- Amazon.co.jp ・本 (279ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061311411
感想・レビュー・書評
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人間性の問題なのか、単に性差によるものなのかはわからないが登場人物は利己心の強い嫌な男だった。世の中こんな男が着々と成功者の道をたどっていくのかと思うと苦々しい。
反面、森田ミツさんは相手を思いやる事の出来る優しい女性。彼女の様に共感力の高い人は、崇高な精神の人にもなり、故に辛い道を自ら歩く事にもなりかねない。それが幸せの道か否かは他人にはわからない。ご本人さえわからないのかもしれない。
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遠藤周作といえば、『海と毒薬』や『深い河』などを読んだことがあるが、重いテーマのイメージが強かった。しかし、エッセイなど軽めの話も面白いと言われているので、この小説は後者の方かな~と思って読み始めた。
最初の方は、チャラチャラした学生生活の話かな、と思ったけど、ストーリーが進むにつれ、やっぱり遠藤周作の一貫したテーマになってる「神」や「愛」の話だった。
ミツの愚直に貫いた苦しみの共感に、最後は涙が止まらなかった・・・。
「世界が平和になるためには何をすればいいか」とか「どうすれば戦争を止められるのか」とか漠然としたつかみどころがないことを考えるよりも、まず隣で苦しんでる人と苦しみを共感してみた方が、いずれは大きな変化になるんじゃないかな~と思ったりした。
軽い気持ちで読んだけど、すごく考えさせられる話だった。 -
高校の宗教の授業で映画「愛する」を観て、原作も読みたくなったので読みました。
主人公の女性が酷い男に出会い翻弄され…というストーリー。
映画のは結末はまだ救いがある感じだった気がするのですが、原作の方は男の酷さがより際立っていて読後もしばらく複雑な思いが残った本でした。
女性の私の目線から見るとこの男性は「最低な男」としか捉えられなかったですが、男性目線で読むとどうなのか…やはり男からみても酷いのかもう少し違う心情を抱くのか気になるところです。 -
残酷な表題だが、“わたしが”、と棄てた側の主観で物語が進む事で読者の加害性が煽られる。
イエス的博愛が、棄てられた女性を媒体に描写されており、意欲的でありながら完成度の高い一作。 -
著者の作品はどれも面白い、是非読んで、とおススメされていたのだけれど重すぎて躊躇していました。
本作は、その中でも軽作品と呼ばれるもので、これなら読めるかもと選定したものです。
実際読みやすい作品ではありましたけど軽、と表現されるような軽い話ではありませんでした。
とはいえ、ミツのような生き方をしていては特にこの時代では辛い思いをすることが多く、実際ずっと独りぼっちで寂しさを抱えた境遇だったので、最後に思いやりに溢れた居場所を見つけることが出来た彼女はやっと幸せになれたのではないかと考えました。
それなのに、著者が結局あのような運命にした意味が私には分かりません。
考えさせられる作品・・・ -
・この人生で必要なのはお前の悲しみを他人の悲しみに結び合わすことなのだ。そして私の十字架はそのためにある。
・苦しみの共感、苦しみの連帯感
・諦めることに子供の頃からミツは慣れていた。彼女には人生の運命とは反抗することではなく、受け入れることだった。
・人間は他人の人生に傷痕を残さずに交わることなんてできない。
・苦しいのは・・誰からも愛されないことに耐えること。
・御殿場のハンセン病院 -
遠藤文学の中でも、このタイトルの語感は強いインパクトを与える。実際は『わたしが・棄てた・女』。
「・」で区切ることで男と女、双方を一個の人格として浮かび上がらせたように、物語は、男性、吉岡努と女性、ミツの手記で構成されている。
男性にとっては耳の痛い、唾棄すべきこの話を、文学として高めているのは、遠藤氏の一環して追及してきた「神の愛」を、ミツのなかに見ることができるからでしょう。
10代で読んだ時は、慾望のままに純朴なミツを棄てた吉岡に嫌悪を覚え、それを恨みもしないミツに深い尊敬を感じた。が、時を経て再読してみると、人の心の中には、吉岡もミツも両方いて、アンビバレントな状態で生きているのではないか、と思うのです。
ミツのような優しい性格は、人にとって「踏み絵」になりやすいのですね。「踏み絵」になれる人ほど、美しい心の持ち主だということを痛感する秀作です。
過去に読了、再読。-
気になる作者さんでしたので、どれを読もうかと思っていたのですが、レビューを拝読して是非読んでみようと思いました。
ありがとうございます。気になる作者さんでしたので、どれを読もうかと思っていたのですが、レビューを拝読して是非読んでみようと思いました。
ありがとうございます。2010/08/04
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初めての遠藤周作の本。
めちゃくちゃおもしろかった。
昔の本だし、難しくて読めるか不安だったけど、スラスラと読めた。
主人公の吉岡治がどこにでもいるどうしようもない男で、それにひっかかったちょっとおつむの弱いがどこまでも純粋な女ミツ、簡単にゆえばそうゆう話なんだけど、レビューを見るとどうやら遠藤周作とキリスト教には切っては切り離せない関係らしい。
たしかに、作中にもキリスト教的な描写(ミツが浮浪者のために鉛の十字架を三つも受け取るシーンや、「癩病」の治療院の修道女からの手紙のシーンなど)が多くあった。ネットを見るとキリスト教の関係を考察するレビューが多くあった。
けど、私が感じたのは、どの時代でもこうゆう男女関係って普遍的なんだなとゆうこと。60年以上も前の話なのに、作中の吉岡とミツのやりとりは、今と何ら変わらない男女のよくあるものだった。ミスドとかでJKがこうゆう話してても違和感なく聞けると思う。いつの時代も人の心を弄ぶズルイ男(女の場合もあるけど)とそれに絆される女(男の場合もあるけど)がいる。こうゆう作品を読むことで、個人では大変な出来事と思ってもよくある男女間の現象なんだと思えるかもしれないとゆうのが、私が感じたこの本の感想だった。 -
決して報われることのないどこにでもありそうな男と女の物語。でも遠藤周作の紡ぐ言葉が読者の心を間違いなく揺さぶる。ただただひたむきで残酷。大好きな作品で定期的に読み返したくなる作品。