わたしが棄てた女 (講談社文庫)

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  • 講談社
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本棚登録 : 1464
レビュー : 214
  • Amazon.co.jp ・本 (279ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061311411

感想・レビュー・書評

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  • 遠藤周作といえば、『海と毒薬』や『深い河』などを読んだことがあるが、重いテーマのイメージが強かった。しかし、エッセイなど軽めの話も面白いと言われているので、この小説は後者の方かな~と思って読み始めた。
    最初の方は、チャラチャラした学生生活の話かな、と思ったけど、ストーリーが進むにつれ、やっぱり遠藤周作の一貫したテーマになってる「神」や「愛」の話だった。

    ミツの愚直に貫いた苦しみの共感に、最後は涙が止まらなかった・・・。
    「世界が平和になるためには何をすればいいか」とか「どうすれば戦争を止められるのか」とか漠然としたつかみどころがないことを考えるよりも、まず隣で苦しんでる人と苦しみを共感してみた方が、いずれは大きな変化になるんじゃないかな~と思ったりした。

    軽い気持ちで読んだけど、すごく考えさせられる話だった。

  • 遠藤周作の文章を初めて読んだがとても印象的だった。目に見える情景を繰り返すことで、登場人物の心情が浮かんでくる。
    他人の不幸に対して、大まかに
    ①どうなっても自分とは関係ない
    ②気に留めないよう振る舞うが後ろめたさもある
    ③できることを行うが、自分を犠牲にはしない
    ④自分を犠牲にしても手を差し伸べる
    という態度にわけられるとして、基本的に①〜②の姿勢の吉岡が、④のミツに惚れられてしまったばかりに、④の姿勢とともにミツは吉岡の心に深く刻み込まれることになったんだろうと思う。
    ただし、現実の2人の関係性は欲望のままに女を棄てた男と、その男が忘れられない女以上というだけで、それ以上深くならなかったからこそ、吉岡を通してミツの生き方を見る私たちにも歯がゆいものが残る気がする。

  • 遠藤周作の作品を、純文学と軽小説に分ければ、この作品は軽小説の部類になるようです。前半は確かに軽い感じですが、読みすすめるうちにだんだんと遠藤周作の世界が広がっていきました。
    人の心の弱さと強さ。その間での揺らぎ。そういった人間の心情は間違いなく純文学です。

  • この作品は遠藤氏の作品群の中では「純文学」ではなく「通俗的」な部類に入れられることがあるそうだが、私的にはれっきとした純文学である。
    出てくる主人公の男女もそれに関わる人たちも、あまりに魅力がないが、それが等身大の人間だと思うし、全編を通して、『神』と『愛』を意識させるところは、遠藤周作ならではだと思う。
    読んで良かった。

  • 読むといつも身の丈というものについて考える。家格や容姿、財産や能力など、釣り合わないとわかっていて求めると、相手との関係や自分の精神を歪ませる。そして間違っていると思ってやる行為は、誰でもやっているのだとしても、誰からも否定されなくても、自分を苦しめる。わかってはいるのだけれど。

  • 性欲のために一度だけ抱いた、愚鈍で純情な少女は、その男性を一生慕い、一度遊んだだけのつもりの男性も、その少女のことが心のどこかにひっかかったまま、それでも別々の人生を歩んでいきます。
    主人公は、どちらかと言えば、少女のほうかもしれません。

    「わたし」は、どこにでも居るごく普通の男性であって、
    特別に悪い男というわけではないですね。
    若さと性欲の前に、利用しやすい女が居ただけ。
    出世欲だって、誰しもが持つもの。
    欲の深い、いかにも人間らしい男です。

    対して「棄て(られ)た女」は、田舎物で愚鈍で、世渡りが下手で、
    いつも損をするようなタイプです。
    さらに、人並み以上に慈愛の心を持っていたため、自分を犠牲にしてでも他人に尽くして、結果、自分が苦しむことになります。

    この作品で問われることは、(他の作品でも同じですが、)神が存在するなら、なぜ人々は苦しみや悲しみを与えられるのか、ということでしょう。
    少女は他人に尽くし、悪いことなどひとつもしてこなかったのに、ハンセン病の診断を受け、ひどく苦悩します。

    なぜ、一生かけて慕い続けた男に棄てられ、気の進まない仕事をして底辺の生活を送り、そのうえ病気で苦しむことを強いられなければならないのか。

    神は人々に試練を与える存在ではなく、シスターの話にもありましたが、苦しむ人の心の支えになるためにただ存在しているのかな、と、うっすらと考えました。
    だから、周りの人々には、この少女が「聖女」に見えたのかもしれません。

