- Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
- / ISBN・EAN: 9784054053045
作品紹介・あらすじ
「信長・秀吉軍は先進的」「いくさは農閑期に行われる」等の通説は本当か? 鉄砲が急速に普及した意外な事実とは? 侍・足軽・雑兵とは何者か? 現代軍事学の視点から戦国大名の軍勢=戦国の軍隊の実態を浮き彫りにする、目からウロコの戦国論!
感想・レビュー・書評
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めちゃくちゃ面白い。10年以上前の本だが、我々市井の戦国好きの中で最近流行っている戦国史をもとにしたマンガや小説なんかは著者が取り上げた研究結果が大きく反映されているんだなというのを感じる。軍事的な視点から戦国史を見ると、これだけ景色が変わるのかと。史料の読み方も、目を引く表現にとらわれるのではなく、書いた人間がどういう意図でそういう表現をしなのかとか、冷静に考えているところがまたいいと思う。
高白斎記などにある備えを立てるという表現、これはそれぞれの領主が動員した兵員を連れて着到してから兵種ごとに部隊を再編したことを指すのではないかと指摘している。東国のほうがそういった面では進んでいたのではないかというのも。また、旭山城に晴信が入れた300という鉄砲の数についても、武田の戦略環境から晴信が有していた総数を入れたら十分にありうる数字としているのも納得。
軍事の階層性に関して、作戦というレベルが意識されるようになったのは享徳の乱の長尾景春の反乱からで、行(てだて)という言葉がそれに該当するのではとしている。このような理論的な整理も、塚原卜伝のような武芸者の需要が高まったことと関連があるとしている。
最初に取り上げた山中城攻めでの渡辺勘兵衛の記録についても考察していて、そこには兵種別に再編成された部下たちが別部隊として戦っていたこと、また小者が乗り捨てた馬の面倒を見て戦が終わってから死体が累々としている城内で勘兵衛を探しただろう、そして勘兵衛はそれが当たり前のことで自分の武功とは何の関係もないから記録していない軍役関係の史料にも馬上一騎に鐙などと同じくセットなのが当たり前だから記載がないのだと説得力のある推測を示している。
武田家の軍役定書などから、細かく兵装について指定されているが、これも兵力を提供する領主側としては手抜きをしたいというモラルハザードがあることを考えれば理屈に適っている。馬上の侍については自己責任のはずだが、大名側が重装備を指示しているのは、追撃戦など乗馬戦闘に適した場合でまとめて用いたいのと、下馬した場合は重装歩兵として用いたかったから。消耗率の高い前線で缶切り役として活躍した。島原の乱での細川家の論功行賞で軍令を無視して強引に城内に突入して評価された武士と鉄砲隊の指揮官でありながら指揮下部隊をほっぽってしまった武士とで評価がわかれていて、缶切り役と指揮官役で働きも分かれていたらしい。
兵種別編制が可能かどうかは主従関係を断ち切ることができるのかという反論があるが、軍役と同じ奉公の一つである普請にたとえ、石や木といった資材を調達するのと兵力を調達するのは一緒で、必ずしも動員した兵力が被官である必要はないのだとしている。では雑兵たちはどこから調達されたのか、これは臨時でパートを企業が募集するように、落ちぶれた浪人や村からの逃亡者を集めたのだった。武田家朱印状写にある長刀を帯びることが許された一手役人は、ヨーロッパでハルベルトを盛った先任下士官と同じく、逃げたら切ると兵隊ににらみを利かせる存在だった。支配階級に属する侍と被支配階級の足軽などでは価値観やメンタリティも違うから、敗勢となっても侍は踏みとどまったし、足軽は逃げたし、勇敢に戦ったとかたちまち壊乱したとか一面的に理解するのは違う。
兵粮自弁で享徳の乱の管領軍も公方軍も商業資本を通じて物資調達しており、長尾景春はこれをゲリラ的に寸断した。第二次国府台合戦では、里見側が兵粮の値段交渉が長引いて搬送が遅れている。氏康は状況によっては家臣に貸し出していた。小荷駄隊の編制も後北条氏では氏綱のときからされていた。小田原戦役で北条側の書状から秀吉軍が兵粮に困っていたと結論することはできないが、フロイスや松平家忠の記録からは確かに秀吉軍の士気が低下していたことが窺える。小田原城を囲んだ部隊を他の支城の攻略に向かわせたのは口減らしだった可能性もある。
長篠合戦の史料を読み解くと、武田の主攻軸は徳川で、織田軍は兵力を損耗しないようにしながら援護射撃をしていた。事実武田や徳川の記録ではそれぞれが白兵戦を戦っていた記録がある。織田軍を攻めた武田軍も織田軍を陽動する目的で都度アプローチを変えて攻めたり引いたりを繰り返した。武田軍が攻勢限界に至ったところで織田軍は主力を投入しなのではないか。これはセンゴクなんかで示された解釈と比べてどうかというのが気になる。
