和泉式部日記 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)
- KADOKAWA/角川学芸出版 (2007年8月31日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (201ページ)
- / ISBN・EAN: 9784048574174
作品紹介・あらすじ
恋多き女、和泉式部が秀逸な歌とともに綴った王朝女流日記の傑作。為尊親王の死後、その弟の敦道親王から和泉式部へ便りが届き、新たな恋が始まった。あまりにも身分が違う相手で、しかもかつての恋人の弟との恋。夫婦関係がゆるかった当時としても異例の関係だった。正妻のいる宮の邸へ迎えられ、正妻が出ていってしまうという結果を招く。恋故の苦しみと喜びはいつの世も変わらない。王朝の恋の世界を知るための最適の入門書。
感想・レビュー・書評
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今年最後の一冊。ビビッドで当意即妙な歌の応酬は「源氏」にはない動きがあります。研ぎ澄まされた感性で四季を通した心理を表現され、現代の作品かと見紛いました。受領階級の女性が貴人の愛を勝ち取る構図は「源氏」と同じですね。訳文・原文・寸評の構成で、抄訳ではありますが、作品を身近にしてくれる良書でした。振り返れば、コロナのせいか、ガラン版千一夜の完読や玉鬘十帖の読み返し、和泉式部日記との出会いなど読書ライフが充実した一年でした♪ 感謝。
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恋多き女性、和泉式部が恋人の為尊親王と死別した後に出逢った為尊親王の弟の敦道親王との出会いから「召人」として正妻、北の方のいる宮の邸に入ってからまでの日記。
編者の川上裕子さんの解説が面白くてとても分かりやすかったです。
確かに、この内容は教科書には向いていなさそうです。
家集(個人の歌集)などに出てくる恋人たちが少なく見積っても10人以上はいたらしいモテモテの和泉式部はプレイガールと噂されていたようですが、ここに描かれる彼女の日々はなかなか切ない印象でした。
北の方が邸を出ていってしまうところでぱったりおわっていますが、その後の年表を見ても波乱万丈な人生だったように思えます。
切なくも苦しい恋愛ストーリーの中に、和歌の教養と自らの一途さをアピールしまくっているような本だなと思いました。 -
嫉妬と謀略渦巻く王朝の恋は煌びやかでスキャンダラス。
恋多き女、和泉式部はかつての恋人、為尊親王の死に悲嘆にくれつつ徒然と日々を過ごしていました。亡くなった為尊親王は天皇の子ども。この身分違いの恋に世間は黙っていませんでした。親王は和泉と出会ってから一年後、たった26歳の若さでこの世を去ります。伝染病で亡くなったそうなのですが、周囲は和泉のもとに通っていたからだと噂をたてます。
和泉は、恋多き女、通う男は数知れず。かの有名な紫式部さえ、彼女の手紙や和歌への才能は認めているものの、「モラルに反した所がある」とチクリとついています。
こんな和泉と恋に落ちたのは亡くなった親王の弟、敦道親王でした。彼は和泉へ便りを届け、新たな恋が始まるのです。
宮様は和泉よりも年下で、おまけに彼女はお兄さんの元恋人。さらに彼女に対する評判はスキャンダラスなものばかり。けれど、和泉の和歌の才能や、その美貌。そして世間の評判とは違う彼女の本来の姿を見るにつれ、益々恋心は募っていきます。恋は障害がある方が燃えるものだよね~。
また忘れてはいけないことに、宮様は相当のイケメンだったようです。服のセンスも着こなし方も和歌の方もバツグン。
けれど、2人が惹かれあったのはそんな外見の華やかさだけではなかったようです。2人の心には、彼らだけに通じる寂しさや孤独感がありました。そんなぽっかりあいた穴を埋めるかのように、2人は惹かれあったのでしょう。
