謎解き 関ヶ原合戦 戦国最大の戦い、20の謎 (アスキー新書)

著者 :
  • アスキー・メディアワークス
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本棚登録 : 39
感想 : 7
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784048860741

作品紹介・あらすじ

戦国最大の合戦にして、並み居る武将の人間ドラマの集大成、豊富な史料からその実態に迫る関ヶ原合戦研究の決定版。

感想・レビュー・書評

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  • 関ヶ原の戦いに関する20の謎が書かれてるけど、できたら関ヶ原の戦いでの西軍の防御ラインがあったのかを書いてほしかったな。本当にあったのなら、西軍の作戦どおりだったってなる。

    大阪夏の陣で徳川が豊臣を滅ぼしたことを知っているからか、関ヶ原の戦いは西軍に肩入れしてしまう。
    西軍の実質的な総大将の石田三成にも悪いイメージはない。過去の資料は勝者に都合がよい資料のみ残されるからなんともいえないけど、今まで見てきた資料を見る限り、少なくとも石田三成には豊臣の政権を維持していくために立ち上がったように見えるからかな。
    むしろ東軍についた福島正則に嫌悪感を感じたりするけど、関ヶ原の時点では豊臣が滅ぼされことになるとは思わなかったんだろうな。

  • 所在  :展示架
    請求記号:210.48/Ki54
    資料ID :11400411
    選書担当:豊田

    後に夏の陣と並び戦国時代最大の戦いとされる「関ヶ原の合戦」。例の武将さえいなければ西軍は勝てたと言われていますが、この本を読んだあとは、それすら定かではありません。どちらも圧倒的な力をもっていたわけではなく、両者のミスの積み重ねの量が勝敗を決しました。そして、この合戦はもともと家康VS三成という構図ではなく、両者のそれぞれの問題を家康が画策し、「家康VS三成という構図」に仕立て上げたことも綴られています。戦国時代がお好きな方は必読すべき1冊だと思います。

  • 豊臣秀吉死去から関が原の戦いまでを丹念につづった一冊。

    今まで何となく徳川家康と石田光成の人望の統率力の差、そして小早川秀秋の裏切りによって決したと思ってたのが覆された。
    実際は双方共にミスを重ね、結果として東軍の薄氷の勝利であったということがよくわかった。

  • 「関ヶ原島津退き口」を読んで、すごく関ヶ原に興味を持ちこの本を購入。日本にとっては、非常に重要な勝負ではあるが、名勝負ではない。なぜか?理由がわからなかった。
    子供のころの喧嘩の記憶は、非常に性格ではないことが多いと思う。大人になって、喧嘩の話をすると、双方それぞれかみ合わないことがある。関ヶ原もその類で、ドラマや小説では非常に巧妙なストーリーが展開するが、たった1日に決着がついたあっけない戦いであったことも事実。そんな事実をいろんな面から検証した本といえる。そのため、この本を読むことでがっかりすることもある。しかし、いろんな面の考え方から、自分なりの捕らえ方を得ることは重要。

  • 戦国最大の合戦にして、並み居る武将の人間ドラマの集大成、豊富な史料からその実態にせまる関ヶ原合戦研究の決定版。
    三成の泥縄、家康の計算違い最後の勝敗を決めたのは。
    天下分け目の一大決戦、通説を覆す群雄たちの真意とは。

    マイミクさんの評価が高かったので読んでみました。
    自分的には「うーん」という感じです。読まず嫌いではありますが、元々、桐野氏の著作とは、相性が悪いのです。(合理的な説明は出来ませんが)

    関ヶ原合戦研究の決定版という割には、触れられていない文献もあり残念な気がします。参考文献をみても、史料が豊富なのは頭が下がりますが、論著は数が少なく偏っている気がします。史料を重視する姿勢はわかりますが、「敗者から見た関ヶ原合戦」(三池純正)や「関ヶ原前夜―西軍大名たちの戦い」(光成準治)に言及が無いのは残念なところです。
    本書では、20の謎を提議し、その謎に答えるという書き方です。わかりやすい纏め方ではありますが、必ずしも的確に答えられている気がしません。
    謎2では「五大老・五奉行制はあったのか」とありますが、著者は、「奉行が誰であるかは特定できないし、ましてや大老という言葉も存在しないのである。かといって、これでは不便なので、便宜上、通説に従った五大老・五奉行という歴史用語を使用したい」としています。結論としては、五大老・五奉行というような制度はあったものの、大老間では力に差が大きかったという事を言っています。うーん、設問の答えになっていない気がするのは私だけでしょうか。以前「五大老・五奉行制は無かった」という説を聞いた事があるので、新説が伺えるのかと期待していましたが、肩すかしでした。(これは設問の方が悪いのかもしれません)

