メモリアル病院の5日間 生か死か―ハリケーンで破壊された病院に隠された真実

  • KADOKAWA/角川マガジンズ
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  • Amazon.co.jp ・本 (495ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784047316539

作品紹介・あらすじ

これは安楽死か、殺人か-。ハリケーン・カトリーナの被災後、電源を喪失したメモリアル病院では、死の恐怖に直面した医師たちによって患者たちの命の選別が行われた。まるで神のようにふるまった医師たちの判断は、果たして正しかったのだろうか。ピュリッツァー賞作家シェリ・フィンクによる詳細な取材により、隠された真実が明らかになる。

感想・レビュー・書評

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  • 以前から「読みたい」に登録はしていましたが、Apple TVでドラマ化されたのを機に読んでみました。
    500ページくらいのボリューム(それでも日本語版は抄訳らしい)ですが、あっという間に読んでしまいました。
    トリアージという、非常時における「最大幸福」とは何か?について考えさせられる内容です。
    神ならざる身の人間が人の生死を分けていく。その判断基準は何か。
    残された患者たちは蘇生処置の拒否を申請していたとはいえ、病気ではなく外的要因で生命の維持が難しくなった場合にも果たしてそれは有効なのか。
    医療従事者の職業倫理とは何か。
    災害時の倫理基準において
    「「災害時においては、利用可能な治療リソースで対応できない状態の患者は「緊急医療処置の対象外」と分類し、医師はあらゆる犠牲を払ってその命を維持するのではなく、患者に思いやりを示し、その尊厳を守る措置をとらなければならない。たとえば、他の患者と分離し、鎮痛と鎮静の処置を施すことである」
    と規定されているものの
    「医師たちの目的は、患者を助けることであって、彼らをみじめな状態から抜けださせたいと自分たちが望むゆえに患者を殺すことではない」
    という意見もあり、どちらか一方が正しいとは言いがたいところがとても難しい問題だと思います。

    病院内での混乱と同時に外部の様子も書かれていますが、略奪やら銃撃やらでこちらもまた地獄絵です。
    我が国も自然災害国ではありますが、略奪はともかく銃撃というのは日本の被災地ではまず見られない光景です。避難も命がけですね。

    巻末に「重いプレッシャーのもとでは、どのように行動すればいいのかわからなくなりやすい。それでも私たちは少なくとも、自分たちがどのような決断をしたいか、前もって考えておくことはできるはずだ。」とあります。
    例えば、仮に我々が被災者になった場合、自分たちの生命を維持するための略奪は許されるか、優先権を主張することは許されるのか、自己防衛のための攻撃は許されるか等、平時では考えもしなかった決断を迫られる状況におかれる事になるかもしれません。先の略奪や銃撃もそうした判断に基づいての行動であったかもしれません。しかし、水や食料の準備はできても、こうしたモラルというものは個々人の資質によるところが大きく正解がないだけに、日ごろから心づもりをしておく、というのはなかなか難しいことであると感じます。

  • 極限状態に置かれた時、人間は命の選別をしてもいいだろうか。
    助からないかもしれない命よりも、確実に助かる命を優先すべき
    なのだろうか。

    2005年8月29日、ハリケーン・カトリーナに襲われ、市内の約8割が
    水没したニューオリンズ。映像は今でも覚えている。そのなかには
    本書が取り上げるメモリアル病院もあった。

    病院スタッフ・患者・周辺から避難して来た住民のすべてが救助された
    あとには、45体の遺体が残されていた。同じように被災した病院に比べ
    遥かに多い死者数は不審を招いた。あの時、病院内では命の選別が
    行われていたのではないか…と。

    重症患者から移送する。被災した病院は当然そうするものだと思って
    いた。確かにメモリアル病院でも当初は重症患者を優先して搬送する
    努力がなされていた。

    水道・電気が止まったなかで病院スタッフは患者を少しでもリラックス
    させようと努力もしていた。しかし、時間の経過と共に考え方が切り
    替わってしまう。

    患者に施されたトリアージは救助する患者の優先順位に他ならな
    かった。自力で歩ける患者、車いすに座っている患者を救助する。
    その他は…。

    「私たちはこれをしていいのか?」。安楽死の処置が始まった時に
    ひとりの男性医師が看護師に問いかけた言葉だ。医療従事者で
    あるのなら、命を救うことが使命ではないかと私も思う。

    例えば心臓や肺が機能を停止したら蘇生処置を施さないで欲しいと
    の意思表示をしている患者でも、死期を早めるような処置をしても
    いいとは思わない。それは自然死ではないからだ。

    亡くなった患者のなかには最後の救助が行われた日の朝まで、
    死の兆候がなかった患者もいたのに、何故、彼ら・彼女jらは医師の
    手で死を早められなくてはならなかったのか。

    ハリケーン・カトリーナ襲来の際にはアメリカ政府・州政府・ニュー
    オリンズ市のそれぞれの対応が非難された。避難命令の発令は
    確かに遅かった。避難場所も避難方法も確立されていなかった。

