脳のなかの幽霊 (角川21世紀叢書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (404ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784047913202

作品紹介・あらすじ

切断された手足がまだあると感じるスポーツ選手、自分の体の一部を人のものだと主張する患者、両親を本人と認めず偽者だと主張する青年-著者が出会った様々な患者の奇妙な症状を手がかりに、脳の仕組みや働きについて考える。さらにいろいろな仮説をたて、それを立証するための誰でもできる実験を提示していく。高度な内容ながら、一般の人にも分かりやすい語り口で、人類最大の問題「意識」に迫り、現代科学の最先端を切り開く。

感想・レビュー・書評

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  • 現在の学問はとても細分化されていますが、古代に遡れば、その根っこが深いところでつながっていることがわかります。
    哲学も、科学も、文学も、本当は近しいところにあるのだということを体感させてくれる本でした。

    「自分の感じたことのみを信じて生きていくぜ!」…なんて言うとかっこよく聞こえたりします。
    だけど、ある種の脳の働きによっては、私たちのあたりまえは、簡単にあたりまえではなくなってしまうようなのです。
    自分の知覚することって、実はこんなにも頼りないものだったのか!

    幻肢(無いはずの身体が感じられること)などの症例を具体的に解説しながら、その仕組みを解明するために行った実験や被験者の反応、それに基づく考察が、著者のユーモアを交えた巧みな文章で綴られています。
    科学書なのに、まるでミステリーを読んでいるよう!
    脳科学書を読むのが初めて(知識もなし!)の私にとっては難解な部分も多かったのですが、読み進めるのは苦ではありませんでした。
    …が、内容をどれだけ理解できたかは自信ないです。。。

  • インド出身の神経科学者ラマチャンドランが
    豊富な臨床例から明らかにしていく、
    人間の脳や神経系、心身に関する真実への探求の
    科学的ストーリー。

    以前から、脳に関する著書の中で何度も本書や著者の
    名前を目にしており、はやく読まねばと思っていたが
    ようやく読むことができた。

    大変に面白い。
    ラマチャンドランは、巻末で養老氏が解説しているように
    実に教養に富んだ人物であり、
    さまざまな科学の知見を実に見事に扱い、
    そして人間の脳に何が起きているかを大変読ませる文章で
    表現している。

    ラマチャンドランの業績は、
    かつて臨床医たちが記録してきた様々な認知にまつわる
    患者たちの症例…それは、単におかしなイレギュラーケースとして
    扱われてきたものを、人間の脳や神経で何が起こっているかの
    科学的推論を導く材料として収集し、そして自ら簡単な機器を
    用いた実験の中でそれを科学的に確かめていき、
    その中で実に納得いく心と脳に関する知見として成果を
    伝えたことにあると思う。

    私たちは、現代科学知識が多少あれば、進化の中でできてきた
    偶然性の産物だと自覚はできるものの、
    かといって自らの意識や思考をそのようにメタ的に分解する
    ことは大変難しい。
    だから、「徹頭徹尾科学的」なことはとてつもなく困難だ。

    著者は、そういうことをひっくるめて、「常識のカベ」を設けることなく、
    観察される結果に対してバイアスをかけることなく、
    するすると真実に至る推論を立てていく。
    まさに、神経、脳、認知の科学が全盛を迎えるであろう21世紀を前にして、
    この分野に対してどういうアプローチで臨むのがもっとも
    おもしろく、また成果に結びつきやすいかということを
    よく示してくれた人物だといえるだろう。


    個人的にメモっておきたいこと

    ・フロイトの再評価
    私は、フロイトは適当なことをでっちあげていたおじさんだと思っていた。
    だが、ラマチャンドランの「推論的な脳への科学」のアプローチの中での
    フロイトの再評価を読んで、考えを変えた。
    すまん、フロイトさん。でもやっぱり、夢診断と性へのあらゆるはめ込みは
    著者も言うように変だと思うんですが(笑)。

