本はどう読むか (講談社現代新書)

著者 : 清水幾太郎
  • 講談社 (1972年11月20日発売)
3.81
  • (15)
  • (22)
  • (25)
  • (1)
  • (0)
  • 273人登録
  • 36レビュー
  • Amazon.co.jp ・本 (182ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061156975

本はどう読むか (講談社現代新書)の感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • 本はどう読むか。本をある程度読んだ人なら突き当たる疑問であろう。
    著者のような大読書家も例外ではないらしい。
    本書は体系的な読書論といったものではない。著者が「本とどのようにつきあってきたか」についての試行錯誤の過程であり、その経験から得られた「本とつきあう術」について書かれたものである。

    本書を読んでいて思ったことは、これといった本の読み方はないということである。
    友達にもいろんな友達がいるように、本にもいろんな本がある。さらに、本の場合には友達と違って本が自分に合わせてくれるということもない。なので、本を読む場合には柔軟な姿勢、つまり本によって異なったつきあい方が求められるのだろう。
    そして、本を理解するにあたっては、本に主導権を握られるのではなく、こちらが主体的に本と付き合うことが求められる。すなわち、「深い理解は、本から学んだ者を吐き出すことではなく、それに、読書以前の、読書以外の自分の経験、その書物に対する自分の反応……そういう主体的なものが溶け込むところに生れる」(p94)のであろう。

    なぜ本を読むのか。面白いからである。
    この大前提を忘れることなく、本との楽しいお付き合いをしたいものである。

  • 本はどう読むか。余計なお世話だと思ひますか。
    本の読み方なんて他人から教はることなんかないぜ、俺の好きなやうに読む、そんな方々から反発を喰らひさうですが、心配要りません。本書は読書指南といふよりも、今年で生誕110年を迎へた清水幾太郎氏が「わたくしはこれまでにどのやうに本と付き合つてきたか」を語る愉快な一冊であります。

    デハ、以下各章を見てみませう。
    〈1〉筆者の読書体験は「立川文庫」から始まるといひます。講談の世界に浸り、次から次へと夢中になつて読破したと。それが、ある時期からつまらなくなつた。パターンが全部読めてしまひ、結局はどれもこれも同じではないかと気づいたからです。これは、かつて夢中になつた身としては寂しい事ですが、これが「成長」といふものなのでせう。

    〈2〉書物には、実用書・娯楽書・教養書の三種類があると著者は述べます。無論これは図書館的分類とは違ひ、同じ本でも読者によつて実用書だつたり教養書だつたりします。著者の定義では、実用書=生活が強制する本、娯楽書=生活から連れ出す本、教養書=生活を高める本で、まあ教養書を自ら読む人を、本書の読者として想定してゐるやうです。

    〈3〉哀しいことに、人間は忘れる動物であります。折角読んだ本の内容を身に付けるために、情報処理のツールとして著者は「ノート」⇒「ルーズリーフ」⇒「カード」を経て、結局「ノート」に戻るといふ体験をしました。ここは現在なら、PCやタブレット端末を駆使するところでせうか。

    〈4〉本とどう付き合ふか。著者は「ケチはいけない」と説きます。読みたい本は買ふべきといふ話の他に、読み始めた本は最後まで読まねばならぬ、と考へるのも「ケチ」の一種なのださうです。あと、書物に有意義なことを求めすぎるケチ、それから名著と呼ばれる書物に対し、一字一句をゆつくり噛み締めながら読まねばならぬと考へるケチに警鐘を鳴らします。

    〈5〉読書論を書く人は、かなりの確率で「外国語」の修得の必要性を述べてゐます。ここでも、洋書とどう付き合ふかの要諦を論じてゐます。

    〈6〉新しいマスメディア時代の読書とは何か。未来の「焚書坑儒」を描いた『華氏四五一度』を紹介し、その世界は決して夢物語ではないと教養書の行方を危ぶみます。なぜなら、昔も今も、生活を高めるための教養書を求めるのは少数派だからであると。

    例へば電子書籍の出現などは想定されてゐれば、電子メディア×活字メディアといふ対立軸にはならなかつたでせう。しかし本書の発表は1972(昭和47)年。無理もないですね。
    内容の古さはあるものの、本好きの考へる事は今も変らぬことが分かり、愉しい一冊と申せませう。

    http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-731.html

  • 1972年刊行。

     読書論というよりも自伝的体験記に近い叙述である。

     印象的なのは、読書スピードは食事のごとしという比喩。つまり、食事において、蕎麦と懐石料理を味わうスピードは自ずと異なるし、受け手の事情(味わって食べたい時は遅くなり、急ぐときは早くなる)も加味される。まさにその通りであり、隅々まで記憶するためにはザッピングという方法は使えないし、単発情報を知るためには全部精読する必要はないだろう。
     体系的な把握を重視するには、目次の複数回精読こそ重視すべきはず。

     ちなみに語学の学習法は洋書を読み切るべしとのこと。

  • 2016/11/16

    ショーペンハウエル
    「本を読むのは非常に易しい」
    ①記号である
    ②花は花に似ていない
    ③真理/実在etcの抽象的な話→頼りない
     (もともとあるのか分からない)
      ①自己確立/自己超越/社会的発動
      ②答えのない問題の意味は、
       その正しい解答が見いだされることにあるのではなく、
       正しい解答を求める努力にある。
       また、解答らしいものが得られた場合でも、
       みな一応の解答であって、人間が成長するのに伴い、
    昨日の解答が今日は新しい疑問になる。
      ③「世界」「未来」という偉大で高貴なものが、
    所詮、美しい言葉であるのに対して、
    家庭や家族は、平凡な、
    しかし、厳然たるリアリティである。
    ただし平凡すぎるため、活字になることはない。
    ジャーナリズムでは、
    異常/正常なことは、
    いかに無力/強力でも活字になる/ならない。
    ①自分を客観的に認識し、
    そのうえで超越し、
     働く姿勢に生かす。
    アドラーに近いものを感じた。
     E・H・カー、かわいはやおといい、
    自己承認を求めない方の笑いは、
    面白いうえに愛しさを感じる。
     大丈夫だろうか。

