発達障害と家族支援 家族にとっての障害とはなにか (学研のヒューマンケアブックス)
- 学習研究社 (2009年2月24日発売)


- 本 ・本 (152ページ)
- / ISBN・EAN: 9784054039902
作品紹介・あらすじ
軽度の発達障害は、言語などに遅れがなく障害という認識をもちづらい。では発達障害の診断を受けた子どもに対し、親はその障害をどう受容するのか。こうした家族をサポートするために周りは何ができるのか。著者の多くの臨床例をもとに考える。
感想・レビュー・書評
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「きれいな言葉」が苦手だ。
それが悪いとは思わないし、きれいな言葉に救われる人がたくさんいるのも知っていて、それを否定したいとも思っていない。
でも私は「きれいな言葉」が苦手だ。
それは、一歩間違えると(最近の言い回しで言うところの)「正論で殴る」みたいなやつに容易に転化すると感じるからかもしれない。
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本書はだいぶ前に出版された書籍(2009年)だ。
なので、出てくる用語や記述、データなどが古いのは仕方がない。
家族支援について学ぶ機会があったので再読したのだ。昔の自分が一所懸命勉強した()跡が残っている。
著者は知的障害を持つ子どもたちの施設勤務を端緒として、多くの臨床の場で実践や研究を行い、家族支援にも力を入れてきた臨床家である。
私たち末端の支援職にとってはかなりのビッグネームだ。
本書は、そんな著者が立派な「正しさ」を唱えることにとらわれず、自身の若い頃のまだ未熟であった実践や失敗経験なども語りつつ、家族を支援するとは何か、家族を通して当事者たる子どもを支援するとはどういうことかを真剣に論じた一冊である。
そのまなざしには、当事者である子どものみならず家族、時には教師などの支援者も含めてどのように「共に歩む」のか、障害とは何であり「障害を受容する」とは何であるのかという答えのない問いを模索するあたたかさ、真摯さがある。
それは、実際に「正論で殴」ってしまった結果黙って離れて行った相談者(主に親)の姿を振り返っての真剣な反省や後悔を踏まえてのことであろう。
私たちは、子どもの現状を受け入れることのできない親たちをネガティブな目で見てしまいがちだ。自分たちは高みに立ち、正しいことを言っているつもりでいるのだ。
しかし「正しいこと」が人を追い詰めることはある。むしろ、正しいからこそ追い詰めるのだろう。
しかし、子どもの最大の支援者であって欲しい保護者を追い詰めるのは私たちがすべきことではないはずだ。葛藤や苛立ち、もどかしさはしばしばあるけれど、それは親たちがわが子に対して感じているのと似た感情かもしれない。
臨床家のまなざしは、助けが必要な人を責め、正論で殴るものであってはなるまい。
あらためて襟を正す機会を与えてもらった再読だった。
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人間には、常に清く正しくなどいられない瞬間がある。いっぱいある。てゆうかほとんどそうなのではないか。
私たちの中身は不純物がいっぱいである。少なくとも私はそうだ。
きれいな言葉に取り囲まれるとむずむずして居心地悪くなってくる。別に何もしてないのに謝らなきゃいけない気がしてくる。だいぶ汚れている。
内なる汚れを自覚して、その上で目の前にあるコト、モノ、ヒトに真摯に向き合うことが、今より1ミリくらい自分を前に進めてくれると信じつつ、明日も泥臭く臨床やってます、多分。
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経験談が多く、実際の当事者の声が織り込まれているところが非常に勉強になる。また、家族指導という言葉に違和感があったので、納得できる点が多かった。ただ、障害受容ということが本当に必要なのか?受容しなければいけないのか?ということは、まだ自分の中で答えが出ていない。
でも、仕事をする上で、保護者や子どもの前で使うことばや表現に、もっと注意を払っていきたい。 -
自分のことが書かれているのかと思うほど、自分の心の状態そのままが説明されていた。しかもモヤモヤとしていた部分も、客観的に説明されていてスッキリした気分になった。さらにそれが発達障害を持つ子の親として当然のことだと書かれていて、ホッとした気持ちになった。 そして、そういう発達障害を持つ子の親の心の動きを、そういうものとして認め、変わることを強要せず向き合ったうえで対応法を示してくれている点に、救われた気持ちになった。 こういう対応をしてほしかったんだと確信した。こういう対応を求めることは間違ってはいないんだと安心した。 この本を紹介してくれた人に感謝したい。
著者プロフィール
中田洋二郎の作品





