よいデザインを実現するためには – 反ゴキブリの歌
日本人への十二項
(1)われわれ日本人にはすぐれたデザインのセンスはある。ただ、明治以来しばらく忘れていただけにすぎない。しかし、気をつけないと永久に忘れる危険がある。
(2)あわえてふためくたびにデザインは遠ざかる。ゴキブリに強烈な生活力はあるが、デザインはない。また、イタリア人はあわて者だが、一見だらしなさの中でちゃんとデザインし、しかもすぐれたデザインを実現し、それを大衆が正しく評価している。
(3)日本人はまずいデザインには拒否反応を示さなければならない。ゴキブリは餌がなくなったら、すくなくとも活動を中止する。ただし、なかなか死滅しないから、根気よく拒絶を続けなければならない。
(4)現在の日本商品のデザインはまずいとの認識から始めなければならない。もちろん、すぐれたものもあるが、それを現在の評価以上に高い位置へ上げるべきである。よいデザインも悪いデザインも似た程度の評価ではゴキブリが活躍を始める。このとき、残酷にゴキブリ退治をしなければならない。日本人はイタリア人ほど明確な評価を示さず、あいまいな態度をとる。
(5)よいデザインはすぐれた技術(設計といってもよい)を背景にして誕生する。劣悪な技術の上によいデザインは安座しない。ただし、すぐれた技術とまずいデザインの結合は自由である。日本の商品、たとえば自動車の中にこれが見られることは残念でしょうがない。
(6)技術が普通のものであったら、デザイナーは使命感を抱いてよいデザインをしなければならない。前に述べたとおり、設計は運動のエネルギーで、デザインは位置のエネルギーであって、全エネルギーは両者の和である。設計とデザインは本来同じもので、ただ、その発言する姿が異なるだけである。
(7)デザインは常識をきわどく(大衆がしりごみしない程度に)逸脱して初めて個性を発揮する。したがって、常識度の高い管理職の人間はデザインへ口を出してはならない。良いデザイナーの人間性を見きわめて依頼すること、そのデザイナーに十分な活動環境を作ってやることが管理職の任務である。
日本は過去において多くの技術(設計)導入を行なってきたが、いまデザイン導入をして、日本人が忘れていたセンスを復活するときであろう。
(8)デザインは常に新鮮であるべきだから、進歩する科学技術に注意して、その中で意味あるものは進んで採用しなければならない。
(9)デザインは清新な味わいのものこそ最上だから、あまりこねすぎると泥臭くなる。したがって、最初のデザインが最高で、あとは手を入れれば入れるほど醜くなる商品例が多い。これは技術進歩がないのに、無理してデザインさせるからで、ちょうど年をとって焦った女性の厚化粧に似ている。
(10)躍動する線と曲面を工業製品へ応用するつもりなら、数式によって“機械仕上げ”をすべきである。この自動化時代、コンピュータ時代に、デザインだけが手仕上げでは時代錯誤である。
さらに進んで、すぐれた画家、たとえばピカソやマチスが使った線や、すぐれたデザイナーの作品の曲面などを電子計算機によって解析し、とり入れることも不可能ではあるまい。
(11)世界のすぐれたデザインをただ追っただけでは疲れはてるだけであろう。それを根源において捕え、われら日本人の内なるものを発揮しない限り、意味ある努力とは考えられない。
われわれは祖先の残した卓抜なデザインを、商品に応用しなければならない。そのつなぎ目がぷつりと切れているので、従来の日本商品はゴキブリの歌に似ているのである。
(12)いま日本は、工業化した韓国、台湾、香港などに追いかけられている。このとき、日本が振り放すただ一つの道は、真のよい設計へ加えてよいデザインを実行することである。ただよい設計だけでは飛躍がない。よいデザインは天上へ登るきっかけとなることを忘れてはならない。イタリア人にはこれあるがゆえに、世界の頂上へ登る権利を保有している。