- Amazon.co.jp ・本 (292ページ)
- / ISBN・EAN: 9784052014062
作品紹介・あらすじ
「やっかいな子」といわれていたラモーナももう9歳。小4のスタートはスペリングの勉強に音をあげそう…そんななか、親友との出会い、ちょっぴり初恋、ロバータのお姉ちゃんとして、ますますたくましくつきすすむ、われらのラモーナ! シリーズ最終章。
感想・レビュー・書評
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「ラモーナシリーズ」の最終編。まるでラモーナの日常にいるかのような気分。ある時は10歳のラモーナに、またある時は大人や母親としての視線で、作品にすっぽりと引き込まれる。子どもっは本当はこう感じているのかも、こうだったら嬉しいと、自分では言葉に出来ないような繊細な感覚を難しくない言葉で書き進めるベバリィさんも翻訳の松岡さんも本当に素晴らしい。
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『ラモーナとあたらしい家族』の続き。ラモーナのシリーズもこの巻がさいご。あとはヘンリーのシリーズに小さいラモーナが出てくるというのをさかのぼって読むか。
ラモーナは4年生になる。新学期、みんなに言いたくてたまらないのは「うちに、赤ちゃんが生まれたんだよ」ということ。担任のミーチャム先生が、先生によくわかるよう自分のことについて短い作文を書いてくださいと配った紙に、ラモーナは猛烈なスピードで書いていった。自分でも気に入ったその作文を、帰る前にミーチャム先生はみんなの前で読んだのだ!新入りのデイジーとは仲良くなれそうで、上々のスタート。
でも翌日、正しい綴りの勉強になって、ラモーナのうきうき気分はしぼんでしまう。黒板に書いてある練習問題は、ラモーナが昨日の作文で間違った綴りと、正しい綴りだ。ミーチャム先生は、昨日、いくつか綴りが間違っていても、ラモーナが何を言いたいか読み取ってくれたのに。
だからラモーナは、「つづりがちがってたって、意味がわかればいいんじゃないですか?」と思ったことを先生に言った。新学期が始まって2日目だというのに、ラモーナはミーチャム先生は嫌いだと決めた。先生は、勉強はたのしいと言ったけど、少なくとも綴りの勉強はたのしくない。
▼ラモーナは、なにもつづりをまちがえたいわけではありません。ただ、まちがえないようにするのが、めんどうくさいだけです。つづりより、もっとおもしろいことがあるはずです。それが何かは、今すぐにはいえませんが。ラモーナは、しかめっつらをしながら、自分が書きまちがったのや、ほかの子がまちがったことばを勉強しました。やっている間、いやでいやでたまりませんでした。(pp.30-31)
そんなこんなの胸のもやもやを、お母さんに話して、ラモーナはちょっと気分がよくなる。お母さんはラモーナのことをよく分かっていて、ラモーナの話を聞いたあと「あなたは誇張してると思うわ」と言う。その次の、ラモーナの気持ちを書いたところがおもしろい。
▼ラモーナは、おかあさんのいうとおりだと思いました。でも、自分の感じ方からいうと、そうなのでした。誇張するのは、気分がいいのです。(p.46)
妹のロバータが、ラモーナのことをじっと見ているので、ラモーナは「イイーン」と舌をつきだしてやった。やった途端に、かわいい無邪気な赤ん坊の妹に、なんてことをしたのかとラモーナは恥ずかしく思うが、それよりびっくりしたことが起こる。ロバータが、ラモーナに向かって舌をつきだしたのだ!
