活きる

著者 :
  • 角川書店
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感想 : 9
  • Amazon.co.jp ・本 (260ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784047914117

作品紹介・あらすじ

老人は語る。朗々と歌い上げる民謡に想いを込めて、時には笑い、時には涙を流しながら、自らの過去を語る。地主の放蕩息子はバクチに身を滅ぼし、親を亡くし、国民党軍に徴用される。飢えと戦闘の中で命を取り留めながら、解放軍の捕虜となり、ようやく家に戻れば降りかかる数々の病苦と災難…。その苦しみは想像をはるかに超えて苛刻だった。しかし、その人生を語る老人の姿は魅了されるほどに潔い。四十数年の時を経た今、老人が口ずさむ歌には、生き続けることの意味が重く響いている-。中国で二十万部を超えるベストセラーとなり、香港、台湾に続いて欧州各国で翻訳出版。世界的名匠、張芸謀監督により見事に映画化された。今もっとも高い評価を得ている現代中国の作家、余華の傑作、待望の本邦初訳。

感想・レビュー・書評

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  • 中国の国民党と共産党の争いの中に生きる農民の話なのだが、涙なしでは読みきれない。フィクションでもそうとは言い切れないようなストーリーがとても気分を暗くさせる。これでもかというほど不幸の連続で、登場人物は悲惨なまでの運命の中を精一杯生きる。映画は本よりソフトなようだが、本を読んでしまうと悲しすぎて映画は見れない。

  • 地主の息子である主人公は、博打で土地、家などの財産の全てを失った。残されたのは両親と妻と娘。働きもせず、妻に酷い仕打ちをし続けた主人公もついには心を入れ替え真面目に働き、家族を愛するようになった。飢饉や社会情勢の変化により、度々食うに困る事も。家族が増える喜びもあれば失う絶望も繰り返される。もう立ち直れないのではないかと思う別れを重ねても、それでも主人公は、静かに生き続ける。その姿にただただ圧倒された。

  • 本作の映画版が好きでよく観ていた。
    主演男優がいい。小心者の福貴をうまく演じていると思う。
    徐福貴を演じた葛優は、現在中国ネット民の中で人気であるそうだ。
    なんでも「葛優躺」というスタイルが流行しているとか。
    「躺」というのは身体を横たえるという意味である。
    二十年ほど前の某ドラマでの葛優が横たわる様子が現代のネット民に受け入れら れたという。
    蛇足だが、そのころの彼には髪の毛はたくさんあった。

    さて、映画原作である本書は、夢中になってすぐに読み終えてしまった。
    庶民の目から近現代中国史を描いているため、歴史の教材としても良いと思う。
    映画版と違い、原作は主人公以外の家族は死んでしまう。
    不条理なことばかりがこの家族を襲うが、それでも生きていく福貴の姿勢が胸を 打つ。
    作者の前書きに、生きる続けること・生き残ることの違いが記述されているが、 これも興味深い。

    私は原書でも持っており、何度か読破にチャレンジしているが、達成できていない。
    いつか読破することが夢である。
    本書は絶版のようだ。借りて読んだが、是非手元に置きたい本なので、どこかの 出版社が復刻出版して欲しいものである。

  • <目次>
    「活きる」
    「活きる」日本語版あとがき(余華)
    解説(飯塚容)

    ***

    老人は語る。
    朗々と歌い上げる民謡に想いを込めて、時には笑い、時には涙を流しながら、自らの過去を語る。
    地主の放蕩息子はバクチに身を滅ぼし、親を亡くし、国民党軍に徴用される。
    飢えと戦闘の中で命を取り留めながら、解放軍の捕虜となり、ようやく家に戻れば降りかかる数々の病苦と災難…。
    その苦しみは想像をはるかに超えて苛酷だった。
    しかし、その人生を語る老人の姿は魅了されるほどに潔い。
    四十数年の時を経た今、老人が口ずさむ歌には、生き続けることの意味が重く響いている―。
    (カバーより)

    ***

    中国で二十万部を超えるベストセラーとなり、チャン・イーモウ監督により映画化された同名作品の原作小説。
    私は映画を観ていないのですが、原作とだいぶ変わっている部分があるようなので、この作品は小説のままで留めておこうかなと思います。

    今年に入って近代中国を少し学びなおしていたとき、知り合いからすすめられていた1冊です。
    絶版になっているため、ちょっと値が張りましたがAmazonで購入。