    だが、メモリアル病院は救えたはずの命をみすみす見捨てたのは
    ないだろうか。その証拠に「スタッフが疲れているから」との理由で
    夜間のヘリによる救助を断っている。

    しかも電気が止まったとはいえ、敷地内の一部の施設では電気が
    通じている場所もあった。そこへ患者を移動させることもせず、
    貴重な酸素ボンベは病院スタッフが暑さをしのぐために使われた
    りもしていた。

    不必要な殺人だったのではないかと思う。しかし、第2級殺人で
    逮捕された女性医師とふたりの看護師はのちに不起訴となって
    いる。

    医療を受ける側の人間として、納得がいかない。もし、今、巨大な
    自然災害が起こったら私たちはやはり命を選別されるのだろうか。
    そんなことを考えながら読んだ。

  • 2005年8月 巨大ハリケーン・カトリーナがニューオリンズの街を襲った。
    本書は、その嵐に襲われた地域の拠点病院メモリアル病院でなにが起こったかということの詳細な経緯、そしてなぜ医師たちはそのような行動をとったか。そして、法廷はそれをどのように判断したかの記録である。

    重要なこと、ハリケーンは急にニューオリンズの街で発生したのではない。
    それは、メキシコ湾で発生し、徐々にニューオリンズに接近していった。
    ただし、その接近スピードは速く、十分な用意のできていない病院が対処する時間はあまりに少なすぎた。

    病院には、災害時に対処するプログラムがあった。
    しかし、それは、起こり得る災害を想定し、その災害に具体的に対処するプログラムにはなっていなかった。
    病院の担当部門は、病院が耐えうる、病院にとって都合の良い災害を想定し、その範囲内については、対処するプログラムを組んでいた。
    しかし、それは実際に発生した災害、ハリケーンによるニューオリンズ市街の水没、前電源喪失、輸送路の途絶などには、まったく対処しておらず、またプログラムに沿ったリハーサルは行われていなかった。

    屋上ヘリポートも、自家発電装置も、病院には備えられていた。
    しかし、経済性が優先されたためヘリポートの改修は放置され、また、長時間の運転に耐えるよう想定していなかった発電装置が切れた後、ヘリポートに通じるエレベーターは停止した。
    そして、自家発電装置の停止は、生命維持装置の停止、病院機能の停止、さらに45℃にもなる病院内を快適に保つ空調装置の停止も意味していた。

    その極限のなか、医療スタッフたちは懸命に患者の命を助けようとする。しかし、状況はあまりに厳しく、また、医療スタッフの対応力にも限界がある。
    そして、現場ではいくつかの選択が行われ、また、それは一部で実行された。

    本書の状況は、あまりに日本の原発事故対応、再稼働をめぐる状況に似ているのではないだろうか?
    世界一安全な基準は、原発運用者にとって都合のよい状況を想定され、それに対する備えとして考えられた。
    さらに、その備えすら、完成が間に合わない部分については、できることを期待しつつ、まずは、利益優先で、再稼働を先行する。
    そして、重要な住民、そして、状況によってはさらに広範囲な住民、そして状況が拡大すれば多くの国民に影響がある原発事故。
    その避難対応については、原発事業者も、地方自治体も、国、そして政治家も誰も責任を負わず、事故が起こってしまったら考えればよいと、安易に無視する。
    そして、その無視した偉い人たちは、おそらく自分たちの安全については、最大限の配慮をし、多くの国民は切り捨てる(医療スタッフがそのような行為をしたわけではない)。

    本書は、原発はじめ多くの危機管理に関係する業務に従事するものは読んだほうが良いと思う。そして、自らが関わった危機管理対策が、真に実効性のあるものか、もう一度考えるべきだと思う。
    特に、人の命にかかわる仕事をしているものは、その選択が自らにとってのみ有利なものになっていないか、経済性が優先されていないか、必要なことが十分に想定されているか、もう一度見直すべきだと思った。

  • ノンフィクション

  • ハリケーンカトリーナ。何が本当なのか結局わからないが教訓にはなった。

  • 結構時間かかった。登場人物多く、カタカタの名前ばかりなので、すっきりと頭に残らない。ノンフィクションだからしょうがないか。
    ・危機管理とは
    ・人命が関わった時の優先順位付け。(リソース配分)
    ・極限状態での人間の心理・行動と、事後でのそれに対する評価のギャップ。

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著者プロフィール

アメリカ人ジャーナリスト。健康、医療、科学分が専門。これまでに、ピューリツァー賞、アメリカ雑誌編集者協会のナショナル・マガジン・アワード、海外記者クラブのローウェル・トーマス・アワードをはじめとする多くの賞を受賞。 スタンフォード大学及び大学院で神経科学の修士号、博士号を取得。卒業後は、災害や紛争地域における難民救済ワーカーとして活動。著書にボスニア・ヘルツァゴビナ紛争の医療者を描いたノンフィクション『War Hospital』がある。

「2015年 『メモリアル病院の5日間 生か死か―ハリケーンで破壊された病院に隠された真実』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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