海の向こうで戦争が始まる

  • 講談社 (1977年6月1日発売)
3.38
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感想 : 19
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本 ・本 / ISBN・EAN: 9784061128507

感想・レビュー・書評

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  • 1977年6月24日 第一刷 再読
    脳内ポイズンベリー状態。
    現代のイヤミスとは攻め所が違うが、明確な表現で確実な不快感。
    海馬の向こうで戦争が始まりそう。

  • 表現の全てがグロテスクで、最初から最後まで徹底して不快感を押しつけられる。海の向こうの稜線に霞む町は混沌に満ちた狂気じみた世界という不気味な設定にはそれなりに想像力をくすぐられるが、何年後かにまた読み返したいとは思わない一作。かつて一度読んだのをおよそ25年ぶりに読み返してそう思った。

  • 4.0/5.0

    誰の視点で書かれているのか、その変わり目が分かりづらく、ストーリーも特にない。なのに凄い!何かが凄い。決して面白い小説ではないのに凄い。バイオレンスでグロテスクな混沌とした世界観にこの強烈なタイトル。不思議な「カッコ良さ」を感じる。

  •  村上龍の長編二作目をタイトルに惹かれて手に取る。1970〜80年代の村上龍のタイトル選びのセンスはピカ一だと改めて思う。これも明らかにタイトルで得をしている作品。

     どこかは明かされない暑い国で暴動(テロ? クーデター?)が起こるまでの一日を群像劇風に描く。語りが焦点化するそれぞれの人物が、自分たちを取り巻く現実のやりきれなさ、どうしようもなさ、不条理を実感し、〈いま・ここ〉の現実を恨み呪う思いの累積が圧倒的な暴力の発動を準備していく。作品の最後の阿鼻叫喚は、どこか阿部和重が描く小説世界にも通じている。ここでの「戦争」は、具体的な「敵」に対する暴力でも、英雄的な物語が演じられる舞台でもない。この世界への深い絶望に裏打ちされた自己破壊衝動の帰結として位置づけられているように思われる。 

  • 視点の切り替わりが少し分かりずらいが、瞳を通じて見える街の中で起きる出来事のさっぱりとした惨さは心を動かされる。
    破壊衝動は誰にでもある気がする

  • 19.4.8

  • これだけ読んでる人を不安にさせる本は上手くかけてるんだろうと思う
    視線の移り変わりがおもしろい、フィニーたちを媒介することでどこでの出来事を話しているのかがわかる
    あとがきも面白い

  • 見たものを書く。基本に忠実といえなくもない。これがデビュー二作目とは思えない作品。後半に一気にらしさが爆発する。描写を味わうとか喰らうとかそういう感じがする。小説らしい小説だなと思う。

  • 浜辺で優雅に過ごす一組の男女。
    特に何かがあるわけでもなく。
    だけど、海の向こう側では祭りという名の惨事(戦争)が始まろうとしている。対極の風景画。


    章立ても区切りも無く、唐突にいつの間にか別の話が始まるという、まるでマジックのような文章。気を抜いて読んでいると訳が分からなくなる。

    それでも圧倒的な世界観はただすごいなと。


    2015.12.3

  • 無害な陸?側と海の向こうの島の日常、祭の混乱、戦争光景が行間も開けず交互に語られる。後半の盛り上がりは一読の価値あり。

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著者プロフィール

一九五二年、長崎県佐世保市生まれ。 武蔵野美術大学中退。大学在学中の七六年に「限りなく透明に近いブルー」で群像新人文学賞、芥川賞を受賞。八一年に『コインロッカー・ベイビーズ』で野間文芸新人賞、九八年に『イン ザ・ミソスープ』で読売文学賞、二〇〇〇年に『共生虫』で谷崎潤一郎賞、〇五年に『半島を出よ』で野間文芸賞、毎日出版文化賞を受賞。経済トーク番組「カンブリア宮殿」(テレビ東京)のインタビュアーもつとめる。

「2020年 『すべての男は消耗品である。 最終巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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