- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784054048775
作品紹介・あらすじ
明治維新以降、天皇家は三井や三菱をはるかにしのぐ大財閥として、日本経済を牛耳ってきた。しかも、戦後、財閥が解体される中、天皇家だけは形を変え、今も日本経済を支配しているという。日銀の大株主・皇室による経済支配から日本の経済構造の真相に迫る。
感想・レビュー・書評
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金融システムから見た天皇制及び戦前・戦争・戦後の歴史。昭和天皇が「民間人」として外交及び国政に影響を与え続けたということを論証。昭和天皇とダレスが会見したことがその象徴。「ダレスは来日時にはアメリカ国務省顧問の肩書きであったが、本当は「民間」の、ロックフェラー財団理事長として、アメリカ財界代表として、来日していたのである。」
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内容以前に市井の一研究者の著作という点に頭が下がる。
戦前の宮内省が天皇家の金庫番として機能していたこと、それが持ち株会社を通じた財閥支配の構図と酷似していること、むしろそのモデルにして最大の財閥が宮内省であったこと等が実証的に記述される。天皇の訪米が実はロックフェラー家との20年越しの「約束」であったことなど歴史の裏の人間模様が興味深い。真偽は不明だが、戦前、天皇家が大株主であった日銀の、現在の株主が他ならぬロックフェラー家であるらしいことが、本書を読めばある種必然であるようにも思えてくる。
以下、興味深げな参考文献。
ピーター・ウェッツラー、森山尚美「ゆがめられた昭和天皇像」
ハーバート・ビックス「昭和天皇」
イアン・ブルマ「近代日本の誕生」 -
スロウ忍ブログ:
副島隆彦の“野村證券破綻説”に野村證券が法的対応を検討。副島も受けて立つとのことだが。
<http://surouninja.seesaa.net/article/243267138.html> -
戦前、日本には財閥があって日本経済を支配していて、その企業が戦争を支援したということで、GHQに財閥解体を命ぜられたと聞いたことがあります。
この本では、それらの財閥よりもさらに大きい規模の財閥として、天皇家が財閥となって銀行や大企業を支配していたということが書かれています。
驚きましたが、私が今まで知らなかっただけで、どうも事実のようです。冷静に考えてみれば、1000年以上も続いた名家なので資産が多くても当たり前なのかもしれませんが。
この本を読んだ収穫の一つは、日本に特有の「株式持ち合い制度」がなぜあるのかが、わかった点(p214)でした。いままでどんな本にも解説がありませんでしたので印象的でした。
以下は気になったポイントです。
・天皇財閥とは、天皇家を財閥家族として、宮内省(職員6千人、現在は千人程度)を本社機構にもち、その傘下には、日本銀行、横浜正金銀行(後の東京銀行)、満鉄、日本郵船といった国策企業群を有する大企業グループ(p18、21)
・イギリスでは、ハノーバー朝のジョージ1世のときに議会政治が確立した、イギリスの王でありながらドイツ人のため、英語が話せず国内政治に疎かったため、内閣は国王ではなく議会に責任を負うことになった(p28)
・三菱財閥において、三菱本社が持ち株会社であり、岩崎家が頂点にいたように、天皇家が頂点で、宮内省が持ち株会社の機能をしていた(p35)
・昭和12年(1937)の名目国民総生産は、234億円、15年には394、20年には745億円であるが、実質国民総生産(インフレ考慮)は、一貫して200億円、天皇の資産は終戦時において15~37億円であり、13~20%の大きさ(p40)
・徳川家が駿府70万石に削られる一方で、天皇家は、10→15万石(日本全体:792万石)(p41)
・天皇家の資産は、明治17年に、日本銀行、横浜正金銀行株の移管、明治21年に、佐渡、生野両鉱山の移管、23年には、国有山林原野の編入があり、これが原型となった(p45)
・明治維新の本質は、ロスチャイルド家が支配するイギリスと、ナポレオン3世(ボナパルト家)が支配するフランスとの争いであった(p54)
・日清戦争、日露戦争において、日本郵船は戦争に協力して、世界に冠たる海運会社になった(p82)
・アメリカの鉄道の歴史は、1846年東部ペンシルバニア州とオハイオ州と結ぶ「ペンシルバニア鉄道会社」に始まる、のちにモルガンやロックフェラーが経営権を競った(p100)
・第一次世界大戦までは、貿易金融は、横浜正金が一手に引き受けていた(p111)
・興銀は、重工業のための銀行、軽工業のための銀行は、日本勧業銀行、興銀は、国内企業の融資業務以外にも、外国為替業務の許可されて、海外での日本債権発行に尽力した(p113)
・戦前の日本は、財閥によって支配されていた、財界の協力なくしては、軍部は何もできなかった、1940年から1944年までは経済衰退にもかかわらず軍需品生産は増加している(p128)
・戦時の軍需生産は国家の要請であり、三井、三菱をはじめとした14財閥は、国家資本の半分を占めた(p139)
・満州進出の本当の理由は、満州における通貨発行権、金融支配を樹立するために、反対する奉天軍閥をたたいた(p148)
・天皇財閥の取締役は、宮内大臣(天皇の筆頭マネージャー)、侍従長(天皇の首席メッセンジャー)、侍従武官長(天皇の首席軍事顧問)、内大臣(天皇の首席政治顧問)であった(p178)
・財閥家族の所有株式が放出されて、財閥本社が解体されたが、傘下の企業が「法人」として取得した、同じ財閥のもとにあった企業がお互いに所有し合ったので、「株式持ち合い」となった(p214)
・日本銀行は、中央銀行という性格から、三井グループや三菱グループの銀行に対して融資する、これは天皇グループが、それらの企業集団の上に君臨することを意味する(p229)
・長銀は、勧銀と北海道拓銀(北海道における興業銀行と勧業銀行の役割)の長期信用部門として、昭和27(1952)に設立された(p233)
2011/6/11作成