  • 森田ミツのことは嫌いだ。惨めな自分に妥協しながら、残酷な現実に対して甘い幻想を抱いている。そのくせ、人生が上手くいかない時は神の存在を疑う。無垢の裏にあるのは無知なのだ。そんな姿はまるで自分を見ているようで、苦しくて、憂鬱になる。
    また、吉岡のことも嫌いだ。欲望とエゴの塊のような存在で、犯した罪を無視できずに、欲望と普遍性を盾に苦しい欺瞞を周りに対して、自分に対してし続ける。

    だが、こうも憎悪の念を虚構の世界に対して抱くのは、それがあまりにもリアルで、残酷で、人の弱みや暗やみを鋭利な筆致で構築されているからだろう。


    半世紀以上前の話なのに、今日においても十分普遍性を持つものだ。
    恐らく今日もどこかで、同じような自分に甘えを持つ男と女が街頭で出会い、傷つき、別れを繰り返しているに違いない。

  • 遠藤文学の中でも、このタイトルの語感は強いインパクトを与える。実際は『わたしが・棄てた・女』。
    「・」で区切ることで男と女、双方を一個の人格として浮かび上がらせたように、物語は、男性、吉岡努と女性、ミツの手記で構成されている。
    男性にとっては耳の痛い、唾棄すべきこの話を、文学として高めているのは、遠藤氏の一環して追及してきた「神の愛」を、ミツのなかに見ることができるからでしょう。

    10代で読んだ時は、慾望のままに純朴なミツを棄てた吉岡に嫌悪を覚え、それを恨みもしないミツに深い尊敬を感じた。が、時を経て再読してみると、人の心の中には、吉岡もミツも両方いて、アンビバレントな状態で生きているのではないか、と思うのだ。

    ミツのような優しい性格は、人にとって「踏み絵」になりやすいのですね。「踏み絵」になれる人ほど、美しい心の持ち主だということを痛感する秀作です。

    過去に読了、再読。

    • chiiさん
      気になる作者さんでしたので、どれを読もうかと思っていたのですが、レビューを拝読して是非読んでみようと思いました。
      ありがとうございます。
      気になる作者さんでしたので、どれを読もうかと思っていたのですが、レビューを拝読して是非読んでみようと思いました。
      ありがとうございます。
      2010/08/04
  • 人間の嫌な部分からは目を逸らしたくなる。
    滑稽で自虐にも感じるほどの犠牲と救済。‬
    他人にどこまで捧げられるのか。たった一度きりの人生で何をして、何をしないのか。‬
    ‪胸を打たれ最後は涙した。‬

  • 人生をたった一度でも横切るものは、そこに消すことのできぬ痕跡を残すということなのか

    森田ミツは、ただすれ違っただけのつもりだった吉岡をただひたすら思い続ける。無意識に情けをかけることに喜びを感じるタイプ。聖女なんだろうか。
    遠藤周作を立て続けに2冊読んだら、どちらも死で終わり、かなり苦い終わり方。キリストの教えとは、死んだら高尚なところに行けるということなのかな?

著者プロフィール

遠藤 周作(えんどう しゅうさく)
1923年3月27日 - 1996年9月29日
東京生まれ。父親の仕事で、幼少時代を満洲で過ごす。帰国後にカトリックの洗礼を受けた。1941年上智大学予科に入学したが、中退。慶應義塾大学文学部仏文科入学・卒業後、カトリック文学を学ぶためにフランスへの留学。帰国後の1954年『アデンまで』を発表し小説デビュー。1955年『白い人』で芥川賞を受賞し「第三の新人」として脚光を浴びた。
1958年『海と毒薬』で第5回新潮社文学賞及び第12回毎日出版文化賞、1966年『沈黙』で第2回谷崎潤一郎賞、1979年『キリストの誕生』で第30回読売文学賞評論・伝記賞、1980年『侍』で第33回野間文芸賞などそれぞれ受賞。1995年に文化勲章を受章している。
上記受賞作のほか、1993年刊行『深い河』もキリスト教と日本人をテーマにした代表作と見なされており、映画化された。60年代以降「狐狸庵山人」(こりあんさんじん)を名乗り、様々なエッセイを記した。数々の作品が欧米で翻訳され高い評価を受けており、存命中ノーベル文学賞候補だったこともよく知られている。

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