わたしが棄てた女 (講談社文庫)

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  • 講談社
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レビュー : 214
  • Amazon.co.jp ・本 (279ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061311411

感想・レビュー・書評

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  • 人がいいのは良いが、お人好しすぎるといけない。よく耳にする言葉である。私も今まで共感していたこの言葉だが、どんなことをしても報われないミツには同情の念を抱いた。健気にずっと吉岡を想い、彼のためにとお金を稼ぎ、堕ちて薄汚れた自分だと彼に迷惑をかけてしまうと思えば自ら彼との接点を無くそうとする。こんなにも彼を想って生きていたというのに吉岡自身は彼女のことを欲の処理の対象としてしか見ていない。好きな女に嫌われたくないために欲を我慢し、赤線に行き薄汚れた女を抱く。その延長線で、俺に惚れているミツなら簡単に抱くことが出来るという考え。あまりにも最低だ。その考えが彼女をもっと不幸にしたのではないか。現代の言葉に置き換えるとミツは所謂セフレというものなのだろう。だがミツは本当に吉岡を愛していた。一方通行の愛は読んでいる途中とても辛くなった。彼女は最期まで彼を想って亡くなったのに彼は新しい家庭を築き幸せに暮らしている。彼女だけが酷い目に合うのはどうしてなのだろうか。ミツのことを思うとやるせない気持ちになった。

  • 男なら誰もが一度は経験する・・・・というエクスキューズを付けてくれているが、そういった「誰もが」ということがないと、耐えられないのだろう。
    そのくらいミツは衝撃を与えたと言ってよいと思う。

    もちろん、そこには偶然が働きミツのような女性と出会えたからに過ぎない。本当に何でもなく過ぎ去っていくような人物がほとんどだろう。皮肉にもミツは吉岡に好意を持ってしまった、その1点にある。(この好意がどういった観点かは不明確だが)

    当然、この主題は「ごみのように女性を棄てるな」ということではなく、その女性の人格を通じた周囲の人間への影響を汲み取るところであろうが。吉岡は生涯ミツという存在を忘れることはないだろう。

  • ミツのような女性を聖女と呼ぶのだろうか。。無償の愛を実践した、聖女なのだろうか。。

    もし私がミツの友達であったなら、もっと自分自身が幸せになる努力をするべきだと、えらそうに言うに違いない。自身は、唯一無二の存在であり、自分の存在や未来を卑下し、諦めてはいけないと。。

    ミツという人が到底現実にいるとは思えない人物であるがゆえに、人間が清く正しく生きるなんていうことは、なんてほど遠いことだろうと感じた。

  • 森田ミツのように、人が困ったり悲しかったりすると、自分の身を投げ出すことのできる人に、あと何回生まれ変わったらなれるのだろう。

    ミツを使い捨てにした吉岡だけれども、心の隅にミツのことを置いているのは彼の良心かしら。
    女性を商品化して、売れなくなったら使い捨ての今の時代でも、ミツのような、または吉岡のような人はいるのか。

  • 後味が相当悪いです。男の方がこの罪悪感にさいなまれながら一生後ろめたく生きていくならばミツへの罪償いになるのか。

  • 前回いつ読んだか覚えて無いが、娘から借りて読了。

  • 思い切り後味が悪い。ミツがもっと神様レベルの善人ならばこんなに重い気分にはならなかったかもしれないですが、森田ミツは長所と言えばお人好しなところがあるだけの平凡で地味な女性です。人間として誰もが持っているだろう優しさや純粋さを素直に口にしたり行動に移すことができますが、病気に絶望したりダメ男を想い続けたり、どこか間の抜けたところがあって、身近に感じるぶんだけ居たたまれなくなって後味が悪いです。
    ミツのことなんか忘れてる吉岡が彼女をふっと思い出すのは、こういう後味の悪さが忘れられないからかなぁとも思いました。
    要領の良い人はとことん要領良く生きてくのに、世の中は不公平にできてますね。吉岡はこれからも当たり前の日常の中に突然ミツを思い出したりするんじゃないかなと思います。

  • 純粋と愚かさは紙一重なのかなぁという気がした。
    押しつけがましくない自己犠牲ってありうるのだろうか。
    ミツのような人、本当に存在するかなぁと思いながら読んだが、ミツのモデルになった人がいたと聞き驚いた。
    他人の不幸を見ていられない性質、それは確かに「聖女」なのかもしれない。
    けれど、そういう生き方は自分にはできないし、身近にそういう生き方をしている人もいないので、どこか遠い存在のように感じた。
    善を実行するって意識していないとできない事だと思う。

  • 昭和のエノケンとかが活躍してた時代、文通相手募集に応募した森田ミツ。返事を出したのは大卒生の吉岡。吉岡にとっては無教養で田舎娘丸出しのパッとしないミツをヤリ棄てしただけの関係だったのだが、ミツはずっと吉岡が好きで…慈悲溢れる性格のミツは損ばかりしているが他人を慈しむ気持ちが、宗教などを知らなくても自然と実践されていた。例え他人に利用されてるだけでも、その人が喜ぶなら自分は辛いと思わない性格。最後の吉岡の独白の気持ちは良く解る気がした。

  • もう少し悪魔は悪魔らしく、天使は天使らしければと思いました。

著者プロフィール

遠藤 周作(えんどう しゅうさく)
1923年3月27日 - 1996年9月29日
東京生まれ。父親の仕事で、幼少時代を満洲で過ごす。帰国後にカトリックの洗礼を受けた。1941年上智大学予科に入学したが、中退。慶應義塾大学文学部仏文科入学・卒業後、カトリック文学を学ぶためにフランスへの留学。帰国後の1954年『アデンまで』を発表し小説デビュー。1955年『白い人』で芥川賞を受賞し「第三の新人」として脚光を浴びた。
1958年『海と毒薬』で第5回新潮社文学賞及び第12回毎日出版文化賞、1966年『沈黙』で第2回谷崎潤一郎賞、1979年『キリストの誕生』で第30回読売文学賞評論・伝記賞、1980年『侍』で第33回野間文芸賞などそれぞれ受賞。1995年に文化勲章を受章している。
上記受賞作のほか、1993年刊行『深い河』もキリスト教と日本人をテーマにした代表作と見なされており、映画化された。60年代以降「狐狸庵山人」(こりあんさんじん)を名乗り、様々なエッセイを記した。数々の作品が欧米で翻訳され高い評価を受けており、存命中ノーベル文学賞候補だったこともよく知られている。

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