    謎10では、徳川軍の主力は家康勢か秀忠勢かという問題も提起しています。桐野氏は、笠谷和比古氏の秀忠軍が主力であったという説に疑問を呈しています。桐野氏はその言とは逆に、どちらが主力であったかという議論に終始している気がします。笠谷氏の著書(だいぶ昔に読んだのでうろ覚えの記憶)では、秀忠軍が遅参したことにより、関ヶ原で家康は豊臣恩顧の諸将を主力として戦うこととなり、外様大名に配慮した論功行賞を行わなければならなかった。これが、関ヶ原から大坂の陣までの流れに影響したということだったと思います。私としては、桐野氏が言うとおり、どちらが主力であったかという事はあまり意味が無く、秀忠遅参がその後の歴史にどの様な影響を与えたのかという方に興味がありますが、笠谷説への反論としては突っ込み不足のような気がします。(議論の次元がマッチしていないのでは)

    桐野氏の著書では、「関ヶ原 島津退き口」の方が断然面白くおススメです。

  • 天下分け目の決戦とまで言われた関ヶ原の戦いは、両軍合わせて20万近くの兵が集まった大規模な戦いでしたが、合戦自体はたったの1日で終わったと歴史の時間に習った記憶があります。

    歴史の授業では10分程度で終わったと思うのですが、高校時代に関ヶ原の戦いにはそれに至るまで多くのドラマがあるはずだと思い続けていました。

    負けてしまった西軍から見た、堺屋太一が記した「巨いなる企て」を読んで、それらを垣間見た気がしました。この本では、関ヶ原の戦いに至るまでの謎を20の視点から解説しています。

    特に、西軍についた織田秀信(三法師で有名)が、籠城せずに無謀な外戦をして2日で敗れたのが西軍にとっては誤算であったと認識しました。

    以下は気になったポイントです。

    ・東西両軍に分かれた両者は、武断派と吏僚派、尾張派と近江派等で分類されることはあるが、結局は、朝鮮出兵における前線と後方、統制される側とする側という立場の違いに起因する(p19)

    ・五大老の中の、家康と利家は別格、財務は五奉行が彼等2人の了承を得てできるように指示されている(p31)

    ・宇喜多秀家は、一門のうち軍団の先手衆をつとめる万石以上の旗頭6人のうち、じつに4人が出奔し、これにその他有力与力40人も同調して大混乱に陥った(p55)

    ・「内府ちがひの条々」の発給主体は三奉行で、それを二大老(毛利、宇喜多)が後押ししているので、その陣容は家康の予想以上に盛大であった(p107)

    ・秀忠の遅参は、使者の予想外の遅着(利根川大増水による川止め)が決定的要因である(p123)

    ・上杉景勝にとっての最大の関心事は、伊達政宗と最上義光で、両社をいかに屈服させるかが関東出陣の前提条件(p149)

    ・岐阜城がわずか2日で落城したのは、織田秀信が採用した城外出陣という戦術の稚拙さに尽きる(p170)

    ・織田勢の本陣4000人に対して、東軍は総勢3.5万人のうち、池田・浅野・堀尾等の1.8万人が攻めた(p172)

    ・西軍の事実上の総大将だった三成が信頼し、かつ掌握できたのは、大垣城在陣の諸将と、大谷吉継のみ(p200)

    2012年2月19日作成

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著者プロフィール

1954年、鹿児島県生まれ。1979年、立命館大学文学部史学科卒業。現在、歴史作家、武蔵野大学政治経済研究所客員研究員。※2020年12月現在
【主要編著書】『孤高の将軍 徳川慶喜』(集英社、1998年)、『さつま人国誌』幕末・明治編1~3(南日本新聞社、2009~15年)、『西郷隆盛という生き方』(編、里文出版、2017年)、『龍馬暗殺』(吉川弘文館、2018年)、『明智光秀と斎藤利三』(宝島社、2020年)ほか多数。

「2020年 『本能寺の変の首謀者はだれか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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