- Amazon.co.jp ・マンガ (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784049135954
作品紹介・あらすじ
500人以上の従軍女性を取材し、その内容から出版を拒否され続けた、ノーベル文学賞受賞作家の主著。『狼と香辛料』小梅けいとによるコミカライズ、第2巻が登場。
感想・レビュー・書評
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前作を読んだ時も思ったが、こんなにも女性の兵士がいたことに驚き。
このマンガに出会わなきゃ、知らなかった事実がいっぱいあると思う。
背けたくなるような話もあり決して楽しい話ではないけれど知っておきたい話でもある。 -
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』のコミック化の第二巻。この巻は著者が執筆日誌として『戦争は女の顔をしていない』の冒頭に置いた「人間は戦争よりずっと大きい」から始まる。1948年にベラルーシで生まれた著者が子供時代を過ごした村には女しかいなかったという。親類の多くが戦争で亡くなっていた。男たちも、そして女たちも。しかし、戦争について知っている言葉は全て「男の言葉」で書かれていた。
「それにしてもなぜ? 幾度となく自問した。女たちはかつて、男ばかりの世界で自分の地位を主張し、それを獲得したのに、なぜ自分の物語を守り切らなかったのだろうか? 自分たちの言葉や気持ちを。自分を信じなかったのだろうか? まるまる一つの世界が知られないままに隠されてきた。女たちの戦争は知られないままになっていた…
その戦争の物語を書きたい。女たちのものがたりを。」
と著者が書くとき、この本が書かれなくてはならなかった理由がはっきりとそこに表明されている。この文を含む原著の冒頭の章が、おそらくは絵にするのがとても難しかったのではないかと思われるにも関わらず、しっかりと第二巻の冒頭を飾っているのはとても素晴らしいことだと感じた。
「「女が語る戦争」は「男の」それよりもずっと恐ろしいと言える。男たちは歴史の陰に、事実の陰に、身を隠す。戦争で彼らの関心を弾くのは、行為であり、思想や様々な利害の対立だが、女たちは気持ちに支えられて立ち上がる。女たちは男には見えないものを見出す力がある」
そういった「女が語る戦争」は、もしかしたらコミックスという形式に向いているのかもしれない。
そして、もし『戦争は女の顔をしていない』を読まずにコミックスを読んだ人がいたのであれば、『戦争は女の顔をしていない』を読まずにいられなくなるのではと、信じている。そして、『戦争は女の顔をしていない』を一度読んだ人は、コミックスを読んで、またもう一度その本を開くであろうことも。自分がそうしたように。
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『戦争は女の顔をしていない』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4006032951 -
第二次世界大戦で従軍していた旧ソ連の女性たちの証言集。そのコミック版の第2巻。
買ってから1年近く積読状態が続いた。テーマがやたら重く感じるのは何故だろうと考えてみる。男と女の戦争に対する「目線」が違うからだと思う。男の側から見ると、「英雄」が求められ、更にそれを演ずることが求めれられる。女性の場合は、英雄ではなく「普通の女の子」でいたいのだろう。やはり戦争は女の顔をしていないのだ。 -
自主的な検閲……。
「その後もこのように一人の人間の中にある二つの真実にたびたび出くわすことになる
心の奥底に追いやられているそのひとの真実と、現代の時代の精神の染みついた、新聞の匂いのする他人の真実が
第一の真実は二つ目の圧力に耐えきれない」 -
戦争体験は1対1で聞かないと、他者がいると話は無味乾燥し、かくあるべしになる。人間の内にある理解しがたい暗いものなのに、説明のつく話になる。作者は一人一人と会って、人が生きるとは死ぬとはどういうことかのか。一人の人間の中で人間の部分はどれだけあるか。という根源的なエピソードを飾らず伝えたいという。それは彼女が真のジャーナリストだから。勇敢な志願兵の話。村で乳飲み子を抱え、食べもののない苦境を生き抜いた話。ただ、彼女たちが語る戦争体験には日本人が語るそれと違う気がする。それは、自国に攻め込んだドイツ軍と戦ったから?戦勝国だから?
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第二巻。描かれる、彼女たちから語られる戦禍の惨状は、ますますの苛烈さを増したように感じた。多分読んで知ったことのエピソードが私の中に降り積もっているのだと思う。
長らく文通を続けていたというニーナさんに、インタビュー記事をまとめた原稿を送ったところ、訂正で埋め尽くされて戻ってきたという話が心に突き刺さる。
どうしても戦いたくて潜り込んだ本部で、軍服を貰えないからと合切袋をほどいてスカートにして穿いたこと、上官の冗談に騙されたり、大尉の名前を忘れておじさんと呼んでしまったり、"乙女の心は燃えている"と詩に書くような恋があったり。
お茶を飲みながら、親しく打ち解けて語ってくれたかけがえのない証言を記録したはずだった。
けれどニーナの言葉は今や、「私は息子にとって英雄です。神さまです。こんなのを読んだ後であの子がどう思うか」。
それを受けて「心の奥底に追いやられているそのひとの真実と、現代の時代の精神の染みついた、新聞の匂いのする他人の真実が。第一の真実は二つ目の圧力に耐えきれない」とアレクシエーヴィチは述べる。平和な場所で生きる蒙昧な私に言えるのは、でも決して新聞が読みたいのではないんだ、ということだけだ。 -
戦車大隊衛生指導員であるニーナ・ヤーコヴレヴナ・ヴィシネフスカヤ曹長の話が印象に残る。
若い女性が志願して前線へ向かい、激しい戦火の中で、必死に役割を全うする。
生き残った本人が語る体験談も、必ずしも、事実とは言い切れない部分もあるようだ。聞き手に身内の男性がいることで、言葉が変わったり、実体験した生々しい部分は隠れてしまうこともあったようだ。
体験談を聞く場面と、回想する場面とを行き来し、現代と当時の対比を表現している。
この作品の行末をこれからも見届けたいと思っている。
ぜひとも、原作も読んでいただけたらと思います。
彼女の著作は縁があり、チェルノブイリの祈りから読んでいま...
ぜひとも、原作も読んでいただけたらと思います。
彼女の著作は縁があり、チェルノブイリの祈りから読んでいますが、あの視線の先にあるものをしっかりと私も見つめていきたいと思っています。
ベラルーシでは戦前が戻りつつあるからこそ。