    ・進化心理学の適当なあてはめ
    進化心理学は、その実証が実に難しいところである。
    であるがゆえに、ラマチャンドランがその批判のために思いつきを投稿した
    「ブロンド女性を好む理由」のような適当な論文が受け入れられてしまう
    状態にある、ということ。
    私は進化心理学に心酔していたので(笑)、このあたりはラマチャンドランの
    批判的思考をよく取り入れて、吟味する目を持たねばならないと思った。
    もちろん、進化心理学をラマチャンドランは否定しているわけではない。
    証明の難しいからといって、適当なことを言うのは科学的じゃないよ、
    ということである。

  • ▼福島大学附属図書館の貸出状況
    https://www.lib.fukushima-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/TB00059812

    (推薦者:共生システム理工学類 小山 純正先生)

  • 脳障害の患者の症例から脳の機能を実験的に探っていくという内容.心,意識,体の境界が,想像していたようにははっきり分離していないということが分かった.20年前にここまで分かっていたとは知らなかった.

  • 4-04-791320-0 333+51p 1999.7.30 初版

  • かつては単に「狂っている」として片付けられていた、あるいは無視されていた奇妙な行動を伴う症例。著者は自らをシャーロック・ホームズに例えて直観と経験に基づく推理からそれらを分析し、臨床実験によって検証、究明する。そして「患者の脳の神経回路構成についての知的に満足のいく話に行きつ」き、さらに「その過程で脳の動きについて新しい発見をし、それと同時にまったく新しい方向の研究にむかう扉があく」。
    直近でオリバー・サックスの本を読んで脳神経の分野に興味を持ち本書に手を伸ばしたわけだが、ラマチャンドランはまさに真打ち。その鋭い洞察力と強い説得力によって明らかにされていく脳の隠れた仕組みには、驚きを通り越して恐怖さえ感じた。筆者は大胆にも知覚、認識のみならず、アイデンティティーの「開かずの扉」のノブにさえ手をかけるのだ!

    ■「左脳に卒中を起こした患者は、不安や抑うつに陥ったり、回復の見込みについて気をもむことが多い。これは…右脳が優勢になり、あらゆることに悩むようになったからだと思われる。…右脳に損傷を受けた人は、自分の困った立場にまるで無頓着な傾向がある。左脳はあまり動揺しないのだ。」

    ■「あくびも、特化した回路が存在する…。卒中の犠牲者の多くは、損傷を受けた脳の部位の反対側の半身が麻痺(してその)随意運動は永久的に失われる。だが…あくびをするときは、無意識に両腕をのばす。…あくびをしているあいだは、別の神経回路――脳幹の呼吸中枢と緊密に連絡した回路――が腕の運動を支配するからである。

    ■生まれつき腕がないのに幻肢を感じる者が存在する。
    幻肢といえども、幻の手が握っているカップを無理に引っ張られるのを見せられると、本当に痛みを感じる。
    痛いほど握りしめられたまま動かない手の幻肢も、鏡のトリックを使って自由に動く右の手と勘違いさせてやれば、すぐにほどけて楽になる。
    「幻肢というものは、遺伝子と環境の双方の変動要素が複雑にからみあって生じ(ている)」。「神経の結合はきわめて変化しやすく、動的である。知覚は感覚階層の異なるレベルの信号が影響しあった結果として生まれる。それどころか異なる感覚が影響しあうことさえある。視覚入力が存在しない腕の発作をなくし、それに関連する痛みの記憶を消すことができるという事実は、これらの相互作用がどれほど深く広範囲なものであるかをはっきりと物語っている。」
    目をつぶって鼻をつつかれる実験や、テーブルの下の左手とそのテーブルを同時に叩かれる実験でわかる通り、我々がもつ不変の身体イメージは、数秒で瓦解するような恐ろしくたよりないものだった。「身体イメージは、あなたが自分の遺伝子を子どもに伝えるために一時的につくりだした外形にすぎないのだ」。

