路地裏の資本主義 (角川SSC新書)

著者 :
  • KADOKAWA/角川マガジンズ
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  • Amazon.co.jp ・本 (230ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784047316423

感想・レビュー・書評

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  • 貨幣には視聴価値はありません。ただ交換価値の担い手として、印刷所を経由して登場してきた商品というわけです。別の言い方をするなら、労働を媒介としない商品が貨幣なのです。

    自分が何を得たかということよりは、自分が何を断念できたかということの中に自分へのリスペクトは生まれます。

    マルセル・モースの贈与論
    何かを贈られた当事者は、相手に返礼するのではなく、それを第三者にパスしなければならない。
    贈られたものを退蔵すれば、災忌があり、場合によっては死がもたらされる。

    貨幣は商品の交換を、場所や時間の制約から解放し、交換の量を一気に促進させるために存在しているのです。人間が発明したもののうち、最も劇的に人間の生活を変えた道具である貨幣は、同時に人間の欲望を喚起し、人間を狂わせたり、闘争の原因をつくったりもしてきました。

    そもそも、日教組の運動が教室での教師の質を低下させたとか、あるいはゆとり教育が子供達から競争力を奪ってきたという考え方には妥当性があるのでしょうか。

    生きるということは、時間の中に自分を投ずることです。そして、わたくしは、それは将来の自分というものに対して、自分を投棄し続けてるということ、言い換えるなら、絶えず何かを贈与し続けるということではないか。
    投棄=贈与している何かとは、若さそのものです。

    浦島伝説からひとつの教訓
    時間を忘れたものは時間によって報復されるという、時の摂理である

    エマニュエル・トッドの世界の多様性
    日本の伝統的な家族形態は、権威主義的直系家族
    世界で観察される家族形態は、親子関係(自由か権威主義的か)、兄弟関係(平等か不平等か)の二軸によるマトリクスでおおまかに4通りに分類することができます。

    イデオロギーはひとつのフィクションです。しかし、そのフィクションに基づいて作り上げられたと信じられていた現実の社会形態は、家族形態が社会化したものに過ぎなかったということ。

    家族システムの歴史は人類史と同じだけ古い「生物学的」な生存戦略であったかもしれない。

    もしグローバリズムがこのままのスピードで進展していけば、やがて国家という枠組み自体が存続できなくなります。

  • 資本主義生産様式では、日本に起きている問題の拡大が収束することはありません。

     資本主義生産様式では、日本に起きている問題の拡大が加速することはあっても、収束することはありません。もはや、各国単位の問題ではないので、政策で抑え込むことは不可能なのではないかと思われるのです。

    >『路地裏の資本主義』は、わたしたちが今生きている、資本主義生産様式の世界を、肌身に感じるやり方で理解したいという思いから名付けられたもの……成熟した資本主義国家の常として、市場が飽和し、人口が減少し、自然過程としての経済成長が望めなくなった今……経済が停滞してから生まれてきた若い人たちの中から、生き延びるための共生へと向かう人たちが現れてきています。シェアハウスという共有空間で暮らす、NPOを働き場所として選ぶ、あるいは地方で生きるという選択も志向され始めています。足下に定常経済は見出せるはずです……。

    以上は、この本の「はじめに」から終章にかけての大まかな流れを捉えるために、抽出した言葉です。「マルクスは、資本主義生産様式というものは歴史の必然によって内部矛盾を拡大し続け、ついには自然崩壊するだろうという予見をしたのです。」とのことですが、著者の平川克美さんは、マルクスの予言通りになりつつあると感じているようです。それは、なぜなのか考えてみましょう。

    「この十年間の間(第一刷発行2014年9月)の日本に起きているのは、雇用の不安定化であり、格差の確実な拡大であり、中小企業の倒産であり、地方の過疎化であり、高齢者の急激な増加など、数え上げればきりがありません。」資本主義生産様式では、このような問題の拡大が加速することはあっても、収束することはありません。もはや、各国単位の問題ではないので、政策で抑え込むことは不可能なのではないかと思われるのです。

