- Amazon.co.jp ・本 (213ページ)
- / ISBN・EAN: 9784051046248
作品紹介・あらすじ
いよいよ幼稚園に通うことになったラモーナ。ところが、第一日目から、すべてラモーナの思いどおりにいかないことばかり。やんちゃで、ちょっぴり元気がよすぎる女の子の幼稚園生活を描いた、ゆかいな物語。
感想・レビュー・書評
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外国の、おてんば女の子の、まっすぐな毎日。
私の異文化興味への原点。
松岡享子さんの素晴らしい翻訳にも注目。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
おそらく、児童文学史上、屈指の『強烈キャラ』である、ラモーナ。どこまでも、ゴーイングマイウェイ。枠に収まりきれない発想と行動。けど、いいの。コドモなんだから! ラモーナの性格を説明するのに、わたしが用いるのは『バス待ちごっこ』。その答えは。。。シリーズを読んで下さい。
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子どもの頃読んだラモーナはこの1冊だけ
あんまり覚えていないけど、面白かった事だけは覚えてる。もう一度読まなきゃ! -
ラモーナのシリーズを最後まで読んでしまったので、読んでないのをさかのぼって借りてきた。これは『ゆうかんな女の子ラモーナ』の、前の巻。幼稚園に通いはじめたラモーナの話。たまたま図書館で借りたのが旧版だったせいもあるのだろうが、なんか雰囲気違うなーと思っていたら、絵を描いてる人が違っていた!
『ゆうかんな女の子ラモーナ』以降の巻は、アラン・ティーグリーンという人が絵を描いているが、この巻より前はルイス・ダーリングという人が絵を描いているのだった。1916年、コネティカット州生まれの画家は、物語の作者であるベバリイ・クリアリーと同年生まれ。
ラモーナは、その後の巻で小学校へ通うようになり、進級し、妹ができ…と一つひとつ大きくなっていく中で、その年齢の子どもらしく、張り切ったり、しぼんだりするように、この幼稚園時代の話の中でも、やはり「ラモーナ」だった。
自分より大きい人たちに「どうしようもない子」と言われても、ラモーナは「あたし、どうしようもない子じゃないよ」!と思っている。お姉ちゃんのビーザスや、おかあさんや先生に「こうしなさい」と言われても、自分がそう思わなかったら「だめっ」!
ラモーナは、自分で考えて、こうだと思ったことをやるのだが、それが大人の言葉を勘違いした思い込みで、トンチンカンなことになってしまうことも。たとえば、幼稚園についてまっさきに、先生が「さしあたり、ここにすわっていなさい」と言ったのを、ラモーナは「かしあたり!」と、お菓子があたるんだと思ってしまう。(ここのところ、原文ではいったいどういう文章なのだろう)
そのかわり、「やめときなさい」とか「してはいけません」と言われても、やってみたいことはやってしまうラモーナ。同級生スーザンの、ピョンピョンとカールした巻き毛をさわってみたくてたまらないラモーナは、「はい色アヒル」(これはハンカチのないハンカチ落とし風のゲーム)で、鬼にさわられて自分が走る番になったとき、みんなの輪を半周まわった向こうにいるスーザンのポイーンポイーン巻き毛をひとつ、ぐいっとつかむのだ。
そうすると、スーザンがものすごい悲鳴をあげて、泣き出した。
▼なにも、そんなになきわめかなくたっていいじゃないか、とラモーナは思いました。いたくするつもりは、ちっともなかったのです。ただ、スーザンの毛が、みじかくてピンとした自分の茶色の毛とぜんぜんちがって、あんまりきれいで、ふわふわしているので、ちょっとさわってみたかっただけなのです。(p.31)
でも、そんな気持ちを説明できる年でもなく、ラモーナは「なき虫」「あんなにあかちゃんみたいになかなくたっていいじゃない」と言って、先生にゲームを離れてベンチに座ってるように言われてしまう。それでもラモーナは「いかない」と主張。
大人から見たら「なんでそんなことする?」と思う言動にも、子どもなりの理屈と感情があるんやなーとラモーナを読んでいると思う。具体的なことはもうまったく忘れてしまっているが、私自身も、大人に通じない、分かってもらえない、そんな気持ちを昔むかし抱いていた気がする。
ラモーナは、隣のハーウィのお古の長ぐつがイヤでたまらない。上のとこは光ってないし、色は茶色だし。でもお母さんは「長ぐつは、足が濡れないためにある」のだから、これを履きなさいと言う。違うのだ。ラモーナにとって、長ぐつは、そんなためにあるんじゃないのだ。
▼それ[長ぐつ]は、足をぬらさないためではありません。見せびらかすためなのです。そのためにこそ、長ぐつはあるのです──水たまりの中をジャブジャブ歩いたり、水をはねかしたり、どろの中で足をふみならしたりするためにあるのです。(p.111)
茶色で光ってなくてイヤだった長靴が、なんと新品になる日が来た!
