- Amazon.co.jp ・本 (189ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061155053
作品紹介・あらすじ
日本社会の人間関係は、個人主義・契約精神の根づいた欧米とは、大きな相違をみせている。「場」を強調し「ウチ」「ソト」を強く意識する日本的社会構造にはどのような条件が考えられるか。「単一社会の理論」によりその本質をとらえロングセラーを続ける。(講談社現代新書)
1967年刊行、日本論の新しい古典!
「ウチの者」と「ヨソ者」、派閥メカニズム、日本型リーダーの条件……
ビジネスパーソン必読、これを読まずに組織は語れない。
なぜ日本人は上下の順番のつながりを気にするのか?
なぜ日本人は資格(職業など)よりも場(会社など)の共有を重視するのか?――
日本の社会構造を鋭く析出したベストセラー!
(著者に聞く・2014年元旦広告より)
長く売れ続けている理由?
そうねえ、そのときの現象じゃなくて理論を書いたことかしら。
最近の銀行の問題、柔道協会の問題、原発ムラの問題など、
数々の不幸な事態にしても、タテ社会の悪い部分が出ていると思う。
もちろん日本にだってヨコの関係もあるし、ほかの国にもタテの関係はある。
でもタテの関係が根強く出るのは、やはり日本の特徴でしょう。
日本って、会社でも役所でも年次をすごく気にするじゃない。
インド人の場合、7年くらいの差がないと、先輩後輩という感覚にならないそうよ。
こういう社会の構造って、時代が変わっても、意外と変わらないものなのね。
最近もイギリス人と話しても、自分たちの社会はずっと変わらないと言っているし。
もちろんタテ社会にもいいところはあって、
たとえば、ちょっと疲れたときは、一休みしやすいとか、
嫌なときにも、それほどエネルギーを使って動く必要がない。
世界中、どの社会でも良さと弱さがあって、
それぞれ問題を抱えながら、なんとかやっているものなのね。
感想・レビュー・書評
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●企業に入社した頃に読んだ本です。家族的、よそ者意識、単一主義、能力平等観、同僚意識・・・日本社会のキーワードが出てくる。実際に組織では、納得いく言葉だ。
●それらを、日本のメリットと考えるかデメリットと思うのかは人それぞれ。価値観の差はあると思うが、メリットを伸ばすのが賢明と思います。 -
東大で名誉教授を務めた社会人類学者である中根千枝による書籍。
1967年発行。
日本の社会的構造を他国のそれと比較する形で分析し、その特徴を解明することが本書の主題とされている。
本書における筆者の主張をまとめると、下記の3つである。
①日本社会における集団意識では「場」が優先される
② 日本人は「ウチ」「ヨソ」の意識が強く、人間関係の機能の強弱は実際の接触の長さ、激しさに比例する
③日本の組織の階層は強い「タテ」の関係で構成される
①は、一定の個人から成る社会集団の構成の要因は、二つの異なる原理「資格」と「場」の共通性に大分できるという前提に立つ。
「資格」とは、社会的個人の一定の属性を表すものであり、先天的な性別・血縁、後天的な学歴・地位・職業などがある。
これに対して「場」とは、地域、所属機関のように資格の相違を問わず、一定の枠によって一定の個人が集団を構成している場合を指す。
日本社会の組織においては、この比重が「場」に重く置かれている。日本人は、記者であるとかエンジニアであるというよりも、まずA社の者ということを言うし、他人も第一に場を知りたがる。
日本社会は非常に単一性が強い上に、集団が「場」によってできているので、常に枠をはっきりさせて、集団成員が「他とは違うんだ」ということを意識しなければ、他との区別がなくなりやすい。
そのために、日本のグループはしらずしらず強い「ウチ」「ソト」の意識を強めることになってしまう。
結果、ローカリズムが強まり、自集団でしか通用しない共通認識・共通言語が発達する。
さらに、ローカルであることは直接接触的(tangible)であるということと必然的に結びつく。
つまり、日本社会における人間関係の機能の強弱は、実際の接触の長さ、激しさに比例する。日本のいかなる社会集団においても、「新入り」がそのヒエラルキーの最下層に位置付けられているのは、この接触の期間が最も短いためである。年功序列制の温床もここにある。