    そもそもすすめられた経緯が、文化大革命の悲しいあれこれの話をしていて、「そのあたりが描かれているよ。あまりに救われない話だけど…」というものだったので覚悟して読んだのですが、私としては思っていたよりショックは少なく(WW2あたりの記録書などで免疫ができていたようです)、むしろ想像以上に、文学作品として非常に良いものを読めたなぁ、という読後感でした。

    民間歌謡の採集に農村を訪れた「ぼく」に、一人の老人がその人生を語る…といった視点をとるこの作品は、1992年に中国で出版されました。
    作品の冒頭で「ぼく」は、いまから十数年前、と語っているので、おそらく1980年前後が聞き取りをおこなった時点、文化大革命が終結して数年がたった頃、と考えてよいでしょう。

    ***

    内容を端折ってつらつら端的に列挙してしまうと、

    老人の名は「福貴」。名前の通り、地主の子と生まれ、美人の嫁をもらって、若い頃は苦労をせずに過ごしていました。
    ところが、放蕩に拍車がかかり、バクチで大負けしてしまったところから、彼の人生は変わっていきます。
    家は没落し、父は死に、母が病気になったのでナケナシの金銭をもって町へ医者を呼びにいったら、そのまま国共内戦の軍隊に徴兵されて二年。家族に一言も残せないまま戦地ですごし、その間に目の前で死んでいく多くの兵隊。
    なんとか帰路についてみれば、母は亡くなっていた。さらに「土地改革」によりかつて自分が借金のかたに土地を売って地主にとって代わった男が銃殺される。

    「福貴、おれはおまえの身代わりで死ぬんだぞ」

    この事件で、「福貴」は度胸が据わった、という。すべては運命だと。

    その後、病気のため口がきけなくなってしまった娘を、その弟である息子を学校へ行かせる資金を捻出するため、里子に出す。(けれど、しばらく経ってこの娘は逃げ出して戻ってきてしまい、最終的に「福貴」はそのまま、妻と息子とこの娘と、4人で暮らしていくことを選択)

    しかし、「大躍進政策」がすすんでいくなか、妻が病気にかかり、野良仕事ができなくなってしまう。
    また、息子が県知事の妻の出産のために採血に行ったところ、過剰に血液を抜かれて命を落とす。
    悲しみが続いたなか、娘が結婚し、子どもができるということもあったが、またこの娘が出産で、弟と同じ病院で命を落としてしまう。それに続けて、ついに妻も亡くなる。

    「福貴」は、残された娘の夫である婿と、その子(孫)と3人で暮らすが、婿は仕事中に事故にあい、亡くなってしまう。
    幼い孫を引き取って苦しいながらも生活し、孫は7歳になった。しかし、この孫も亡くなってしまう。

    それから数年経った「そのとき」、老人は「ぼく」に、その人生を語っている。

    ***

    最初に読んだあとの正直な感想は、「想像していたよりも辛く悲しく、救いようのない話ではなかった」、というものでした。
    上記で羅列したものをどう感じるかは人それぞれだと思いますが、私には少なくとも、「歴史の凄惨さ」やそれに翻弄される民衆の「悲しさ」よりも、もっと別の余韻がありました。
    (個人的には、なにに近いかと言われてあえてあげるなら、藤沢周平の作品を読んだあとの読後感が最も近いのではないか、と。)

    そして多分、著者が作品で表現したかったメッセージを、私にしてはかなり珍しく、きちんと受け取れたのではないか、と思います。


    そう確信したのは、「あとがき」に寄せられた著者の下記の言葉。


    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    『活きる』について言うなら、生き続けるというのは自分の人生を実感することであり、生き残るというのは傍観者が他人の人生を観察することなのです。『活きる』の福貴は苦難の体験者ですが、自分の物語の語り手でもあります。私は一人称を用いました。福貴の語りの中に他人の視点は必要ありません。必要なのは彼自身の実感であり、だからこそ彼は生き続けることを語るのです。もしも三人称を用いて、他人の視点を入れたとしたら、読者の目に映る福貴は苦難の中で生き残った人物となってしまうでしょう
    (p251)

    つまり、福貴は他人の目からすると苦難の人生を送っているが、福貴自身はむしろ幸福をより強く感じていると思うのだ。
    (p252)
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~)

    福貴を囲む人々の詳細はあえて書きませんでしたが、福貴はどうみても、周りの人に恵まれていると思ったのです。(この手の話にありがちな、くそみそに意地悪で最後に裏切るような奴が一人もいません。正直すごい驚いた)

