わたしが・棄てた・女 (講談社文庫)

  • 講談社 (1972年1月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (279ページ) / ISBN・EAN: 9784061311411

感想・レビュー・書評

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  • 人間性の問題なのか、単に性差によるものなのかはわからないが登場人物は利己心の強い嫌な男だった。世の中こんな男が着々と成功者の道をたどっていくのかと思うと苦々しい。
    反面、森田ミツさんは相手を思いやる事の出来る優しい女性。彼女の様に共感力の高い人は、崇高な精神の人にもなり、故に辛い道を自ら歩く事にもなりかねない。それが幸せの道か否かは他人にはわからない。ご本人さえわからないのかもしれない。

  • 遠藤周作といえば、『海と毒薬』や『深い河』などを読んだことがあるが、重いテーマのイメージが強かった。しかし、エッセイなど軽めの話も面白いと言われているので、この小説は後者の方かな~と思って読み始めた。
    最初の方は、チャラチャラした学生生活の話かな、と思ったけど、ストーリーが進むにつれ、やっぱり遠藤周作の一貫したテーマになってる「神」や「愛」の話だった。

    ミツの愚直に貫いた苦しみの共感に、最後は涙が止まらなかった・・・。
    「世界が平和になるためには何をすればいいか」とか「どうすれば戦争を止められるのか」とか漠然としたつかみどころがないことを考えるよりも、まず隣で苦しんでる人と苦しみを共感してみた方が、いずれは大きな変化になるんじゃないかな~と思ったりした。

    軽い気持ちで読んだけど、すごく考えさせられる話だった。

  • 高校の宗教の授業で映画「愛する」を観て、原作も読みたくなったので読みました。
    主人公の女性が酷い男に出会い翻弄され…というストーリー。
    映画のは結末はまだ救いがある感じだった気がするのですが、原作の方は男の酷さがより際立っていて読後もしばらく複雑な思いが残った本でした。
    女性の私の目線から見るとこの男性は「最低な男」としか捉えられなかったですが、男性目線で読むとどうなのか…やはり男からみても酷いのかもう少し違う心情を抱くのか気になるところです。


  • 残酷な表題だが、“わたしが”、と棄てた側の主観で物語が進む事で読者の加害性が煽られる。
    イエス的博愛が、棄てられた女性を媒体に描写されており、意欲的でありながら完成度の高い一作。

  • 著者の作品はどれも面白い、是非読んで、とおススメされていたのだけれど重すぎて躊躇していました。
    本作は、その中でも軽作品と呼ばれるもので、これなら読めるかもと選定したものです。

    実際読みやすい作品ではありましたけど軽、と表現されるような軽い話ではありませんでした。
    とはいえ、ミツのような生き方をしていては特にこの時代では辛い思いをすることが多く、実際ずっと独りぼっちで寂しさを抱えた境遇だったので、最後に思いやりに溢れた居場所を見つけることが出来た彼女はやっと幸せになれたのではないかと考えました。
    それなのに、著者が結局あのような運命にした意味が私には分かりません。

    考えさせられる作品・・・

  • ・この人生で必要なのはお前の悲しみを他人の悲しみに結び合わすことなのだ。そして私の十字架はそのためにある。
    ・苦しみの共感、苦しみの連帯感
    ・諦めることに子供の頃からミツは慣れていた。彼女には人生の運命とは反抗することではなく、受け入れることだった。
    ・人間は他人の人生に傷痕を残さずに交わることなんてできない。
    ・苦しいのは・・誰からも愛されないことに耐えること。
    ・御殿場のハンセン病院

  • 人がいいのは良いが、お人好しすぎるといけない。よく耳にする言葉である。私も今まで共感していたこの言葉だが、どんなことをしても報われないミツには同情の念を抱いた。健気にずっと吉岡を想い、彼のためにとお金を稼ぎ、堕ちて薄汚れた自分だと彼に迷惑をかけてしまうと思えば自ら彼との接点を無くそうとする。こんなにも彼を想って生きていたというのに吉岡自身は彼女のことを欲の処理の対象としてしか見ていない。好きな女に嫌われたくないために欲を我慢し、赤線に行き薄汚れた女を抱く。その延長線で、俺に惚れているミツなら簡単に抱くことが出来るという考え。あまりにも最低だ。その考えが彼女をもっと不幸にしたのではないか。現代の言葉に置き換えるとミツは所謂セフレというものなのだろう。だがミツは本当に吉岡を愛していた。一方通行の愛は読んでいる途中とても辛くなった。彼女は最期まで彼を想って亡くなったのに彼は新しい家庭を築き幸せに暮らしている。彼女だけが酷い目に合うのはどうしてなのだろうか。ミツのことを思うとやるせない気持ちになった。

