八月の終わりは、きっと世界の終わりに似ている。 (メディアワークス文庫)
- KADOKAWA (2017年1月25日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (274ページ)
- / ISBN・EAN: 9784048926775
作品紹介・あらすじ
本当に好きだった。こんなにも人を好きになることは、この先一生ないだろうとさえ思った。言葉や仕草の一つ一つ、ちょっとした表情の変化、笑い声、髪から香る石鹸のにおい……思い出すと息が苦しくなる。まるで肺の中に、炭酸でも入っているみたいに。
――透子。
高校二年の夏。心臓の病が原因でなくなった彼女のことを、未だ引きずっていた成吾。
あれから四年。交換日記の空白に綴られていく新しい返事。それは見間違えようもなく、透子の文字だった。
感想・レビュー・書評
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4年前、主人公で高校2年生の成吾は、夏のある日、学校の図書館で3年生の透子に出会い、携帯電話を持っていない透子との交換ノートのやり取りが始まります。そして成吾は透子に恋をします。本当に好きだった透子は、その夏、心臓の病気が原因でなくなってしまいます。地元から離れた東京の大学に通う成吾は、未だ透子のことを引きずっています。ところが、交換ノートを通じて4年前の透子とやり取りが始まります。交換ノートを通じて現在と過去がつながり、切ない純愛の物語に涙します。
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時間遡行までして過去は変わることもなくウジウジした主人公が恋人の死をちょっと受け入れられるようになるだけ。
人の死なんぞタイムトラベルもSFも物語もない現実の人間が何万と飲み込んでるんだ。甘ったれるんじゃない。
SF的現象と物語の力を借りてやっと現実の人間並に過去を乗り越えられる男の物語なんぞに何の価値があるのだろう。
最近、タイムトラベルなど超越的現象の恩恵を得て、ヒロインの死と向き合い、しかし現在は変わらず、主人公の内面だけに変化が起きてやっと一歩進むみたいな作品によく触れるが流行なのだろうか。
悲劇が救われるご都合主義とも言われる物語への反発が招いた空虚な作品群に思える。
現実は非情なことを知るのに小説なんざ必要ないんだ。
世の中はご都合主義とはいかないから物語が必要とされるんだろうが。 -
読んだ瞬間から夏という季節に引き込まれる。
爽快感と切なさと、満足感に満たされる作品。 -
岐阜聖徳学園大学図書館OPACへ→
http://carin.shotoku.ac.jp/scripts/mgwms32.dll?MGWLPN=CARIN&wlapp=CARIN&WEBOPAC=LINK&ID=BB00631751
それは、たった40日の恋だった――。
本当に好きだった。こんなにも人を好きになることは、この先一生ないだろうとさえ思った。言葉や仕草の一つ一つ、ちょっとした表情の変化、笑い声、髪から香る石鹸のにおい……思い出すと息が苦しくなる。まるで肺の中に、炭酸でも入っているみたいに。
――透子。
高校二年の夏。心臓の病が原因でなくなった彼女のことを、未だ引きずっていた成吾。
あれから四年。交換日記の空白に綴られていく新しい返事。それは見間違えようもなく、透子の文字だった。(出版社HPより) -
文章の描写がものすごく綺麗だった。そして最後の手紙が思いが届いて欲しくても届かないもどかしさがあって涙が止まりませんでした。