これが②の主張に該当する。
「場」の共通性によって構成された集団は、閉ざされた世界を形成し、成員のエモーションな全面的参加により一体感が醸成され、集団として強い機能をもつようになる。
これが大きい集団になると、個々の構成員をしっかりと結びつける一定の組織が必要となる。
理論的に人間関係をその結びつき方の形式によって分けると、「タテ」と「ヨコ」の関係となる。たとえば、前者は「親子」「上司・部下」関係であり、後者は「兄弟姉妹」「同僚」関係である。
「ヨコ」の関係は、理論的にカースト、階級的なものに発展し、「タテ」の関係は親分・子分関係、官僚組織によって象徴される。
この内、日本の組織は「タテ」の関係で構成されることが多く、それが故に、同一集団内の同一資格を有する者であっても何らかの方法で「差」が設定され、強調されることによって、驚くほど精緻な序列が形成されることになる。
例えば、同じ実力の資格を有する旋盤工であっても、年齢・入社年次の長短などによって差が生じるというのはこのためである。
これが3番目の主張になる。
以上が本書における著者の主な主張である。
さらに本書ではここから発展して、日本的階層構造の成り立ちと功罪、日本人の能力平等観、社会的分業、日本的宗教観についても述べられる。
また日本的社会構造から帰着するリーダー論と階層のモビリティ(移動性)についても著者の自論が述べられており、非常に興味深かった。
これは、日本の階層構造は強い「タテ」関係で成り立つので、一見弾力性がなく硬直した組織のように見えるが、内部構造は実は非常にルーズに作られているという論である。
つまり、「タテ」線の機能が強く密着しているので、個人の能力次第で自分の上司や先輩の仕事に侵入することができる。これは他の社会であれば強いタブーとして扱われるが、日本の集団内部構造は許容される。
だからこそ、能力の高い若手は自由に羽を伸ばして活動できるので、序列偏重の年功序列の強い組織にいながらそこまで不満を蓄積することなく働けているのだ。
故に、リーダー個人の能力の有無はそれほど大きな問題ではない。日本のリーダーの威力というものは、部下との人間的な接触を通して発揮される。優れた能力をもつ子分を人格的に惹きつけ、いかにうまく集団を統合し、その全能力を発揮させるかというところにある。
これは非常に興味深い考察であると思った。
個人的にも、能力とモチベーションの高い若手が職位を越えて、その組織のタスクを実質的に回しているケースを見てきた。得てしてそうした若手の処遇は年功序列に阻まれて無能な上司・先輩よりも悪いが、彼自身が自由に仕事ができていること、彼の功績は後年になって昇進という形で返ってくるため我慢していることが多い。
従来はそれでもよかったかもしれないが、不確定性が高まり、人材流動性が高まった現在においてこのタイムラグは致命的である。JTCの人事は無能故にこれに気付けていないが。
この議論は本書とは筋が異なるので据え置く。
本書は日本的社会構造の特質、その問題点を鋭く分析した本である。50年以上前の本であるが、その分析は現在にも通ずる精緻なもので、かつ以降の議論に多大な影響を与えてきた。
こうした思考を頭の中に入れておくことで視野が広げ視座を高めることができる。
久しぶりに良い本に出会った。 -
タテ社会の語源となった書物。多少変わったところもあるような所もあるが書かれている内容は、全然色褪せていない。というか、冒頭でもなかなか変化しにくい特徴をとらえて論じると言っているだけあって当時とそんなに変わっていない。
文中に出てくるエピソードも現在の事を言っているかのようで、笑える。左翼はエセ同情的で、とかどのテレビも同じような内容だとか。師匠を二人持たないというのは、新たな気づきになった。 -
『感想』
〇刊行から50年過ぎていても、日本社会が変わっていないことが、いいことなのかわるいことなのか。
〇日本のタテ社会に属さない、いわゆる異端児が成功している分野もあるが、その人は羨ましいというか嫉妬の目が向けられることはあっても、尊敬されているわけではないように感じる。自分たちの組織に持ち込まれても困るから、冷ややかに無視しているのだ。
〇日本の組織はタテ社会を前提に作られているから、そこを大事にしないとうまくいかないことが多い。能力よりも所属年数が大事にされるし、論理的に先輩を圧倒することは、もっと上の先輩の上下関係を維持する使命によって潰されてしまう場合もある。上の人間が下の人間を守らないと、秩序が保てない。