    ■重篤な一酸化炭素中毒から生還したダイアンは全く目が見えなくなってしまっていた。しかし彼女は郵便物をポストに投函することができる。なぜか?
    視覚による信号は、角膜→視神経ののち、脳幹の上丘に向かう古い経路と、視覚皮質に向かう新しい経路に分かれる。新しい経路はさらに、頭頂葉の「いかに」経路と、側頭葉の「何」経路に分かれる。側頭葉の「何」経路を除去したサルは、ふつうに歩き回ることができるが、カミソリの刃を認識できず、口に入れて食べようとする。「何」経路を損傷したダイアンには郵便物も投函口も実際に見えてはいない。しかし生き残った「いかに」経路で郵便物と投函口を捉えていたのだ!
    著者ラマチャンドラン博士はこの現象を、体の中のゾンビが操っていると表現している。また、見えずとも感じることができるという意味で、『SW』のフォースにも例えている。
    「あなたのなかにもう一つ別の存在がいて、あなたの知らないあるいは気付いていないところで、自分のすべきことをしているということを示している。そして、そういうゾンビは一つだけではなく、あなたの脳のなかにたくさん存在する。もしそうなら、自分の脳に単一の「私」あるいは「自己」が存在するというあなたの概念は単なる幻想かもしれない――その概念は、あなたの生活をより効率よく組み立て、あなたい目的をあたえ、人との交流を助けるものではあるが、それでも幻想かもしれない」。

    ■シャルル・ボネ・シンドロームの患者は、恐ろしく鮮やかではっきりとした幻覚を見る。幻覚のモチーフは多様で、いつどんな風に出現するか規則性はない。「この現象は、黄斑変性、糖尿病性網膜炎、角膜損傷、白内障などの視覚障害のある老人にはふつうに見られる。」
    網膜の視神経乳頭に結ばれる像は盲点になっていて見えない。しかし脳が「書き込み」という修正を行いまわりの風景を補って、穴や空白があるようには感じさせていない。病気や事故で暗点が生じた患者にも同じような「書き込み」が起こる。無意識に、何秒もかけて(!)。
    「私たちが猫を見ると、猫の形や色やテクスチャーや、その他の視覚特性が網膜に飛び込んできて、そこから視床に送られ、一次視覚皮質に到達して処理され、二つの経路に入る。…経路の一つは奥行きと運動に関与する領域(「いかに」経路)。もう一つは形や色や物体認知に関与する領域(「何」経路)。最終的にふたつの情報が結びついて、それは猫だと私たちに告げる。……では次に、あなたが猫を思い浮かべたときに脳の中でどんなことが起こるかを考えてみよう。なんと視覚機構を逆向きに動かしていることを示す信頼でいる証拠があるのだ。すべての猫と特定のその猫に関する記憶が上から下に向かって流れ、それらすべての領域の活動が結びついて、想像の猫が心の眼に知覚される。しかも一次視覚皮質の活動性は、現実に猫を見ている時に匹敵するのではないかと思われるくらい大きい。」
    このことが、シャルル・ボネ・シンドロームの患者や老人ホームで暗い部屋の隅に座っている高齢者に起こっていることの説明になるかもしれない。盲点や暗点で見えない部分を自動的に修正するように、視覚障害をもつ者には、欠損した視覚情報に高次の記憶が書き込みを行っていると考えられる。視覚が正常に機能しているものにも当然同じことが起こっているはずなのだが、彼らは、実際に目に飛び込んでくる光による刺激によって視覚情報が修正、フィードバックされ、幻覚は雲散霧消している。「知覚とよばれるものが、実際は感覚信号と過去に貯蔵された視覚イメージに関する高次記憶との動的な相互作用の最終結果であることを示している」。

    ■脳の右半球が損傷すると自分の左側に対する半側無視の症状がでることがある。ただし逆の場合はそうならない。これは脳の右半球が脳全体を大局的にカバーする機能を持っているためだと考えられている(左半球は主に言語活動に多く使用されている)。
    半側無視をする患者に花の絵をかかせると、花の右側にのみ花びらをつける。目を瞑ってかかせても同様である。
    患者の体の左側を意識させるため、90度に張り合わされた鏡を使って行う実験がある。一部の患者には効果があるが、鏡失認をおこす患者もいる。鏡に映ったペンを、鏡の中に手を入れて取ろうとするのだ。これは半側無視に含まれる症状なのか、それとも右頭頂葉損傷による空間処理の不具合が原因なのか。

