吉田拓郎 終わりなき日々

著者 :
  • 角川書店(角川グループパブリッシング)
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感想 : 6
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  • Amazon.co.jp ・本 (487ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784048740869

作品紹介・あらすじ

本当の吉田拓郎を、誰も知らない。なにが生まれて、なにが遺されたのか。徹底した取材で克明に描き出す真実の姿。迫真のドキュメント。

感想・レビュー・書評

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  • 2003年3月に吉田拓郎は肺がんを宣告され、手術を受ける。その後、吉田拓郎はリハビリを重ね、フルオーケストラを率いた全国ツアーを大成功させる。その軌跡を描いたのが、「豊かなる日々 吉田拓郎」である。本書は同じ作者による、その続編にあたる。
    「豊かなる日々」の後の吉田拓郎は、毎年の全国ツアーを行い、また、2006年には「つま恋」でのコンサートを成功させるなど、順調に音楽活動を続けていた。ただ、吉田拓郎は1946年生まれであり、2006年には60歳を迎えており、病歴を含め、体力的な衰えは否めない。そして、2009年には、吉田拓郎は全国ツアーからの撤退宣言を行う。本書は、前作の「豊かなる日々 吉田拓郎」以降の、吉田拓郎の様子を、取材と本人・関係者へのインタビューで綿密に記録したものである。

    吉田拓郎は広島出身である。イメージとしては、広島からギター一本抱えて東京に出てきて、折からのフォークソングブームに乗り、「結婚しようよ」や「旅の宿」をヒットさせ、フォークソングの旗頭として位置づけられるという感じではないだろうか。
    本書内の吉田拓郎のインタビューを読むと、上記のイメージが、本人の意図したものを大きく異なることに気がつく。吉田拓郎は、もともと、広島でバンドをやっていた。一人での演奏や弾き語りではなく、バンド指向が強い。また、音楽的にもR&Bから入っているなど、フォークソングをやっていたイメージは本人にはない。東京に出てきたのも、「フォークシンガーとして成功する」ためではなく、「音楽家として一人でも多くの人に自分の楽曲を聞いてもらう」ためであったという趣旨のことを、インタビューで本人は話している。確かに、デビュー以来、吉田拓郎は自らが作曲、時に作詞やアレンジまで行った楽曲・アルバムを発表し続けている。「つま恋」でのコンサート等、派手なイベントを行う人、というイメージもあるが、それは本人に言わせれば、その時のチャレンジの一つであり、イベントを行うこと自体を目的とはしていない。
    私が吉田拓郎の歌をはじめて聴いたのは中学生の頃。その後、今に至るも自分のiPhoneの中には、吉田拓郎のアルバムが沢山入っており、濃淡はあるが、聴き続けている。ただ吉田拓郎について知っているのは、本人の曲と、時々マスコミに流れる本人についてのニュースくらいのものだった。本書を読んで、吉田拓郎という人について、更に親しみを覚えるようになったし、まだ聴いていないアルバム等も聴いてみたいと思うようになった。

  • 2009年に書かれた本。ツマ恋の話が懐かしい。拓郎がそこまで音にこだわっていたとは初めて知る。
    意図的になんだろうが話を前後させるのは意味がない、というかわけがわから。

  • 『豊かなる日々』の続編という扱いの本書。
    吉田拓郎が日本の音楽を変えて40年。
    拓郎が決めた最終章への道。
    改めて、吉田拓郎のステージを作り上げるエネルギーの凄さに驚かされます。
    このまま終わらず、さらに今でも活躍し続ける拓郎には、本当に感謝です。

  •  同じ著者による浜田省吾ツアードキュメント『オン・ザ・ロード・アゲイン』を思わせる同行取材型ノンフィクション。吉田拓郎の生きざまに寄り添い、その折々に書いた原稿を集め、あえて時系列に沿わずに再構成。やや寄せ集め的な感じはあるが。