〇リーダーに必要な条件は、実務的な能力のほか、どれだけ人に尊敬されるか。能力ある部下をどれくらい感情面も使ってうまく使えるか。障害となる他の集団を抑えるために、その集団と自分との共通の上司に抑えてもらえるようどれだけ働きかけられるか。調整力が大事だから、それは組織内での経験がものをいうことになる。だからぽっと出の能力の高い新人は、コマの一つとして下積みしながら上を立てることをしないと出世できない。
〇自分も実感していることだが、日本社会のチームって、まず目的があってそれに見合うメンバーを集めるわけではない。もうメンバーが決まっている中で、どの目的を上司が振るかになっている。平均的なチームをいくつか持っていて、ある程度同じ成果がでると見込まれているため、時間的な制約から割り振られていく。他のチームにそのことに強そうなメンバーがいたとしても引き抜けないんだよね。自分のチームの同等の立場にいる人を傷つけることになってしまうから。
『フレーズ』
・日本人は、仲間といっしょにグループでいるとき、他の人々に対して実に冷たい態度をとる。(p.47)
・集団の機能力は、ともすれば親分自身の能力によるものよりも、むしろすぐれた能力を持つ子分を人格的にひきつけ、いかにうまく集団を統合し、その全能力を発揮させるかというところにある。実際、大親分といわれる人は必ず人間的に非常な魅力をもっているものである。子分が動くのは、親分の命令自体ではなく、この人間的な、直接膚に感じられるところの人間的な魅力のためである。(p.155)
・少なくとも他人の考へ方を改めさせるなどといふことは……できることではない。論争において常に大切なものは、本人たちにとつては論理ではなく体面であり、世間から見ると見世物としての性質である。【伊藤整】(p.179)
・日本人は、論理よりも感情を楽しみ、論理よりも感情をことのほか愛するのである。(p.181) -
1967年に書かれた本なのに、今となんら変わっていない。日本社会の単一性、「場」による集団の形成は、身をもって感じているが、認識は出来ていなかった。インドや他の国との対比では、こんなにも違うのかと驚いた。
複数の場への所属は、日本人は心理的にすごく抵抗があるが、中国の方はどんどん転職されていた。
親分・子分や序列意識では、笑ってしまうぐらい身の回りで起きている「タテ」の関係だった。能力主義も序列システムの枠内の狭い範囲で、改めて見回してみると確かにそうだと感心してしまった。
「タテ」から抜け出して、生産的な会議が開催される日はまだまだ遠そう。 -
一度の失敗で人生の決まる単線的社会から、働き方、学び方、暮らし方が複線化された社会に変わっていかなければならない。こうした社会環境の変化を阻害しているのが本書が指摘する「タテ社会」である。「職場あっての自分」というように場の共通性によって構成され、集団は枠によって閉ざされた世界を形成し、成員の感情的全面参加により、一体感が醸成されて集団として強い機能を持つ。感情的全面参加はエネルギーを結集することができても、個別的で多様性に欠け、論理性に乏しいため合理的な展望を描けない。共通の場に立つものや同じ空気を持つものにしか通じない。
組織は硬直的、閉鎖的なものではない。これからは流動性が高まり、もっと自由なものになる。雇用関係の有無さえとはない。協力、連携、パートナーシップを含む多様なつながりとなる。雇用のあり方はコスト・オンリーの経済的視点から少子高齢化や情報化社会など社会的視点で規定されるようになる。
正社員にこだわるのはもうよそう。労働者は自らを雇っている組織よりも長生きするようになる。安心は雇用から生み出されない。幸いにしてあらゆる仕事が高度化し、人と人との共同作業によって行われるようになった。分業が促進された組織は人の強み、得意分野を動員して、弱みを意味ないものとする。「みんな同じじゃなきゃ気がすまない」終身雇用前提のタテ割り分業ではなく、それぞれの得意分野を磨くことによって、掛け合わせるヨコ割り分業を進める。分業によってお互いを必要とし合って生きることで共同性の回復が図られ、安心感のある社会に変わっていける。 -