    ■疾病失認は右頭頂葉に損傷がある場合に発症することがある。患者の左手が完全に麻痺して動かないのに本人はフツーに動いていると主張する。古典的なフロイトの心理的防衛機制では全く歯が立たない。前述の半側無視など比較できないほど断固として主張するのである(さらに実験により右手の麻痺についても患者は疾病失認の症状を示した)。
    この症状は、右脳の損傷により、体全体の俯瞰ができず、麻痺という事実に対するショックも感じられない。かわりに左脳が自己の安定を図るためストーリーを捻出してそれで押し通す、その結果と考えられる。
    それでは患者は心の底を浚っても、自分の麻痺を全く認知できていないのか?
    患者の左耳の外耳道に冷水を注入する。と、眼球振盪が起こり、右頭頂葉の神経系がいきなりシャキっとなって患者はフツーに「はい、左手は麻痺してますよ」と答えたと言う! ……30分したらまた疾病失認の状態に戻ったのだが。
    つまり患者は、自分の左手が麻痺しているのを“本当は”知っているということだ。これは二重人格や、夢の中の登場人物の意外な言動にも通底しているといえる。
    「耳に冷水」。これで、REM睡眠を生み出す回路と同じ回路の一部が活性化され、目覚めている間は抑圧されている、自分自身を危うくする不快な事実が浮かび上がると、著者は考えている。

    ■交通事故により脳に損傷を受けたあと、実の父母をよく似た別人だと言い張るようになった青年(愛犬に対しても)。電話を通しての声に対しては別人だとは言わない。この症状(カプグラ症候群)はフロイトのいう性的コンプレックスではやはり説明がつかない。
    この患者に対する臨床実験では、目線の違うだけのモデルの写真を数枚見せたら、断固としてすべて別人だと主張する。これはどういうことか。
    海馬に損傷を受けた患者はそれ以降の記憶の形成ができない。つまり海馬は新しい記憶を残すために不可欠な器官なのである。しかし、そんな患者も同じ人に何回も会ってそのたびその人にジョークで笑わされていると、幸せな気分が形成されてくるという。「個々のエピソードは忘れているにもかかわらず、一連のエピソードを結び付けて新しい概念を作り出せる」ということだ。
    カプグラの患者はこれと逆で、前のファイル(親などの知人)に記憶の上書きをするのでなく、いちいち新しいファイルをつくってしまうのだという。
    視覚の情報が脳の辺縁系に送られるとそこで、知っている顔や記憶に関連付けられた”あたたかみ”や”親しみ”が喚起される。われわれの記憶の上書きにはこの感情が大いに与って力があるのではないか。カプグラの患者はこの力が利用できずに、特に近親者に対しては以前の記憶を引き起こせない。よってどうしても、似た別人と見えてしまう。彼は写真に写る自分をも、「もうひとりの自分」というようになる。

    誰をみても一瞬、好きな女の子に見えてしまうのはこれに関係しているのだろうか。

    ■辺縁系に障害を受けると宗教的に”覚醒”することがある。「宗教的恍惚の海にただよい、宇宙の潮にのって涅槃の岸へと運ばれていく」。尊大、過書字という特徴も見せる。
    彼らはGRSによる検査ではやはり宗教的なものに対してだけ大きな反応を見せる。そもそも脳に神モジュールがあってそこが喚起されたのかどうか…それは進化心理学の問題になるのか。
    ダーウィンの盟友ウォレスは、潜在的知能を問題にしている。読み書きができない未開の地に生まれた子どもを都会に連れてきて現代人と同じように教育を施すと普通の現代人と同じように成長する。すなわち彼は潜在的知能をすでにもっていたということだが、これは進化論に照らし合わせてどう説明がつくというのだろう。ウォレスはこう結論付けた、「より高い知的存在が人間の本性の発達過程を導いたに違いない」と。
    ここからは著者の推測だが、idiot savantを引き合いに出し、idiot savantは誕生前あるいは直後に脳に損傷を受けていて、地図の書き換えが行われたのではないかという(数学savantは左の角回が、美術savantは右の角回が肥大しているはずだ)。他の領域を犠牲にして特殊な領域が肥大したと。
    そう考えると人類の脳の進化も、全体的に進化してから特殊な能力が使えるようになった、というのではなく、体が大きくなり脳が大きくなり、ただある能力(それに意味があるなしにかかわらず)が出現したと解釈すべきではないだろうか。

  • 1

  • 2100円購入2011-01-25

  • 返却期限延ばして借りてみたけど、内容難しい&あまり興味持てなくて読みこなせなかった。

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