  • 復帰後から最後のツアーまでの密着ドキュメント。関係者や吉田拓郎本人のインタビューを交えた充実の内容。体調不良と闘いながらツアーを進めていくのがつらくなる。荷物を一つおろし、これから終わりなき旅をどう続けていくか期待。

  • 7月中旬にNETトーハンで注文して入手。ちょうどその頃仕事で台湾への出張が重なったことと、一旦読み始めたところ、田家さんに『豊かなる日々』の方を先に読め!とか言われてしまって、結構そういう順番を気にするわたしは、あわてて注文して、先にそっち読んで、とか遣っているうちに一月が経ってしまった。ああ、せっかく最新刊だったのになぁ、という心境です。でも、あいかわらず、ここ たなぞうでは誰もこの手の本には見向きもしていないから、ま、いっか。この本には「ゲネプロ」という言葉が何回も出てくる。「ゲネプロ」 それは、コンサートなどの練習の最終段階で、本番と全く同じ状況(衣装なんかもね)でもって遣るリハーサルのこと。本番と違うのは、観客席に客が居ないということだけ。そういう状況での、拓郎と瀬尾一三そしてミュージシャンやPAの木村さんなどの葛藤がこれでもか!というくらいに描かれている。もう一個。 エピソードの前半で出てきた「ストリングス」という言葉は、弦楽器のことなので、ギターやベースのことをいうのかな、でもちょっと言ってることがおかしいな、と思って読み進めていると、それはバイオリンやなどをさす「ストリングス」なのだとわかった。そしてその場合の「ストリングス」は、ストリングスのおねぃさん、という具合に、若いおねえさんとのセットになって会話が成立しているのであった。いや、だからってそこから先には何のエピソードもないのですが。すまぬ。そして、この本の趣旨のひとつは・・・そりゃ拓郎も一生懸命だったんだけど、やっぱ一番がんばったのはミュージシャンや会場設営のスタッフさんなのですよぉ、ということ。でも、わたしとしては「それがどうした、俺は良いコンサートを聞ければそれでよかったんだよぉ」という心境かも。しかし、かくいうわたしは2009年の名古屋国際フォーラムでのLastツアー コンサートは行けなかった。チケットの争奪戦は、のっけからものすごいことになっていて、何回かに分けてNETで抽選があったチャンス全てに申し込んだのだけど、全てはずれ。最後にVISAカードの特権でもってなんとか入手しようとしたのにも敗退、もうあきらめました。で、始まってみれば名古屋、横浜、仙台、東京 と4回の公演のあと、大阪で吉田拓郎は体調をくずしてしまって・・・。結局そのあとの「つま恋も」「NHKホール」も遣れなかった。これが最後の全国ツアー! は最後を迎えることなく終わってしまったのでした。でも、このツアーの、東京でのコンサートの模様が『18時開演・・・』というCDになっていますので、是非みなさま聴いてみてくださいな。あいかわらづの拓郎のMCしゃべくり冗句に笑ってしまうよ、間違いなく。 ぎひひ。

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著者プロフィール

1946年、千葉県船橋市生まれ。1969年、タウン誌のはしりとなった『新宿プレイマップ』創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、NACK5「J-POP TALKIN’」、FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」、TOKYOFM「Kei‘s Bar」パーソナリテイー。「毎日新聞」「J-CAST ニュース」「B-PASS」など、新聞雑誌でレギュラー執筆中。日本のロック・ポップスを創世記から見続けている一人。日本放送作家協会会員。
主な著書に、『陽のあたる場所/浜田省吾ストーリー』『オン・ザ・ロードアゲイン~浜田省吾ツアーの241日』(角川書店・文庫)、『読む J- POP1945 ~ 2004』(朝日文庫)、『小説・吉田拓郎~いつも見ていた広島』(小学館)、『70 年代ノート』(毎日新聞)、『永遠のザ ・ フォーククルセダーズ~若い加藤和彦のように』(ヤマハミュージックメデイア)など多数。

「2017年 『ビートルズが教えてくれた』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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