- Amazon.co.jp ・本 (365ページ)
- / ISBN・EAN: 9784059010685
作品紹介・あらすじ
群雄割拠する戦国の世にあって、ひとり、信長・秀吉・家康という天下人をして感嘆せしめた男がいた。その名を黒田如水。その智略策謀を巡らすこと、さながら水の如く変幻自在にして、進軍すること疾風迅雷の如し。しかし、それほどの英傑が何故天下を取らなかったのか?豊富なエピソードを収録し、混迷の現代社会にも通ずる、如水の卓越した処世術を余すところなく描いた一冊。
感想・レビュー・書評
-
信長⇒秀吉⇒家康という戦国の末期を生き抜いた黒田如水を描いた書です。
2代秀忠が、当世の張良と言わしめた如水は、秀吉と家康に天下にとらせた卓越した軍師であり、日本史に並ぶものがない武将であり、その子孫は、明治まで生き延びで、福岡の発展の基礎をつくった。
気になった点は次の通りです。
・如水はいつでも醒めている。大局を洞察する力、豊かな合理性、人間尊重の性向など、その考え方や軌跡の中に、現代にも通ずるものが多々あるようだ。
・彼は自分には厳しかったが、人にはたいしては寛容であった。
・彼は実力を尊んで、格式には捉われなかった。
・如才の歌才は、生母明石氏から受けたところが大きい。
・秀吉から褒美として受けた名馬と自分の功ならずと部下に譲った。秀吉、如水が士心を得たのは、部下の功を盗まない、このようなやり方によっても察することができる
・捕まるとわかっていて、荒木村重を説得におもむく時、「義を守って一命を惜しまぬのは部門のならいで、かねてから覚悟はできている」といった。
・如水は、民の声を聴くことが、政治の要諦であると考えていた。
・如水の性格として、権門にへつらったり、えげつなく人と競争することは、いさぎよしとしないものがあった、。如水は人を陥れてまで自己の利益をはかったこともなければ、おべっかをつかってまで取り入ろうとしたこともなかった。
・もともと小早川秀秋は北政所の実弟の五男であり、北政所の寵愛をうけた。秀吉、北政所の命を受けて、如水は、人を通じて、小早川隆景にその意をそれとなくつたえた。隆景は、その意をくんで、自ら、秀吉に、秀秋を養子にと申し出た。秀秋はこのことを終生恩義と感じて、後年朝鮮再出兵の折に、如水を補佐し、また、関ケ原の役では、如水にしたがって、家康に誼を通じたのである。
・如水と長政が碁を打っているときに、三成他三奉行が訪ねてきたが、如水は碁が終わるまで待ってくれと伝えたが、三奉行はそのまま帰ってしまった。そのことが、朝鮮出兵での讒言につながり、また、関ケ原の役に黒田親子の活躍によって天下は徳川のものになった。一介の碁を待てなかったために、三成は天下の信を失ったのである。
・関ケ原の役に先だち、如水は、清正を味方に入れて、九州を押さえた。また、小早川秀秋と、出雲の吉川広家とも通じて、東軍に内応できる体制をとった。福島正則が味方になったのも、如水の働きかけだった。関ケ原の役は、淀君=三成ら奉行衆と、北政所=長浜の武辺もの朝鮮出兵組との代理戦争であったのである。
・大宰府天満宮を再興したのも、如水である。天満宮は、その徳を慕って、如水の月命日を、如水が好きだった連歌の会の日としたのだった。
・慶長以降、徳川に遠慮した諸侯に同ぜず、伏見の高台院北政所を見舞った。それは家康が征夷大将軍を拝命した翌年のことであった。
・如水は、稀有なことに、人を死罪にしたことが一度もなかった。
・まことの威とは、高慢とは違うのだ。その身の行儀を正しくし、臣下にも礼譲の心をもって接し、理非賞罰を明らかにすれば、おのずから臣下万民に敬い畏れられて上をあなどり法を軽く思うものはいなくなる。これこそ、おのずからの威で、まことの威というものだ。
目次は、以下の通りです。
はじめに
黒田氏略系
凡例
第1章 織田氏に拠る
第2章 秀吉を扶翼
第3章 一国一城の主
第4章 如水円清
第5章 天下人の夢
第6章 南船北馬
第7章 虚々実々
第8章 その余生
第9章 黒田拾遺
おわりに
黒田如水年譜
参考文献詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
改めて、黒田官兵衛の人物がいかにスケール大きいかが分かりました。もっと多くの人にしられるべきだと思いました。
-
歴史資料に基づいて書かれているので、物語というよりかは資料寄り?出典も明記してあります。
知れば知る程、上司にしたい大名No.1すぎる。 -
物語というわけではなく、資料的な要素の濃い本だったなーと思いました。
セリフとか現代訳して書いてあるので読みやすいと思います。