    ③表現がキレイだった。
     高橋歩や寺山修司だったら本にしたと思う。
     僕が本にしないのは
     この世で起きている事全てに納得し
    受け入れているから。

    ②なぜ生きるか、について考える。
     信じる神がいなくても
     指示する政党がなくとも
    村に住んでいなくても
     保険証がなくても
     無職でも
     哺乳類なら
     家族がいる。
     家庭がある。

    スクリーンで見る映像は、実物以上に実物である。
    全体を見ることができないから。
    編集によって鮮明に見えてくる代わりに
    何が捨てられたかが見えにくくなる。

    本の場合は常にアクティブ
    TVの場合は常にパッシブ
    ∴読書家は考えすぎるのかもしれない。
     シンプルな方が悩みは少ない。

  • ある本を読んだとき,そのうちの一頁でも,一行でも,たった一語でもハッとさせられるようなところに出会うことができれば大儲けであるという。
    筆者の経験を各所に散りばめながら,本を読むときともすれば見落としがちな基本的な姿勢を教えてくれる。途中で面白くないと思ったら読むのをやめること,とにかく読み通して地図を手に入れること。前者は特に心に留めておきたい。

  • 著者の清水幾太郎は、太平洋戦争敗戦から60年安保闘争にかけて、「日本のオピニオン・ リーダー」、「進歩的文化人」の代表と言われた社会学者・評論家。
    本書は1972年出版のロングセラーで、著者自らの読書経験と、それを踏まえた「本はどう読むか」の技術が述べられている。
    私は60年安保以降に生まれた世代であり、著者の政治思想や過去の社会的な活動についての積極的な賛否は持たないが、本書に述べられている読書についての考え方・技術は、今でも少なからぬ読書論・読書術の書籍に引用され、影響を与えている。
    「本はどんな無理をしても買う。私がいつまでも貧乏なのは、おそらく、この主観主義的読書法の結果であるに違いない。とにかく、書物と細君だけは借りることの出来ないものと諦めている」
    「本を読んで学んだことを、下手でもよい、自分の文章で表現した時、心の底に理解が生まれる。・・・深い理解は、本から学んだものを吐き出すことではなく、それに、読書以前の、読書以外の自分の経験、その書物に対する自分の反応・・・そういう主体的なものが溶け込むところに生まれる。それが溶け込むことによって・・・自分というものの一部分になる。受容ではなく、表現が、真実の理解への道である」
    「縁がありそうな本、気にかかる本が出版されたら、何は措いても、買っておいた方がよろしい。・・・本は買ったら直ぐ読まないと損だ、というような根性は捨てなければいけない・・・買っておくと、不思議なもので、やがて読むようになるものである。気にかかる本が新しく身近に置かれるのは、環境に新しい要素が現れることである。・・・そのうち、この新しい本は、きっと、私たちに誘いかけて来る。」
    「書物の意味は、その書物そのものに備わっているのではなく、書物と読者との間の関係の上に成り立っているものである」
    「『資本論』に限らず、多くの書物は、一度は一気に読まねばいけない。一気に読むと、大小の疑問は残るであろうが、その反面、あの全体的構造が見えて来る。細部は判らなくても、構造の輪郭が判って来る。・・・急所は、チビチビ読んでいたのでは、絶対に判るものではない。輪郭や急所が判るというのは、その国の地図が手に入るということである」等
    読書論の古典のひとつとして、今でも一読の価値はある。

  • 「立派に死に、立派に生きる」ために読書をする というのは 、今後の指針になる言葉だった

    この本を買わずに、図書館で借りて読んだことを後悔している。本との付き合い方の章は面白すぎる

  • 面白くて、すぐ読み終えてしまった。
    読み方として、深浅ということを話していて、読書は、人付き合いみたいなもので、すごく深く付き合いが長い事もあれば、段々疎遠になっていくこともある。故に本というのは、後から分かってくることもある。
    自分の年齢によって付き合い方が変わってくる本も出てくる。
    というのは面白い話だった。

    あと、洋書の読み方、なんてのも書いてあってチャレンジしたい!と思った。

    著者が、腹を立てながら読むシーンを想像して笑ってしまいました。

  • 読書本というとしばしばスラスラ読めてさくっと理解できる魔法の方法的ないかがわしいものを期待しがちだが(少なくとも、私は無意識の欲望の時点ではそうだ)、ここに書かれてることは至極まっとうというか、「ダイエットするなら食事療法と運動です」と言われたような「ずいぶん普通のこと言うなー」的な印象を受ける。そして、勉強とはそういうものなのだろう。

全36件中 1 - 10件を表示

本はどう読むか (講談社現代新書)のその他の作品

清水幾太郎の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
J・モーティマー...
デール カーネギ...
有効な右矢印 無効な右矢印

本はどう読むか (講談社現代新書)に関連する談話室の質問

本はどう読むか (講談社現代新書)に関連するまとめ

本はどう読むか (講談社現代新書)はこんな本です

本はどう読むか (講談社現代新書)を本棚に登録しているひと

ツイートする