昭和二十年夏、僕は兵士だった

著者 :
  • 角川書店(角川グループパブリッシング)
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  • Amazon.co.jp ・本 (266ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784048850216

作品紹介・あらすじ

南方の前線、トラック島で句会を開催し続けた金子兜太。輸送船が撃沈され、足にしがみついてきた兵隊を蹴り落とした大塚初重。徴兵忌避の大罪を犯し、中国の最前線に送られた三國連太郎。ニューブリテン島で敵機の爆撃を受けて左腕を失った水木しげる。マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、沖縄海上特攻を生き延びた池田武邦。戦争の記憶は、かれらの中に、どのような形で存在し、その後の人生にどう影響を与えてきたのか。『散るぞ悲しき-硫黄島総指揮官・栗林忠道』(大宅壮一ノンフィクション賞)の著者が綴る、感涙ノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  • そこには一人一人の戦争があった。
    水木しげる氏や三國連太郎氏など戦争を経験した5名の著名人の戦前、戦中、戦後を描いたノンフィクション作品。
    一口に戦争は良くないものと言うけれど、その時代を生きた人には戦争と共に青春だったり夢だったり思い出があったんだなぁ。
    もちろん戦争は良くないけど、そこで生きた人たちの強さや逞しさは認めたいし尊敬に値するものだ。
    戦後の復興に力を注いだり、戦争での傷をもバネにしてがむしゃらに生きてきた人たちがそこにはいて、元気すら貰えた。

    当たり前だけどこうやって一人一人に戦争と共に生活があったんだから、戦争で亡くなった多くの人達にも同じように人生があったんだと改めて思った。
    そうするとやはり戦争は本当に悲しくてとてつもなく虚しいものだと感じた。

    読むのに結構時間がかかるけど、素晴らしい作品なので興味がある方には是非読んでほしい。
    楽しい話ではないけれど、なんだか爽やかな清々しい読後感があった。
    また何年後かの夏に読み返したいと思う。

  • 先の戦争の記憶を語れる人は令和の今ではほぼ残っていないでしょう。戦闘の悲惨な状況は数々の小説や映画で目にしますが、この書で語られている非戦闘時においての証言は、より戦争の虚しさ、愚かさを浮き立たせているように思います。若い世代に広く読んでほしい。

  • 5人の戦争体験者にインタビューしたという本。
    章のタイトルに男色とあって、戦時中の男色に興味があったから手に取った。
    島から女性がいなくなったら男色が広まったらしい。若い男を巡ってケンカが絶えなかったと…ちょっと嘘みたいな話だけど事実らしい。
    あと男色は関係ないけど、5人の話の中で水木しげるの話が良かった。
    水木しげるの戦争漫画を前に読んでたからかもしれないし、水木しげるの人柄がなんか良いからかもしれない。

  • 俳人金子兜太氏、考古学者大塚初重氏、俳優三国連太郎氏、漫画家水木しげる氏、建築家池田武邦氏。
    5者5様の戦争と戦後について語られる。
    およそ10年前の発刊になっているが、すでに故人となられた方もおられ、著者の梯久美子さんには本当にいい仕事をしていただいたと思うばかりだ。
    『トットちゃんとソウくんの戦争』と同じく、リストにはなかったけれど、本棚で見つけて借りてしまった一冊。一つには、同じく昭和20年夏兵士として終戦を迎えた父のことがあったから。この本に登場する方たちは父より少し上の世代だけれど、父なき今だからこそ、もっと知らなければという思いに駆られている。
    この本を読んで印象に残ったのは、戦時の逸話もだが、戦後をどんな思いでどのように生きてこられたかということもだった。
    戦後の職場でのヒエラルキーに、戦時と変わらないものを感じた金子氏は、やがて組合運動へと向かう。結果、出世からは遠のくが、一方では俳人として大成される。戦後の自分の人生を「残生」と言って、南方で散っていった部下たちへの思いを持ち続けておられた。

    この本が出版されてすぐなら、父に読ませられた。きっと興味と共感をもって読んでくれたろうと思う。ただ、10年前の私に今日ほどの読み込みができたか?
    今、父と語り合いたいと思わせた本だった。

  • 自分は戦争を経験せずに死んでいくのかな。水木しげるのところは、今週の「ゲゲゲの女房」の内容とシンクロしていた。先達の生きて精一杯働いてくれたからこそ、今の自分があることを思い知った一冊。

  • 金子兜太(俳人)、大塚初重(考古学者)、三國連太郎、水木しげる、池田武邦(建築家)の戦争の記憶。それぞれが誰かの死を抱えて長い戦後を生きた。ぼくだったらニューギニアの原住民と仲良くなる水木しげるの真似をしたいが、毎日殴られるのはイヤだな。

    当然といえば当然だが、戦争を賛美したり、非戦闘員を殺した記憶を語る人は出てこない(仲間を見捨てた人は出てくる)。敵を殺した記憶もほぼ語られない。そんな話は誰もしたくないし、聞きたくもない。思い出を語る人は、ひどい目にあったり、戦友が殺されたり、みんなが被害者だ。でもみんながみんなそうだったら、戦争にならない。ひどい目にあったぶん、ひどい目に合わせた人がいるはずなのだ。そういう人は語らない。誰が悪いわけでもないけれど、そうやって戦争のイメージは歪んでいくのかもしれないな。

  • 戦争。体験。『小泉今日子書評集』にて。戦後それぞれの分野で活躍を続けてきた五人の戦争体験を著者が聞き書く。女性版もある。

  • 5人の元兵士へのインタビューは、どれも印象的でした。
    特に三國連太郎さんの話は特別でした。
    作者も、書き上げるのが大変だった思う。

  • 916

  • ずっと読みたいと思いつつ機を逃し続けていた本書をようやく読むことができた。そして今さらながら、私の戦争観は単眼的だったなぁと、読み終えて初めて気付かされた。
    子どもの頃から、原爆や沖縄の悲劇ばかり訴えては日本はダメだ、戦争で何があったか、何をしたか、きちんと教えてくれないのは元軍上層部の自己正当化や保身のせいだ、とずっと思っていた。けれどこの本にあふれる、戦争を様々に「生きた」人たちの言葉に触れて、なぜ今まであまりに多くのことが語られないままだったのか、少しだけわかった気がした。
    ここで語られる戦場には、武勇伝も美譚もない。あるのは悩み、苦しみ、飢え、時に木の葉のように扱われる、夥しい数の死と、生き残った者の計り知れない無念さ。その極限を体験した者たちに、敗戦後の世論は手の平を返したように蔑視の目を向ける。何も語るまいと思う人がいても無理はない。彼らは語る代わりに、ただ必死に「死んでいった仲間のために」、残された自分の命を尽くした。戦後の日本の復興と高度成長はその結果なのだと気付かされた。
    欲を言えば侵略や虐殺などの事実をもっと伝えて欲しかった気持ちは残るが、それらの罪はもとより戦争そのものがどれだけ愚かなものか、あの時兵士として生きて死んだ命を通して静かに語る一冊だと感じた。

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著者プロフィール

ノンフィクション作家。1961(昭和36)年、熊本市生まれ。北海道大学文学部卒業後、編集者を経て文筆業に。2005年のデビュー作『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。同書は米、英、仏、伊など世界8か国で翻訳出版されている。著書に『昭和二十年夏、僕は兵士だった』、『狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ』(読売文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞、講談社ノンフィクション賞受賞)、『原民喜 死と愛と孤独の肖像』、『この父ありて 娘たちの歳月』などがある。

「2023年 『サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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