ただの偶然かもと思って、もう一度ラモーナが舌をつきだしてみると、やっぱりロバータはうれしそうに笑ってまた舌をつきだしてくる!お母さんは、赤ん坊はわたしたちが思ってる以上に観察力があって、見たものをお手本にするんだと教えてくれた。
ロバータの相手をしながら、とてもうれしくなったラモーナは、お手本(role model)という綴りを頭の中で練習していた、というところが、話としてもうまい。
姉のビーザスは高校生になって、青春まっただなか。ある日、ビーザスがピアスをつけて帰ってきた。どうしてやる前に訊かなかったのというお母さんに、「あたしの耳だし、あたしがベビーシッターしてもらったお金使ったし、それに、もし、きいたら、おかあさん、いけないっていったでしょ」(p.92)とビーザスは言う。「姉」の私は、その次のビーザスの言葉に、分かるーーと思う。
▼「あたし、いつもすなおで、ききわけがよくて、しっかりしている自分にあきたの。みんなに、なんておりこうさんでしょう、っていわれるの、もううんざりなの。たまには、いかすかっこうをして目立ってみたいわ。みんな、いつもいつも、あたしに、あれしてちょうだい、これしてちょうだいってたのむわ。あたしにさせれば、きちんとするってわかってるからよ。そうなの、あたし、ピアスをつけて、口紅ぬって、だれかべつの人になりたいの。パーティーのためにすてきなかっこうしたいし、おもしろおかしくやりたいの!」(pp.92-93)
お母さんは、そんなこと思いもしなかったと涙をにじませて、お前はいつだって満足しているように見えていたとビーザスに言う。「外っかわだけよ」「心の中じゃ、そうじゃないわ」と言い放つ。
ラモーナは、そんなビーザスを見ながら、ビーザスや自分が大人になることを考えた。「ラモーナは、おもしろい本を読んでいるときのような気分になりました。次にどうなるか、知りたいと思ったのです。」(p.99) うまい表現やなあと思う。
ずっと女の子の親友がほしかったラモーナは、デイジーと親友どうしになる。自分のうちと同じように、ほどよく散らかったデイジーの家で、遊んでいるうちに天井を突き破ってケガをしたり、新聞の広告の文言がおかしいというので、デイジーと一緒に、その広告を出した会計事務所へ手紙を書いたり(しかも、それにはちゃんと返事がきた!)、デイジーの一家が学期休みに旅行に出るときに猫シッターを引き受けたり。
姉のビーザスの世界が広がっていくのを見ながら、そしてラモーナをお手本にする妹のロバータを見ながら、ラモーナは自分のことを考え、周りの人のことを考え、失敗したり、得意になったり、いろんな経験をしていく。
ラモーナが10歳になる誕生日、それは「ゼロティーン」で、あたしもいよいよティーンエイジャーになるのだとラモーナは思う。だって、9から10へ、数字が2桁になる!2桁というと重みがあって、えらそうに聞こえる。今年はゼロティーン、来年はワンティーン、再来年はツーティーンで、というラモーナの考えを家族はおもしろがる。
自分の誕生日パーティーを公園でやりたいと考えたラモーナの計画どおり、青空の広がるその日は完璧だった。苦手だったスーザンのことは、もうそれほどいやじゃなくなったし、校庭ザルのダニーは、自分のことが好きだし。
ティーンエイジャーのラモーナが、どんな子になっていくのか、もっと続きが読みたいけれど、作者のベバリィ・クリアリーさんは、そろそろ100に手が届こうというお歳だし、画家のアラン・ティーグリーンさんも80が近いお歳だし、もうこのあたりが潮時か。それでも、シリーズが終わりというのは、残念で、さびしい。(この本の原著は、1999年刊、作者が83歳、画家が64歳のときのもの)
(7/10了) -
どこまでも見届けたい思いがつのってきたラモーナの成長ぶりもここまで。同級生との初恋も、もはや台風と言われたやんちゃ娘ではありません。
シリーズを通してのイラストも楽しい。こういうふざけた子供いるよな〜と、思うような描写が秀逸です。 -
私は子供でした。その頃は子供の世界にいました。いつから大人になったのか、その境がどこなのか、わかりませんが、あの頃の考え方や感じ方をとり戻すことはできません。しかし、その気持ちを思い出すことはできます。そして、それはこんな本に出逢ったときだったりするのです。
快活な女の子、ラモーナは9歳。姉のビーザスと、生まれたばかりの妹、ロバータがいます。そして大好きな、お父さんとお母さん。新学期も始まり、気持ちも新たに、学校生活が始まります! 新しい先生、新しい友達、そして新しい悩みも…
この本は、もともとは『ゆかいなヘンリーくん』シリーズで、ヘンリーくんという男の子の物語でした。はじめて登場したラモーナは、まだ幼稚園にも行っていない、近所に住む、手のつけられない、いたずらっ子だったのです。『ラモーナは豆台風』で、晴れて(?)主役デビューをはたし、それから彼女のシリーズが続いています。それまでは、ただのきかん坊でしかなかったラモーナの、繊細な心の動きを追うお話になりました。ラモーナは直情的で、反面、繊細で、喜んだり怒ったり。平凡な毎日でも、ラモーナにとっては一大事の連続なのです。ちょっと傲慢にもみえるラモーナですが、彼女の成長していく姿は、等身大の子供そのもので、多くの方が共感をおぼえるのではないでしょうか。
対人関係において、相手のことを考え、行動するのが当たり前です。その相手が子供の場合だと、また勝手が違ってしまうものです。私達は子供でした。お子さんがいる方も、いない方も、子供と接する時に、まず、自分の子供の気持ちを思いだし、自分の子供の頃と向き合ってみてはどうでしょう。それで、すこし円滑に関係が築いていけることもあるのではないかと思います。そのとき、この本が、きっと、手助けになることではないでしょうか。
※ 蛇足ですが、シリーズを通して読むと、ラモーナは当然のこと、姉のビーザス、そしてヘンリーくんなど、みんなの成長ぶりをかいま見ることができ、更に楽しむことができるので、おすすめです。