この恋が迎える衝撃のラストまで、周囲の人々は反発しながらも目を離せなかったんじゃないでしょうか。もうドラマの世界ですから、これは。
現代でも、本人は普通に生きているつもりなのに、その生き方がドラマティックで、世間が何かにつけて、ほっとかない女性っていますよね。
わたしのお気に入りのシーンは、他の男の影にどうしても心揺れる宮様。なかなか来ない宮様を想いながら、月を眺めている和泉。そこへ美しい姿の宮様が現れたところですね。月光に照らされた2人の再会を想像するとキュンとします。
あとは、宮様によって連れ出された和泉。静まり返った夜、近くには警護する人々がいるのに、停めた車の中で結ばれる2人。和泉さん、こんなことまで書いちゃうなんていいの?もしかして狙って書いてる?それなら狙い通り、ドキドキさせられちゃいました。 -
和泉国に赴任していた夫と別れ、バツイチのプレイガール和泉式部。
それとは釣り合わないほどの高貴な弾正宮為尊親王。
本来ならば結ばれることない運命の二人だったが、弾正宮為尊親王は身分を考えず傍若無人の振る舞いをするほどに式部の魅力に惹かれた。
しかし、弾正宮は亡くなってしまう。
悲嘆に暮れる式部と、そこまで兄を夢中にさせた式部へ興味を持つ敦道親王。
式部の思わせぶりな態度に振り回されながらも次第に敦道親王、式部は互いに惹かれていく。
やはり、とはずがたりからも分かるようにこの時代の男はすぐに自分に行かれる女には全く惹かれない。
むしろ素っ気なく、ごく稀に心弾むような言葉をかけてくれる今で言うツンデレを好む男が多い。
和泉式部は恋多き女として知られているがやはりこの引き具合、攻め具合の絶妙さが、多くの人を魅了したのだと思った。
和泉式部の自分はいずれにしろ悪く言われるのは変わらない。なら、敦道親王のそばにいる方がいいと思ったり、北の方を追い出す羽目になってしまっても正気でいる式部の度肝の強さが圧巻だった。 -
再々読?たぶん、3回目か4回目。
和歌はあんまり技巧的ではないから修辞法の勉強には物足りない。「よ」が「世」と「節」の掛詞になってる歌、あとは縁語があるくらい。紫式部の、非技巧派という和泉式部評は正しいと言えそう。
けれど、贈答歌のお手本としてこれ以上はないかもしれないテキスト。ただし、『蜻蛉日記』の泥試合を読んだ後だからそう思うのかも。
そして、実った後の出来事は書かない、という、恋愛小説のお手本を確立した作品(だと勝手に思っている)。
紫式部の創作時期と考え合わせると、和泉式部の恋模様は『源氏物語』にけっこう影響を与えているんじゃないかなぁと思った。
①身分差
②男が親王
③男が美形
④兄弟2人
④を除けば、まんま光源氏の設定。
日記が書かれる前から随分と噂になっている関係だったみたいだから、影響はゼロではないかもしれない。その噂も決して好意的なものではなかったようで、その辺りは桐壺にも通じる。
まぁ、狭い世界の出来事だからどこかで何かは絡み合っているのだろうけれど、紫式部日記で叩いてる相手が実は創作の源泉、だったりしたら、ますます紫式部の腹黒さがわかって面白いなと思う。
にしても気になるのは、和泉式部が宮邸に引っ越した後、小式部がどうなったのかということや、元の屋敷で使っていた家人をどう差配したんだろうというところ。
情熱って、ある意味、ファンタジーだから、現実を生きている人たちをものすごーく振り回す。そっち側から書かれた小説を読んでみたい今日この頃。
まさか、夜の闇に紛れて盗人になってたりしないよね?? -
まずはビギナーズクラシックで軽く読もうと借りてきた。案の定読みやすく楽しかった。
巻末でも紫式部による和泉式部評が掲載されてますが、彼女の言葉の煌めきは素晴らしいの一言。
(これが彼女の作品であるならば)
その輝きが男性遍歴と因果なのか相関なのか共に結果なのか偶然なのか分からないけれど、和歌から伝わる純真さというか計算のない直向きさみたいなのが当時の「浮かれ女」という評判と甘辛ミックスになってるのは確かに感じる。
理屈に弱いかどうかは全く分からない。