  • 遠藤文学の中でも、このタイトルの語感は強いインパクトを与える。実際は『わたしが・棄てた・女』。
    「・」で区切ることで男と女、双方を一個の人格として浮かび上がらせたように、物語は、男性、吉岡努と女性、ミツの手記で構成されている。
    男性にとっては耳の痛い、唾棄すべきこの話を、文学として高めているのは、遠藤氏の一環して追及してきた「神の愛」を、ミツのなかに見ることができるからでしょう。

    10代で読んだ時は、慾望のままに純朴なミツを棄てた吉岡に嫌悪を覚え、それを恨みもしないミツに深い尊敬を感じた。が、時を経て再読してみると、人の心の中には、吉岡もミツも両方いて、アンビバレントな状態で生きているのではないか、と思うのです。

    ミツのような優しい性格は、人にとって「踏み絵」になりやすいのですね。「踏み絵」になれる人ほど、美しい心の持ち主だということを痛感する秀作です。

    過去に読了、再読。

    • chiiさん
      気になる作者さんでしたので、どれを読もうかと思っていたのですが、レビューを拝読して是非読んでみようと思いました。
      ありがとうございます。
      気になる作者さんでしたので、どれを読もうかと思っていたのですが、レビューを拝読して是非読んでみようと思いました。
      ありがとうございます。
      2010/08/04
  • 世界中のクズに贈りたい。
    人の心をぞんざいに扱うとどうなるのか、遠回りしながらもわかる本。

  • 序盤の終盤ぐらいで『もしかしたら面白くないのかな?』って思ってたら、中盤ぐらいから一気に面白くなった。

    主人公が2人いる感じ。いや途中から主人公が変わる感じか。

    この男の気持ちはよく分かる。

  • 他者とのかかわりや、自身の言動が他者に与える影響は不可逆であること。その影響の大小を正しく知る術はないこと。通行人Aにも意思があり、通行人Aの一生があるということ。それらごく当たり前のことを、鈍い音でぶつけてくるような作品だった。
    読みやすい本を好んで読んでいる人には、もしかすると少し読み難い文体かもしれない。

  • 初めての遠藤周作の本。

    めちゃくちゃおもしろかった。

    昔の本だし、難しくて読めるか不安だったけど、スラスラと読めた。

    主人公の吉岡治がどこにでもいるどうしようもない男で、それにひっかかったちょっとおつむの弱いがどこまでも純粋な女ミツ、簡単にゆえばそうゆう話なんだけど、レビューを見るとどうやら遠藤周作とキリスト教には切っては切り離せない関係らしい。

    たしかに、作中にもキリスト教的な描写(ミツが浮浪者のために鉛の十字架を三つも受け取るシーンや、「癩病」の治療院の修道女からの手紙のシーンなど)が多くあった。ネットを見るとキリスト教の関係を考察するレビューが多くあった。

    けど、私が感じたのは、どの時代でもこうゆう男女関係って普遍的なんだなとゆうこと。60年以上も前の話なのに、作中の吉岡とミツのやりとりは、今と何ら変わらない男女のよくあるものだった。ミスドとかでJKがこうゆう話してても違和感なく聞けると思う。いつの時代も人の心を弄ぶズルイ男(女の場合もあるけど)とそれに絆される女(男の場合もあるけど)がいる。こうゆう作品を読むことで、個人では大変な出来事と思ってもよくある男女間の現象なんだと思えるかもしれないとゆうのが、私が感じたこの本の感想だった。