傷んでしまったラモーナの靴を買い換えるとき、おかあさんは、新しい靴のうえからお古の長靴が履けるようにというつもりだったのだが、かなりぎゅうぎゅうやって、おかあさんの手助けもないと靴の上に長靴を履くのはむずかしいことが分かり、店のおじさんのススメもあって(子どもが自分で脱いだり履いたりできるようにぶかぶかのほうがいいらしい、幼稚園の先生が30人近い子どもにいちいち手をかしてやれないでしょうと)、結局、新しく長靴も買うことになったのだ。
ラモーナはもう天にものぼる心地。うれしくてうれしくてたまらない。
新しい長靴を買ってもらった次の次の日は、雨になった。学校(幼稚園は学校の敷地のなかにある)の前の交差点で、ラモーナは、すてきなどろんこを見つけた! 新しいマーケットの駐車場になる工事現場のどろ! それは「ラモーナがいままでに見たなかで、いちばんすばらしいどろ、いちばんどろらしいどろ、いちばん足をつっこんでみたくなる種類のどろ」(p.124)であるうえに、雨がひどくて工事は休み、つまり入っちゃだめだというおじさんたちが誰もいない!
一緒に通学していたハーウィに、行こうと誘うが、ハーウィは先に道を渡ってしまった。ラモーナは、どろどろのどろのところへ! 交通整理をしていた上級生のヘンリー(ビーザスの同級生)が「そっちへいっちゃだめだ!たいへんなことになるぞ」と叫ぶのをものともせず、ラモーナはどろのところへとっとと歩いていった。
すべりやすいどろの中で、用心深く一歩一歩足を動かしていたラモーナは、最初のうちは、その様子をみている幼稚園の子に手を振るよゆうがあった。ヘンリーは「足がぬけなくなるぞ!」とまた叫んだが、ラモーナは「へいきよ、ぬけなくなんかならないわ!」と言い返す。
ところが、そのすぐあとに、ラモーナの両足はどちらも持ち上がらなくなり、身動きがとれなくなった。レインコートの中は汗びっしょりになってきて、ラモーナは泣きそうになる。そこへ担任のビネー先生があらわれて、「だいじょうぶよ、ラモーナ。なんとかしてあげますからね」と飛んできてくれた。
そして先生は交通係の仕事がすんだヘンリーを呼んで、ヘンリーがラモーナをひきあげてくれた。ラモーナの体はもちあがったが、新しいきれいな長ぐつは脱げて、どろの中!! あとで雨があがってからと先生がなだめても、ラモーナはあたしの新しい長ぐつ!!とぎゃんぎゃん騒ぎ、これもヘンリーがひっぱりだしてくれた。
ラモーナはこんな調子で幼稚園生活をおくる。先生に、もうこれからスーザンの髪をひっぱらないでおきましょうと諭されても、自分が考えて、ひっぱらないでいるのは無理だと思ったら、「いいえ、できません」と答えるラモーナ。その素直さと、自分でちゃんと考えるところがほんとにイイ。先生に言われたから、親に言われたからといっても、納得できないものは納得できないし、自分の好奇心をそうやすやすと押さえ込めるもんじゃないから。
だけど、周りが「豆台風」と言いたくなる気持ちも、大人になった私はちょっとだけ分かるなーと思う。
(7/18了)
*その後の改訂新版では、表紙の絵がちょっと変わって(色が変わり、ラモーナは左右反転)、ラモーナが足を蹴り上げた先には、ぼろぼろのウサギのぬいぐるみに、ビネー先生がリボンをむすんでくれた絵がはめこんである。
著者プロフィール
ベバリイ・クリアリーの作品





