加え、ブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチ、プッチーニを取り上げています。クラシックのガイド本はたくさんありますが、こういう切り口の本は珍しいと思います。未完成の秘話に思い入れのある人にはオススメできません。推理過程が作品によってはちょっと強引なところもあります。
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すべてはフィクション,想像の中。
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著者プロフィール
中川右介の作品
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