- Amazon.co.jp ・本 (461ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061310186
感想・レビュー・書評
-
「俘虜記」大岡昇平著、講談社文庫、1971.07.01
457p ¥240 C0193 (2017.09.17読了)(2017.09.06拝借)
Eテレの「100分で名著」で、大岡昇平の『野火』が取り上げられました。『野火』の内容は覚えていないのですが、一応読んではいるので、以前から気になっていた同じ著者の『俘虜記』を読んでしまうことにしました。短編集だけど450頁ほどあるので、なかなか取り掛かれなかったので。
最初の「捉まるまで」は、多分、高校の教科書で『俘虜記』の題名で収録されていたものです。そんなこともあって、手を出しにくかったことでもあります。
短編集ではあっても、俘虜になってからの生活が、時間を追って書き継がれていっているのでひとつながりの作品としても読めます。
最初のころの俘虜は、病気・負傷・飢えなどで、自力で動いたりできなかったために捉まってしまった人たち、ということのようです。日本軍では、捕虜になってはいけないことになっており、力が残っていれば、自決することが推奨されていました。そのための手榴弾も渡されていました。実際にそのようにして亡くなった人たちもいます。
従って、捕虜になってしまっても、本名ではなく偽名を名乗ったり、階級も偽ったりしたようです。使った偽名が、戦争犯罪人として告発された人物と同じだった場合は、取り調べのため帰国が許されなかった人もいたようです。
著者は、英語ができたので、病気が治ってからは、収容所内で通訳の仕事をしていたようです。親切なアメリカ人からは、雑誌や本を借りて読んだりしています。
日本が降伏したのを知らされたのは、8月10日、とのことです。国内よりちょっと早いですね。
【目次】
捉まるまで
サンホセ野戦病院
タクロバンの雨
パロの陽
生きている俘虜
戦友
季節
労働
八月十日
新しき俘虜と古き俘虜
演芸大会
帰還
附 西矢隊始末記
あとがき
解説 秋山駿
年譜
●米軍の俘虜(7頁)
私は昭和20年1月25日ミンドロ島南方山中において米軍の俘虜となった。
●「殺す」の放棄(28頁)
この時私に「殺されるよりは殺す」というシステムを放棄させたものが、私が既に自分の生命の存続について希望を持っていなかったという事実にあるのは確かである。明らかに「殺されるよりは」という前提は私が確実に死ぬならば成立しない。
●弱点(80頁)
専制に慣れた日本人の、特権に対する弱点(特権を持たないものは持つものに媚び、持つ者はそれを乱用せずにはいられないという弱点)
●赤十字の精神(81頁)
赤十字の精神はあらゆる慈善事業と同じく、原因を除かずして結果を改めるという矛盾を持っている。
●最初の反応(164頁)
「最初の反応に任せてはならぬ、それは必ず偽りである」
●労働を愛する(258頁)
片方の肩甲骨をくだかれている一人の俘虜は毎日朝夕小屋の内外のみならず、広く中隊の中庭まで、自由になる手を動かして掃いた。他の俘虜が働いているのに、何もしないのは心苦しいと彼は言った。
●集団投降(330頁)
私の知る限り比島で集団投降が始まったのは、昭和20年の5月頃からである。あまり主要な戦闘の行われなかったセブ、ネグロス、パラワンなどが主で、そのトップを切ったのは大抵軍医であった。
●終戦、進駐軍(347頁)
我々は今度の戦争が「敗戦」したのではなく「終戦」したのであり、その結果日本に上陸した外国の軍隊が「占領軍」ではなく「進駐軍」であることを知った。
☆関連図書(既読)
「大岡昇平『野火』」島田雅彦著、NHK出版、2017.08.01
「野火」大岡昇平著、新潮文庫、1954.04.30
「ながい旅」大岡昇平著、新潮文庫、1986.07.25
(2017年9月27日・記)
商品の説明 (amazon)
著者の太平洋戦争従軍体験に基づく連作小説。冒頭の「捉まるまで」の、なぜ自分は米兵を殺さなかったかという感情の、異常に平静かつ精密な分析と、続編の俘虜収容所を戦後における日本社会の縮図とみた文明批評からなる。乾いた明晰さをもつ文体を用い、孤独という真空状態における人間のエゴティスムを凝視した点で、いわゆる戦争小説とは根本的に異なる作品である。 -
著者のレイテ戦における俘虜、捕虜体験記。何故、自分は米兵に銃を引けなかったか、という自問を解き明かすべく、戦時下における生々しい人間心理を描く。他の捕虜体験記と一線を画す特徴としては、相手国がアメリカである点、左右立場を極力偏らず、30代軍隊従事者の冷静な目線で記される点だ。
そのため、不毛地帯などで描かれるソ聯の収容所とは、全く異なる印象を受ける。戦争における一般人の正直な心理描写を知るに貴重な一冊。 -
最近、電車通学していなかったのでかなり読むのに時間が掛かってしまいました。
大岡昇平のレイテ収容所での経験をもとに書かれた作品です。
5年かけてかかれた連作小説らしく、結構長いです。
(現在販売されているのは、この講談社文庫版ではなく、新潮文庫版です。今回は学校の図書館にこれしかなかったのでこちらを読みました。)
この本を読む前に会田雄次の「アーロン収容所」を読んでいて、
この小説とはジャンルが違うんですが(前者は記録文学のようなもので、後者は人間の内面を観察するような、戦争文学ともまたちょっと違う作品)やはり比較して読んでいました。
レイテ収容所はアメリカ軍が運営しているようで、イギリス軍のそれ(アーロン収容所)とはまったく違いますね。
アメリカはやっぱり先進的で、多民族国家なだけあるな、と思いました。
8分目ぐらいまで読んで放置してしまったので、前の方の感想があまり出てこないんですがw、「演芸大会」の章が面白かったです。
先の会田雄次のアーロン収容所でも、こちらのレイテ収容所でも、盗みや演芸大会が同じように行われていたので驚きました。
気になったのは、大岡が最初から最後までインテリとして振る舞い続けたことです。
実際インテリなのですが、ここに疑問を覚えてる人もいるかもしれません。
ただ、36歳の老兵であって、通訳ともなれば他者と一線を画しインテリとしての立場で居たくなるのかもしれません。
うーん、もう一度最初から最後まで通してちゃんと読まないとまともな感想が書けませんw
とにかく、私たち戦後生まれは、戦争を多角的に捉えるよう努めるべきで、ただその言葉の脅威に怯えるだけではいけないと思いました。
私はこの作品と『野火』には、かなり衝撃をうけた者の一人です(笑)。後に書かれた「野火」より少し荒い感じはするのですが、それで...
私はこの作品と『野火』には、かなり衝撃をうけた者の一人です(笑)。後に書かれた「野火」より少し荒い感じはするのですが、それでも秀逸なものだと感激したことを想いだしました。
なぜあの米兵を撃つことができなかったのか……対峙したときの溢れんばかりのその若さ、生命の荘厳な美しさと恐怖、彼を想う敵国郷里の母の想いなどが一瞬間で駆け巡っていくさまは迫力ありますね。ありのままの生命を知ることの喜びに満ちた哀しみ、哀しみにみちた喜び……う~まさに「あはれ」の世界。「野火」とともに言葉には表しようのない著者の繊細な想いが伝わってきて呆然となりました。
ということで、レビューを拝見していると、そんなことを思い出して、また大岡昇平の作品を再読したくなってきました! 詳細なレビュー、ありがとうございます。