    それはそうだったのかもしれませんし、あとがきを受けてさらに深読みをしてしまうと、「福貴」は、そう感じるものしか語っていないのかもしれません。

    私は「長根」と「春生」の最後のエピソードがすごく好きです。この二人の「福貴」に対する態度(福貴が感じた彼らへの気持ち)で、じゅうぶんに「福貴」がどんな人であるのかが推し量れます。
    だからおそらく、読後感は悲しさよりも、もっと別の感情が占めたのでしょう。

    逆に最も「悲しい」と感じたのは、「苦根」が亡くなるときの話です。非常に短いのですが、ここが最も「福貴」が後悔しているシーンなのではないかと思いました。

    この小説の原題「活着」は、「活きている」という意味だそうです。
    「活きる」よりも、こちらのほうがやはり作品に合っている、と思えます。

  • 裕福だった徐家の一人息子・福貴。彼は彼の父親と同じく若いときに無茶をしたおかげで無一文となり、そのせいで母親にも、妻の家珍にも、はたまた子ども鳳霞と有慶にも、貧乏による苦労を味わせてしまうことになる。突然の兵隊狩り、食べ物が全く無い状況での生活、文革。息子・有慶は県知事の嫁の命を助けるため大量の献血をして命を落とし、また幼いときに高熱を出し耳と口が不自由になった娘・鳳霞も、やっとのことで婿である二喜と幸せになれたと思ったところ、自身の出産で命を落としてしまう。妻の家珍も婿の二喜も孫の苦根も、みんな自分より早く亡くしてしまい、一人残された福貴。彼が歩んできたこれまでの茨の道を、民間歌謡の採集にやって来た一人の男に聞かせる。
    "生きる"、"生きている"という実感が湧きにくい現代とは真逆。そこにはただ"活きる"ことを目的とした人々がいる。なんのために生きるのか、ではなく、生きるために生きる、ただそれだけだ。その考え方は、背景の全く異なる現代社会に投げかけられた、人間とはそうあるべきだという一つの真実なのではないか。

  • 豪農の家に生まれた主人公福貴が賭博で没落し、その後の艱難辛苦の人生が独白の形で表現されている。
    パールバックの大地を思わせるが、あくまで一人称で語られており、人生の価値は本人にしかわからないことを教えてくれる。
    悲惨としかいえない人生にも楽しさや希望に彩られているのである。
    構成も文体もレトリックも1級である。
    映画も一時、大陸では上映禁止になったそうだが、今は見ることができるそうである。
    中国の留学生に聞いたら、中国の学生はたいてい読んでいますと言っていた。

  • 寝るのも忘れて泣きながら朝まで読んでしまった。世の中には、必死で活きている人がいる。生きたくても生きられない人もいる。日本で豊かな暮らしをしていると忘れてしまいがちな大切なことを思い出させてくれる本です。

  • 原題が「活着(活き続ける)」である意義が、小説を読んでより分かった。

  • 上の本の日本語翻訳。オリジナルの臨場感を邪魔しない翻訳は絶品です。中国語、中国の根深さを知らないわが母でも一気に読み終えたということはやはり話しが面白いということでしょう。これでもかこれでもかと起こる不幸の中で、何とか生きていく家族(と言っても家族も減っていくのですが)の姿を描いた小説。ありえない!と思ってもやめられず読んでしまいます。

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著者プロフィール

1960年中国浙江省杭州生まれ。両親の職場の病院内で、人の死を身近に感じながら育つ。幼少期に文化大革命を経験。89年には文学創作を学んでいた北京で天安門事件に遭遇した。80年代中頃から実験的手法による中短篇作品で「先鋒派」作家の一人として注目を浴び、91年『雨に呼ぶ声』(アストラハウス)で長篇デビュー。92年発表の『活きる』(中央公論新社)が張芸謀(チャン・イーモウ)監督により映画化されて話題を呼ぶ。本作『兄弟』は中国で05年に上巻、06年に下巻が発表され、またたくまにベストセラーとなった。他の長篇作品に95年『血を売る男』、17年『死者たちの七日間』(いずれも河出書房新社)、21年『文城』(未邦訳)がある。グランザネ・カブール賞(イタリア)、フランス芸術文化勲章「シュヴァリエ」受賞。作品は全世界で2000万部以上、40以上の言語に翻訳されており、ノーベル賞関係者が中国で必ず面会する作家のひとり。

「2021年 『兄弟』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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