直江兼続 戦国史上最強のナンバー2 (アスキー新書 87)

著者 :
  • アスキー・メディアワークス
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本棚登録 : 54
レビュー : 8
  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784048674775

作品紹介・あらすじ

豊臣秀吉の死後、天下統一を狙う徳川家康に対し、「直江状」をもって主君上杉景勝とともに抵抗するも、関ヶ原の戦いに敗戦。会津百二十万石から米沢三十万石に減封されるという未曾有の危機にさいし、「上杉」というお家存続のため兼続が打ち出した経済政策とは?米沢藩発展の礎を築きながら、自身の死後、直江家断絶の道を選んだ男の生きざまに迫る。

感想・レビュー・書評

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  • 直江兼続について色々誤解していました。すごく真面目な人なんだなぁと。もちろん冷徹な部分もある。安全策を選ぶタイプが特にイメージと違った。
    軍師ではなく執政という言葉はしっくりきました。なるほど。
    毛利家の小早川隆景を思い浮かべました。あとは石田三成、本多正信と同じポジションだなぁと。彼の場合、主家に裏切られなかったところは幸せに見えました。
    一番素晴らしいと思ったのは、失政したら、きちんと打開と後始末をしてから辞職したところです。現代のお偉いさんは、みんな見習ってほしい。本の冒頭にも出ていた現総理大臣が、過去を繰り返すかどうかはまだわからないけど。直江兼続を見習ってほしいものですね。

  • 大河ドラマの主役にもなった人物にも関わらず、未だに謎が多い直江兼続という人物について、的確な考察をしてると思われる一冊。

  • いろいろな文学作品で,直江兼続が登場とします。

    実像はなかなか分かりません。

    本書は、文学作品を読む予備知識として有用だと思われます。

    歴史は複数の視点で見る必要があるので,一つの視点の提供として理解するとよいのではないでしょうか。

  • 直江兼続の生涯について端的にまとまっている。偏見や極論が少ない良書。直江兼続の大河ドラマ化(天地人)にあたり、10年以上前から米沢で地道な活動が行われていたというのは驚きであった。

  • レポートに活用。兼続の功績や敗戦責任の取り方等参考にした。

  • 2009.9.25~29読了

  • (2009.01.17読了)
    NHK大河ドラマ「天地人」が始まりました。記録に残っていない直江兼続(樋口与六)の幼少期が放映されています。今後の展開が楽しみです。
    著者は、歴史を学び、歴史雑誌の編集者を経て、現在、歴史アナリスト(何をする人?)で「歴史探偵倶楽部」を主宰しているそうなので、歴史大好き人間のようです。
    「歴史について詳しく知ろうとするとき、既存書の子引きや孫引きから成り立っている書籍を読むより、一次資料に当たった方が広範なデータを得られるとともに、さまざまな発見がある。」(212頁)ということで、「大日本古文書」「上杉家御年譜」などの一次資料を引用しながら、既存の解釈に縛られない自由な推理を楽しませてくれます。
    コラムでは、NHK大河ドラマの情報を入れたりしてドラマへの期待を膨らめせてくれます。
    この本では、以下の三つのことを中核に据えて書いたということです。
    ・「兼続は、なぜ主君景勝から絶大な信頼を受け、上杉家のナンバー2になれたのか?」
    ・「関ヶ原の戦いに際し、兼続が策定した究極の作戦目的とは?」
    ・「兼続が上杉家再建に成功した秘訣とは?」

    ●「愛」という一字を前立てにした甲冑(18頁)
    兼続が崇拝する愛染明王の「愛」の一字に由来するという説が定説となっている。謙信は毘沙門天を崇拝し、「毘」の一字を旗印に利用したように、仏の名の一字を武具に利用することは当時の流行ともいえた。
    ●兼続出世の理由(42頁)
    新井白石の「藩翰譜」は「兼続は、十四、五の時、顔立ちが美麗だったために主君の景勝によって愛され、以後、側近として仕えて浅からぬ寵愛を受けた」と表記する。
    兼続が21歳の夏から急速に出世する背景には、能力が優れていたという表面的理由だけではなく、主君景勝との間で性的関係が介在し、だからこそ、絶対的信頼関係を築くことができたとみなす方が自然である。
    ●謙信の養子の処遇(54頁)
    謙信は二人の養子のうち、景虎には関東の支配を任せ、景勝には本国越後をはじめ北陸方面を支配させようとしていたらしい。
    ●上杉と真田(105頁)
    1582年3月、武田家滅亡。真田昌幸は、織田信長に接近。本能寺の変の後、北条氏政に臣従を誓った。9月になると徳川家康に仕えた。1585年7月、家康を見限り上杉景勝の臣下になることを誓った。昌幸から服従の証拠として上杉家に差し出されたのが二男の幸村だった。
    ●秀吉への服属(108頁)
    1586年5月20日、景勝一行は京都を目指し、春日山城を出立。秀吉は、石田三成を上洛の道案内として派遣し、27日、三成は加賀森本で景勝・兼続主従と出会った。景勝一行は、6月7日に京都に到着。大坂城へ12日に移ってからは、24日に帰国の途に着くまで、秀吉主催による接待攻勢が続いた。
    ●会津転封(135頁)
    1595年2月7日、会津若松城主の蒲生氏郷は京都伏見の自邸で没した。1598年正月氏郷の子の秀行は、お家騒動の責任を問われ、宇都宮城12万石への転封を命じられた。
    蒲生家が去ったのち、会津若松を与えられたのは、上杉景勝だった。江戸城主の家康の動きを背後から牽制する必要があると判断した三成からの提案だった。
    会津への転封は、上杉家の重臣を先祖伝来の土地から引き離し、新たに領地を与えることによって主従の上下関係が明確となり、兼続の理想とした景勝を頂点とするピラミッド型の組織の完成が期待されたのだ。
    ●米沢30万石への転封(181頁)
    上杉家の禄高が90万石から120万石に加増された時、会津から宇都宮へ減封の上で転封された蒲生家の家臣を大量に雇用したのだが、蒲生家が会津へ復帰するとともに、その大部分が蒲生家へ復職した。そして、上杉家の30万石への減封処分に対応するために、家臣たちに禄高を今までの三分の一にすると通達した。

    著者 外川 淳
    1963年、神奈川県川崎市生れ
    早稲田大学第一文学部日本史学科専修卒
    歴史雑誌の編集者を経て、現在、歴史アナリスト
    「歴史探偵倶楽部」を主宰
    (2009年1月18日・記)

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著者プロフィール

1963年、神奈川県生まれ。早稲田大学文学部日本史学専修卒。歴史雑誌の編集者を経て、現在、歴史アナリスト。戦国から幕末維新までの軍事史を得意分野とする。歴史ファンとともに城郭・台場・城下町を巡る歴史探偵倶楽部を主催。著書に『城下町・門前町・宿場町がわかる本』『早わかり幕末維新』(ともに日本実業出版社)、『坂本龍馬 手紙にみる真実の姿』(アスキー新書)など多数。

「2019年 『江戸・東京 幕末・維新の「事件現場」』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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