事実を元にしてるからそれ以外にどうしようもないものの、それでもやはり人生の切り取り方によって物語の印象や構成は変わるはず。
身分違いの恋人(為尊親王)の死から始まるのも全体を通してどこか不穏な空気というか底冷え?隙間風?を感じる陰鬱な感じはそのまま敦道親王の死へと繋がるし、読み手は「恋人の死から始まって新しい恋人の死で終わる」不幸の結び目の間を指で広げて読む感じがしていい。
恋人の死、その死んだ恋人そっくり(弟)の年下のスーパー男前の彼、高貴な人に身染められる身分違いの恋に悩むシンデレラ、世間からの悪評、すれ違い、意地悪な家族(乳母、北の方、女御)、絶対に超えられない障害(使用人としての添い遂げ)とそれを乗り越える愛、結果の不協和音などなどなど。
大映ドラマかよって感じ、というか大映ドラマがこの骨組みを利用してんのね。日本の歌謡曲(J-POP でなくて歌謡曲ね)に通じるこの「悲壮感と希望のミックス」は日本人に、ひょっとすると人間が好きな手触りなのかも。
話全体が大映ドラマ、歌謡曲っぽいといいましたが主人公の和泉式部がまさに阿久悠が書く女性像とも重なる。「あなた死んでもいいですか」とか言いながら、「着てはもらえぬセーターを」とかいいながら、「女心の未練でしょう」と自身の心境を迷いなく分析して言い切るチカラ。歌詞にはないけれど、翌朝には編んでいたセーターを解き自分で決めた行先に向け船でも列車でも選んで乗るオンナ。男は強い女が見せるいじらしさやはかなさ、可愛らしさが好きなのだ。だって若くて綺麗なお母さんに甘えてるだけなのだから。(作中では宮が非現実な将来の不安を和泉式部に話して甘える場面がある)
和泉式部は自身の立場の弱さ心許なさ繊細さを強く自覚しているし、賢さとセンスといじらしさで雲の上の男を連続で(しかも兄弟)骨抜きにしてしまう。その他の男合わせて10人。でも自分は「なんで悪い噂が立つのかしら」とか言っちゃう。そりゃそう。その10人は100-200人の中からの選りすぐりなのだから本人からすれば十分に身持ちが堅いのだ。
んで決死の覚悟で入った宮のお屋敷も、宮が亡くなったあとは中宮彰子に仕えるわけで。んでまた結婚もするわけで。娘よりも長生きするわけで。(娘がなくなって大ショックでようやく出家)
出来れば最後も出家しないで終わって欲しかったけど、その弱さがまたいいのかな。
本作品中の和歌で1番好きなのはこれ
「山を出でて冥き途にぞたどりこし今ひとたびのあうことにより」
紫式部が指摘する「素行の悪さ」
この歌も 品格ゼロだけど センスと情念(エロスに繋がる)が迸ってる。仏の前でじっとしてた分、和泉式部の中の女性(おんなのさが)が暴れ出すのだ。
平安女性の香と汗、脂っぽい髪の毛まで感じる。
斉藤由貴、広末涼子、藤あや子、荻野目慶子、高岡早紀あたりに音読して欲しい。
中山美穂、はさすがにやめとこう。
にしても
和歌を歌うのも手紙を書くのも、先人達の名作を知らないとどうにもならないっては大変だなぁと思う反面、こういう言葉遊びのレベルが同じくらいの場合は楽しいですよね。
例えば今でも「卒業式かよ」と言う代わりに「なんや、もっと悲しい瞬間に涙はとっておきたいんか?」とか言ったりしますよね。あと上手くいくかどうか50/50でドキドキなときに「えーマジ田中久美」とか。人殴る時に「顔はやめな。ボディボディ。」とか。これと一緒。
読み終わって
恋愛、というか人が生きるというのは少なくともここ1000年はノーチェンジアットオールですねぇ。 -
【概略】
栄華を誇った藤原道長に「うかれ女」と言われ、それに対し「あんたに言われる筋合いはないよ」を「歌」で返す胆力、センスにあふれる歌仙・和泉式部、その和泉式部の恋のうつろいを垣間見ることができる。
2023年01月01日 読了
【書評】
そりゃ教科書に採用されにくいよな・・・ってのが読了後の第一印象。そして、「あぁ、千年の違いがあっても、同じなんだ。人は基本的に、変わらないんだ」という安心が次に。