  • 決して報われることのないどこにでもありそうな男と女の物語。でも遠藤周作の紡ぐ言葉が読者の心を間違いなく揺さぶる。ただただひたむきで残酷。大好きな作品で定期的に読み返したくなる作品。

  • 博愛と偽善、大きなテーマを扱った作品。

  • 著者の生涯のテーマでもある「キリスト教的」愛とは何かを感じさせる、読み応えのある一篇。戦後3年当時を舞台にした物語なのに、それから約70年を経た現在に起き替えてもなお、登場人物やその心象の展開が無理なく読者に訴えかけて来る、その汎用性にも唸らされた。

  • 失恋したとき、
    「大切な恋を失ったあなたへ」(仮) 的な本で
    傷心を温めるのもストレートな手段かもしれない。

    でも、「私、フラれました」体で
    書店のキャッシャーやAmazonへ己を晒すのは、
    ちょっと嫌。

    ならばいっそ、
    棄てた側のマインドに触れてみてはどうか?
    遠藤先生なら、
    何かしら応えてくれるんじゃないか?

    10年ぐらい前でしたか、
    血反吐を吐くような失恋をしたときに、
    藁にもすがる想いで手にとった1冊です。

    前半部。
    「先生、もう腹いっぱいです」というぐらい
    棄てる側の赤裸々なマインドにえぐられました。

    後半部。
    遠藤節、炸裂。
    難病への周囲の無理解。生きるとは? 献身とは?

    棄てられた女が、どんな生き方をしたのか?
    知るはずもない「その後」に
    触れたときの男の心境は?

    寝食を忘れ、塩をなめながら
    一気に読破したときは、
    手にした理由すら忘れていました。

    荒療治ではありますが、
    失恋に限らず、何かを失ったとき、
    出口が見えないときこそ
    おすすめしたい1冊です。

  • 遠藤周作ならでの、人物像で、図らずも最後は泣いてしまった。吉岡は、自分でもあり森田ミツは、そうありたい自分でもある

  •  遠藤周作(1923~1996 享年73)著「わたしが・棄てた・女」、1997.12発行。男の身勝手さ、いい加減さを象徴する吉岡努、その吉岡努と2度の逢瀬であっさりと捨てられた森田ミツの物語。森田ミツの純情、健気さ、人の良さが胸を打ちます。「人間の生き方」を深く考えさせてくれる作品だと思います。森田ミツのひたむきな生き方は涙を誘います。読後の余韻が続く作品です。
     もはや神すら超えた存在の森田ミツを描いた遠藤周作の逸品「わたしが・棄てた・女」、1972.12発行。社長の姪三浦マリ子と結婚した吉岡努は大いに反省をしなければなりません!

  • 男なら誰もが一度は経験する・・・・というエクスキューズを付けてくれているが、そういった「誰もが」ということがないと、耐えられないのだろう。
    そのくらいミツは衝撃を与えたと言ってよいと思う。

    もちろん、そこには偶然が働きミツのような女性と出会えたからに過ぎない。本当に何でもなく過ぎ去っていくような人物がほとんどだろう。皮肉にもミツは吉岡に好意を持ってしまった、その1点にある。(この好意がどういった観点かは不明確だが)

    当然、この主題は「ごみのように女性を棄てるな」ということではなく、その女性の人格を通じた周囲の人間への影響を汲み取るところであろうが。吉岡は生涯ミツという存在を忘れることはないだろう。

  • 人間は他人の人生に痕跡を残さずに交わることはできないんだよ。
    人間のずるい部分と人間の優しい部分の両面が丁寧に描かれている作品。
    遠藤周作らしくないと感じた。
    ミツは幸せだったのかもしれないが、自分だったら救われない

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著者プロフィール

1923年東京に生まれる。母・郁は音楽家。12歳でカトリックの洗礼を受ける。慶應義塾大学仏文科卒。50~53年戦後最初のフランスへの留学生となる。55年「白い人」で芥川賞を、58年『海と毒薬』で毎日出版文化賞を、66年『沈黙』で谷崎潤一郎賞受賞。『沈黙』は、海外翻訳も多数。79年『キリストの誕生』で読売文学賞を、80年『侍』で野間文芸賞を受賞。著書多数。


「2016年 『『沈黙』をめぐる短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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