私自身の見えない徴

  • 角川書店 (2006年2月28日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (320ページ) / ISBN・EAN: 9784047915152

作品紹介・あらすじ

モナ・グレイにとって数字は世界のすべて。現実は繊細な彼女の宇宙に無理難題と不思議をもたらす。小学校で算数の先生になったモナと生徒たち、そして謎の新任教師。奇妙で不可思議でこのうえなく切ない初の長編。

みんなの感想まとめ

数字が世界のすべてである主人公モナ・グレイの物語は、現実と幻想が交錯する独特な雰囲気を醸し出しています。彼女の持つ特異な癖や生徒たちとの関係は、読者に深い共感を呼び起こし、時には自身の過去を振り返るき...

感想・レビュー・書評

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  • モナの「木でできたものをノックする癖」が、わたしがかつてやめられなかった「リストカット」と重なった。
    何度も読みかえした大好きな作品、わたしが生きるための、お守りのような作品。

  • ミランダ・ジュライの『君とボクの虹色の世界』と似た雰囲気。映画の方。

  • 『二十歳の誕生日に、私は斧を買った。それはこの十年でいちはんの贈りものだった』

    誰にでも拘りはある。それを他人が理解するかどうかは気にしない。けれど多くの人々が生きる社会は個人一人ひとりに最大公約数的な共通の規則を押し付ける。与えられた規則で割り切れない人がどんな剰余を持っていようがお構いなし。余りは切り捨てるもの。個人は大勢が押し付ける数字であたかも割り切れたように見せ掛けて生きていかねばならない。そこからはみ出したものを「角」となぞらえ、大人になることを角が取れて丸くなると見ることも出来るだろう。

    けれど子供はそんな余りやら角やらを異質なものと見做すことはない。つまり在りのままに自由に生きている。それでも年月を経るに従い徐々に自分の一部が共通の規則からはみ出していることに気づいて「おや?」と思う。自分と社会の最大公約数は何なのかを懸命に計算するようになる。幸運にもそれが見つかるということは自分の居場所を見つけられるということ。けれど中には素数の子もいる。51の子に倣って3の倍数のつもりになっても、53の子には割り切れる数字が見つからない。そんな時大人は余った2を無かったことにするけれど、無かったことにするということは自分自身の一部を切り取るということを意味する。それが出来なくても当たり前なのに、鼻の一部や片方の耳を疾の昔に切り捨てた大人たちはそんなはみ出したものに拘ることが理解出来ない。

    エイミー・ベンダーは、そんな通過儀礼のように誰にでも起きる物語を、自分自身を大人とも少女とも決め切れない主人公と溢れる数字の表象に重ねて描き出す。彼女の周りを幾つもの数字たちが行き交う。数字は個性の表彰だが運命を決定するものであるようにも見える。その運命から目を逸らし続けることが可能なのかが不安の種。ありとあらゆるものを「止め」てみても、成長することは止められない。成長の先には必然的に死がある。ここに描かれるのは全て必然である死を巡る物語であるということもできる。そう理解した上で、印象的に二度語られる物語を整数の世界の中に存在する素数にまつわる話と例えてみる。そんな例えを更に現実の世界へ還元すると、二度語られる間に起きる物語の変化の意味するところも分かり易いようにも思う。その意味をどう捉えるのかは、もちろん読者に委ねられている。

    自分はそれを176,399という数字に引き寄せられた二人の物語と読んでみる。一つの偶数を挟んで並んだ二つの素数が、お互いを見い出す物語。必要なものは最大公約数とは限らない。補完出来ることがお互いに解ればいいのだ。その相手が一つ隣のやはり最大公約数が見つからず苦しんでいる人かも知れないということに気付く物語だと読むことにする。双子素数と呼ばれる対の数字は決して同じではないけれど、それでも前世ではぐれ自分自身の半身に出会うような感慨はあるだろう。メーテルリンクの青い鳥の物語のように、幸せの青い鳥はずっと隣に居たのだ、なんてね。さてそんな風に読み解いた後で問うてみる、自分の身体に何処か欠けているところはないだろうか、と。そろそろ丸めていた角を出してもいい頃かなと思ったりする。

  • 6月6日読了。図書館。

  • なんだか妙ちきりんなお話だ。ハマる時はハマりそう。今はハマらなかった。

  • たさ

  • エイミー・ベンダーの長編。
    設定こそ不思議世界ではないけれど、短篇の雰囲気はそのままに長いひとつの物語になっている。

    ジョハリの窓のようだ。
    知っていること、知らないこと、伝わらないこと、伝わってしまうこと。

    舞台はどこにでもありそうな、どこでもない地味な小さな町。
    主人公はさみしさに浸食されている。数字に取り憑かれた女の子。
    色あせた家、青い瞳、青い硝子、白い石鹸、白い煙。
    主人公は混乱しているけれど文章は明晰だから、こちらまで不安定になる。
    奇矯な行動の普通さがわかってしまって心がぎゅうぎゅうする。

    進んで、また戻って、いったりきたりしながら読んだ。
    わからないからじゃなくて、わかりたいから。
    この時点でわかっていることは、別の地点から見たものとは違う。
    この人好きだ。