本書は1967年に初版が出されたものではあるが、現代社会の会社の中に、そして政治を動かす政党、官僚組織にも概ね当てはまる内容である。少なくとも私が所属する会社も一般的には社員規模数万人の大企業と言われ、本社組織だけでも1000人以上が働く会社であり、本書の言うタテの構造が全く当てはまっている。今日も誰かが書いた稟議書を眺めながら、誰かが提出してくる企画書を忙しく眺めながら、「そこだけ担当してる立場ではないから、こんなに専門的に(さも知ってるかの様に)書かれても解らないよ」との考えを頭の隅に追いやって、まるで無意識でもある様に書類を決裁者に回す。時折、自分の存在に自信を失うほど、決まりきったタテの構造の一部に陥った自分の姿を客観的に眺めて、果たしてこれで良いのかと疑問に苛まれる。但しこうした構造があるからこそ、更に上の上司が世に言う盲印でもそれ程大きな問題になる事もない。決裁もその分早いのかもしれない。一方、他の部署との調整ごとはいつも難を極める。高く、分厚い壁を設けてくる部門間折衝ほど自分の力を発揮できそうで楽しいのだが、無駄な時間に感じられる事が多い。今日数名の部下と面談したが、正に本書でいうタテ構造の中で評価を勝ち得るか。その難しさに話が集中したりする。本来は組織の枠を超えて十分話し合い、役割分担を明確にしてから、スピード感ある施策を施さなければならないのに、どうも本書記載の通り、互いのチームに如何に仕事を持ち帰らないかの闘いの様相を呈して来る。知り合いのデジタル庁職員から話を聞く限り、各省庁間の横の連携も、概ね同じ様な形で仕事が進められているようだ。果たしてこの構造がいつまで続くだろうか。一つヒントになるのは従来の日本型雇用である、新卒一括採用と年功序列から役やり・能力をベースに組織化する形から、欧米のジョブ型雇用に変わりつつある点である。「うちの会社」も早くから実験的にジョブ型雇用を取り入れてはいるもの圧倒的な指示方=トップダウン式の仕事から脱却に至っていない。その辺りが日本的雇用体系、タテ組織の我が国にあっていないのか、中々当社で本格的に進めるのはハードルが高い。
少子化だからこそ、ジョブ型雇用の形を取りたいのだが、何となく上からの抵抗に毎回頓挫する事態だ。
これじゃあいつまで経っても大会社で組織の存在意義を100%意味のあるものにして、有機的に動かすなんて無理なのでは。その様な疑問を抱きながら、自社の組織に置き換えて、時にはメンバーや他の管理職の皆さんの顔が思い浮かびながら、ニヤニヤ読んでいる自分がいた。部門長の皆さんの机の上に配布でもしようかしら。 -
日本という社会を明快に分析していると思う。場を基礎とする集団意識、縦を基礎とした樹状構造とそのヒエラルキー、これらは現在でも通じるものがあるだろう。初版初刷りの発行が 1967 年、底本の発表は昭和 39 年 (1964 年) というのが信じられないくらい。入社 2 〜 3 年で転職してしまう若者が当時すでに増えていた (p.56) とはさらに驚いた。
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50年前に刊行されていまだに読み継がれているという日本社会を論じた代表的な書籍になります。いままで読む機会がなくようやく読みましたが、納得する点も多々ありました。原則ではなく人間関係がモノを言う、「ウチ」と「ソト」の意識、などの概念は今でも十分通用すると思います。ただ学術書ではなく一般書を意識してあえてそうしたのかもしれませんが、データの裏付けや検証部分については省かれていて、うがった見方をすれば「それは著者の周囲の偏った社会の中だけではないのか?」ということも言えるわけです。また海外との比較もたまに書かれていますが、英国、インドとこちらもかなり限られたサンプルとの比較であることは否めません。
5節では集団の構造分析ということでタテ、ヨコ、外周というような形で構造分析がなされていますが、私は本書のフレームよりも、エマニュエル・トッドが示した家族構造のモデルの方がピンときています(詳細は例えば『世界の多様性』などをご覧ください)。ただトッドも日本社会の分析となるとあまり切れ味が鋭くないことから(日本人の実感に合わない分析も多々ある)、そこは日本人の中根さんに軍配が上がる、ということで、日本社会の分析については本書が役立つと思いましたが、構造の一般化についてはさほど感銘を受けませんでした。 -
懐かしい本ですね。
私は、就職前に読んだような気がします。
いまだに読み継がれているようなので、良い作品なのかな...
懐かしい本ですね。
私は、就職前に読んだような気がします。
いまだに読み継がれているようなので、良い作品なのかなと思います。