本書では、恋人であった為尊親王(ためたかしんのう)が亡くなって途方にくれている和泉式部と、為尊親王の弟である敦道親王(あつみちしんのう)との新しい恋のやりとりが取り上げられているのね。もちろん当時は LINE もないしメールもない。手紙でのやりとりになって。もちろん郵便制度も完成してない。小舎人童(こどねりわらわ)がメッセンジャーになって二人の橋渡しをするというね。ツールはどうあれ、コミュニケーションは変わらない。
親王っていうのは天皇の息子、それに対して和泉式部は、出自という意味では低い身分にいる訳よ。でも、和泉式部にはなにかそこはかとない魅力があったのだろうねぇ。そんな魅力の一つがコミュニケーションスキルだったのじゃないかなと思う。位の高い人がキュンとなるような歌、そしてその歌の背景にある過去の歌への造詣、そういったものが和泉式部の言葉には垣間見えるのだよね。こうやって返すのか、なんて思いながら読み進めてしまった。
これは根拠もないし、まだ調べてもいない、勝手な憶測だけど・・・「I love you」を「月が綺麗ですね」にでもしたらどうだと言った夏目漱石は、当時の「月」の重要性をわかってて選んだのかなと思った。基本、逢瀬は夕暮れに手紙のやりとりがなされ、その後、夜に行われる。だから月に関する歌、恋愛に関しての歌に多いような気がする。一緒に見る月、離れていても同じ月を見てる等々、太陽ではなく様々な表情をみせる月だからこそ、I love you を表現するのに月だったのかなとね。
この和泉式部日記、牛車の中での「逢瀬」なんてのもあったりする。現代の車ね。火がついた二人には、もう場所なんてどうでもいいのは、今も昔も変わらないのね。 -
面白かった。平安貴族は、本当に和歌によって自分の気持ちを伝え合うということがよく理解できた。
和泉式部は、実に魅力的な女性だったことがよく分かる。
当時としては、驚き、好奇、批判の的とされてしまうのは理解できる。凄いなとも思う。 -
今まで現代語訳も含め、なぜかあまり読んでこなかった『和泉式部日記』。
正直、魔性の女にそれほど興味がない。
彼女のどこがそんなに魅力的なのか、わからなかった。
さらに、自分の和歌の鑑賞力のなさもあって、彼女の和歌のどこがそんなにすごいのかがわからない。
というわけで、ビギナー向けの本書を読んでみた。
原文を取り混ぜての構成。
分かりやすい解説。
どういう内容かは、これでだいたい把握できる。
皇位を継承する可能性が残っていた時期の為尊・敦道親王に、受領層の娘である和泉が関係することの政治的意味。
まして、為尊親王が夜歩きのせいで病を得て死んだとされたことで、和泉が悪者とされる。
解説によって、こういう背景がわかると、少し関心の持ち方が変わってくる。
敦道が和泉にひかれる気持ちと、彼をいさめる大人たちとの間で揺れるダイナミズム。
和泉自身も、対等な関係での恋愛を貫くか、親王の召人という立場で屋敷に入ることを受け入れるかで揺れ動く。
二人のこういうダイナミズムの中で恋愛が発展していくのだから、スリリングだ。
それにしても、この日記は誰に読ませるつもりで書いたのだろう。
解説者の川村さんは、和泉が敦道親王を擁護するために書いたと考えている。
どういう形で世の中に出たのだろうか。
今年はmyjstyleさんのおかげで、源氏物語や中国古典を知ることが出来ました!
それもずっと読...
今年はmyjstyleさんのおかげで、源氏物語や中国古典を知ることが出来ました!
それもずっと読んでいきたい作品、ジャンルとなったのですから、これらの作品とはまさに運命の出会いとなったわけです 笑
myjstyleさんには導いてくださったこと、感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。
どうぞ来年もよろしくお願いいたします。
よいお年を~♪
そういえば、滋賀ばなしやシャン・サでも盛り上がりましたね。
そういえば、滋賀ばなしやシャン・サでも盛り上がりましたね。