信長が天下を取れたのは、常に拡大と他正面作戦で異常な淘汰圧がかかって慢性的な人材不足にあったために腕に覚えがあり上昇志向の強い侍が次々と集まってきたためで、淘汰圧の構造によるもの。
最後に、戦国時代は軍事革命を生ぜしめながらも社会構造の根本的な変革には至らなかった。下剋上とは所詮は支配階級内部での権力闘争でしかなく、軍事政権としての大名権力もその延長線上にある織豊政権も、構造的に格差を再生産しつづけるイベントである戦争の実行主体に過ぎなかったから。そして秀吉の対外戦略の失敗で日本列島が東アジア社会から孤立し、徳川の派遣で国内の戦場が全て閉鎖され、戦国日本の軍事革命は未完に終わってしまったとの説。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
大変に興味深い内容だった。
序盤は武士のなりたちや鎌倉時代から戦国時代への変遷を簡単に辿った。
中盤は兵農分離の有無から始まり、戦国の兵士や武装、鉄砲の与えた影響の解説
最終的には侍と兵士の格差、戦国時代の兵站が書かれ、最後に少しだけ信長?秀吉に触れるている。
特に面白いのは兵農分離の有無や軍団に雑兵が加わった事による武器や戦い方の変化、鉄砲の与えた影響などについては特に面白く読めた。
短時間で読んでしまったのが今では惜しいと思える。もう一度、読み直す予定。 -
戦国
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だいぶやばい本だった。
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軍事史学的な視点は興味深いが、著者の見解はまだ一般的とはなっていないのではないか。読み物としては面白い点があるが、研究書としては構成が今ひとつのようにも思えた。
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戦略論に言及できてない自己矛盾、流石は歴史屋
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まだ第二章を読んでいるところですが、いま書いておきたい。
これは名著。日本の在野の歴史研究家は、ほんとうにレベルが高い。
本書全体を通しての問題意識を綴る第一章は、秀吉の小田原征伐の前哨戦である山中城攻めを、豪傑渡辺勘兵衛覚書を題材に辿る。
そこから、優れて組織的な鉄砲戦術と、手柄第一の個人プレーという相反する要素にどのように折り合いを付けたのか?という論点が提示される。
同じ在野の歴史研究家である鈴木眞哉の著書も面白かったが、本書はそれを上回る面白さである。
ちなみに渡辺勘兵衛は、『信長の野望』ファンならお馴染みの豪傑。山中城攻めでも、強襲を渋る主君中村一氏の判断を待たず、どんどん突撃していく。 -
戦国史の欠落を埋める最新の歴史研究本だ。主に、東国・・・小田原に居城を構えていた北条氏や甲斐の武田信玄、越後の上杉謙信など、東国の戦国大名の軍隊について著者の考察を、素人でもわかる言葉で紹介している。
本の帯には「眼からウロコの新解釈が満載!!」とあるが、具体的には例えば次のようなものだ。
・長篠の戦いの勝利の鍵は、本当に”銃三千丁三段打ち”なのか
・戦国の兵士は、本当に半農半士だったのか
・侍、足軽・雑兵にはどんな立場の者がなっていたのか
・実際に、どうやって兵を募集したのか、など
そこには確かに学校で習ったことのない内容・・・あまり聞いたことのない話ばかりが紹介されている。
「ハーバード白熱日本史教室」の北川智子氏を彷彿とさせるが、北川氏が戦国時代の侍(サムライ)を当時の女性・・・妻の視点から観察することで新たな発見を得たように、西股氏も従来とは異なる切り口・・・すなわち、当時の城郭のあり方から、戦国の軍隊を観察した結果、新解釈をしなければ説明できない事項がたくさんでてきた、ということだ。
これにはある程度の納得感がある。
ただ、間違ってはいけないのは、本書で紹介されている内容は、あくまでも西股氏が紹介する新解釈であるということだ。考察は確かに丁寧で、論理的だが、仮説や推測も少なくない。
あまり深く構えず、純粋に「世の中ことを、もっともっとたくさん知りたい」・・・そういう気持ちがある人であれば、きっと楽しめる本だと思う。
(書評全文はこちら→ http://ryosuke-katsumata.blogspot.jp/2012/10/blog-post_6.html)