本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
本 ・本 (152ページ) / ISBN・EAN: 9784052044885
作品紹介・あらすじ
劉備、曹操、孫権などの群雄が覇を競う、中国歴史ロマンの決定版『三国志』。はじめて歴史物語にふれる読者に向けて魅力はそのままに、登場人物やできごとを厳選してわかりやすく読みやすいまんがにした。現代風の絵柄で、男女問わず三国志の世界に夢中に。
感想・レビュー・書評
-
後半の地図は役にたちます。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
専横を極めた董卓の討伐から曹操の河北統一まで。
董卓は後漢末期の霊帝死後の政治的混乱に乗じて政治の実権を握り、幼少の少帝を廃して献帝を擁立し、相国(≒首相)として宮廷で権勢をほしいままにした。
これに抵抗した諸侯の連合軍(橋瑁・曹操・孫権・関羽・袁紹・猿術・公孫瓚など)は、虎牢関の戦い(191年)で董卓を倒し(主に袁紹・関羽;三国志演義の創作)、董卓は落陽を燃やして財宝を奪い、都を長安に移す。
董卓はその後、自身の養子であった呂布に殺された(192年)。
一方、董卓の死後、連合軍は分裂し、各々が領地拡大を目指す群雄割拠の時代に突入する。
そして、その群雄割拠の時代を制したのが、曹操である。
劉備は曹操に使えたが、次第に権力を強大化させる曹操を恐れた献帝の命で曹操を抹殺する計画を立てた董承の呼びかけに乗り、打倒曹操を目指す同志の連判状に署名した。
しかし、このことを曹操に知られ、劉備は曹操の猛攻を受け、河北の袁紹の下へ敗走。関羽は曹操の捕虜となった。
その後、元連合軍メンバー同士の戦いとなった易経の戦い(199年)で公孫瓚を破った袁紹は、河北の覇権を争うべく曹操と対決した。
曹操は、199年に呂布を破り処刑した後、関羽が活躍した白馬の戦い(200年)その後の官渡の戦い(200年)で袁紹を破り、その後袁紹一族の領有した幽州などを平定し、河北を統一した(207年)。
著者プロフィール
渡邉義浩の作品