  • 東2法経図・6F開架:332.06A/H64r//K

  • ☆☆☆2019年8月☆☆☆


    資本主義、株式会社というのが成長を前提としており
    永続的な存在ではないと筆者は述べる。もろ手を挙げて同意したい。

  • 経済
    社会

  • 路地裏の喫茶店から見つめる独特の視点からの世間への考察。安倍さんのつぶやきを聞いてしまったというくだりが面白かった。会社もそうだが、偉い、偉くないというのはなくて、役割と認識すべきなのだろうなと改めて思った。そうでないと、民主主義とは呼べないだろう。

  • 【由来】
    ・おっかさん用に借りたものだが、面白そうだったので。

    【期待したもの】


    【要約】


    【ノート】
    ・サラリと読んでみたが、行き詰った資本主義、身体性を失った貨幣、モースの贈与論なんかをポイントに配置しながら、日本的な経済の営みなんかも振り返りつつ、考えながら語る、という感じの内容。

    ・ギリギリで自分には嫌味ではない。内田樹センセーの仲間らしいが、ところどころ、センセー的な表現も。読ませる感は少し弱いのだが、この人の方が、立て板に水じゃない分、信頼できるって言うか(笑)。

    ・ただ、モースもそうだけど、マルクスは当然として、E.トッドだとかB.アンダーソンだとかへの目配せの仕方が軽くて、ファッションっぽい印象を受けてしまった。

    ・小田嶋隆っぽさも感じると思ったら、共著を出してるみたい。類は友を呼ぶのか、交流しているうちに似てくるのか?でも文筆家だったら、それはマズいよな。

    【目次】

  • 尊敬する人物として、大瀧詠一氏の名前も登場!

  • 途中で断念していたのだが、あらためて挑戦し読了。

    今の資本主義社会は終焉を迎えている。
    資本主義の象徴である「株式会社」が右肩上がりの成長を前提とした仕組みだが、成熟したリアルな社会ではそれはもう成し得ない。

    したがって、主にバーチャルな世界で金を増殖していく(金で金を増やす)ことで、見せかけの成長を作り出そうとしている。

    そんな破綻寸前(実際に以前に破綻しかけたが)で大量生産、大量廃棄を前提としたモデルではなく、身の丈にあった経済モデル(経済の定常状態)を個人個人で見出す。

    「あなたたちは、どこへ行こうとしているのですか」

    この文言は胸に刺さりました。

  • <目次>
    はじめに
    第1章   資本主義のまぼろし
    第2章   路地裏の資本主義
    第3章   国見国家の終わりと、株式会社の終わり
    第4章   ”猫町”から見た資本主義
    第5章   銭湯は日本経済を癒せるか

    <内容>
    著者の言っていることは一貫している。資本主義は終わりを迎えている。それは、金を増やすことに特化して生まれた株式会社が、地球のなかではもはや限界を迎えているからだ。それは、国民国家の終わりでもある。今後は身の回りでカツカツでいいので、「小商い」をしていくことだ。地域のなかで、人もカネも変わっていくような形が、成長の終わった「成熟社会」に必要なことなのだ。
    横須賀市立図書館

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著者プロフィール

1950年、東京・蒲田生まれ。文筆家、「隣町珈琲」店主。早稲田大学理工学部機械工学科卒業後、翻訳を主業務とするアーバン・トランスレーションを設立。1999年、シリコンバレーのBusiness Cafe Inc.の設立に参加。2014年、東京・荏原中延に喫茶店「隣町珈琲」をオープン。著書に『小商いのすすめ』『「消費」をやめる』『21世紀の楕円幻想論』、『移行期的混乱』、『俺に似たひと』、『株式会社の世界史』、『共有地をつくる』『「答えは出さない」という見識』他多数。

「2024年 『ひとが詩人になるとき』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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