    訳者解説は全然私の解釈と違うので的外れに思える。
    これは親子とか、自分とか、そういう話だと思うんだけどな。
    おまけの「11の質問」もどういう意図でこの質問を出したのかさっぱりわからない。
    ここを破り捨てれば素敵な本になる。


    斧が出てきたのでアゴタ・クリストフの『どちらでもいい』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4152087331が頭に浮かんだ。
    これを好きな人は多分この本も好きだと思う。

  • 以前、映画で見てなんだか不思議で心惹かれる話だなあ、と思っていたら、学生さんが読書感想文を書いていて、これはもう運命かと思って読んだ本(大げさ・・・)。
    この、痛々しく不器用な人たちが生きている感じ、こういう感じが心にひとかけらもない人や理解できない人とは友だちになれない、と思った。
    昨今はポジティブシンキングとか、前向きとかがもてはやされていて、私自身も相当な楽天家ではあるのだけれど、本当は、そればかりで生きていけるはずないんです。傷ついている自分や、嘘つきな自分、乱高下する感情に蓋をしたり、全部克服しようとしたりしないで、もっとそっと付き合って行くことの方が自然で、大切なんだと思う。
    このお話は、最終的に、色んなことが宙ぶらりんで、色んな問題は解決せず、少しだけ明るい兆しが出て終わる。これでよかった。変にハッピーエンドだったら台無しになる。という、繊細で、読み終わったあとに少しずつ振り返ってみたくなる本でした。

  • 再読

  • なんだか、アメリカ的だなあ、と思ったのは、私だけかな。面白かった。そして、じんわり希望のようなものを感じた、読み終わった瞬間に。出先に持ってって少しずつ読んだんだけど、細切れになることなく、一気に読めたという感じ。最初は、『私……見えない黴」と読み違えてしまったのだが、それでもいいような気がする、読後感は。もっとこの人の作品を読んでみたい。

  • まだこれから
    どうなるかわからないってとこ

    でも流石エイミーベンダー
    表現に独特の綺麗さがあって
    やっぱり引き込まれます

  •  登場人物それぞれ 大人も子供も何かを背負っていて、それに傷ついて苦しんでいる。『うしなうこと』を受け入れるのはむつかしい。『やめること』をやめることでモナは癒されてゆくのかしらん。不思議な文章で読み進むのに時間がかかりましたが、短編集も読んでみたいと思います。

  • 好きな人は結構この作品はまるらしい。

  • 神経過敏な若い娘さんの話。そういう時期を過ぎた者には、過去の自分を見るようでまったくもって楽しくなかった。

    舞台になるアメリカの田舎町、7歳児たちは愛らしくてよかった。

  • ベンダーは好きだけど、ここまですがすがしい長編はなぁ。そして、やはり彼女の文体では長編は厳しいってのがわかる。それなりに面白いとこもあったんだけど、特に数字にこだわったり、物語にきちんとなっているところとか。でももう少し癖を抜けば読みやすいけど、ただの物語になるもんねぇ…

  • 小学校で算数を教える主人公は、あることをきっかけにあらゆることを止めることにした。
    止められなかったのは木をノックすること、数学だった。
    荒唐無稽なかんじで話が進む。

  • わたしの脳みそ

  • 母を亡くしてから死に関する本は避けていたのに、偶然手にしたこの本は、身近な人の死に対する怯えが満ちた本だった。
    主人公は死を拒否するのと引き換えに、愛することも拒否している。只一つ捨てられない数学への愛着は、それが彼女の基幹だから。
    でもその数学への愛は結局他者への愛に彼女を導き、死の受容を促す。

    なんで手にしてしまったのか。でも、そういうことなんだろうなー・・・。

  • 主人公モナが10歳の時
    父親が原因不明の病気になる。
    それから彼女は
    得意な全てのことをやめた。

    そしてモナは20歳。
    近所の小学校で逃げた教師の代わりに
    算数を教えることになった。

    彼女に数学を教えた教師は
    町で金物屋を営んでいて

    その店で購入した
    自分への誕生日プレゼントの斧が
    その後の展開に微妙に絡んでくる。

    変な同僚教師が出てきたり
    そこここに変な言動があったり

    まあ、一言で言えば変な小説なんだが
    なかなか面白い。

    ありえない少女のありえるような話。

    んー、興味のある人はどうぞ。

  • プロローグから引き込まれる

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著者プロフィール

1969年生まれ。カリフォルニア大学出身。小学校教諭をつとめた後、最初の短篇集『燃えるスカートの少女』(角川文庫)で鮮烈なデビューを果たす。2010年に刊行した長篇第二作目となる本作は全米ベストセラー入りを果たし、新たな代表作に。邦訳に長篇『私自身の見えない徴』、短篇集『わがままなやつら』がある。2013年には三作目の短篇集『The Color Master』を刊行。南カリフォルニア大学で教えながら精力的に執筆活動を続けている。ロス・アンジェルス在住 。

「2016年 『レモンケーキの独特なさびしさ 』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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