妖怪 (講談社文庫)

  • 講談社 (1973年1月1日発売)
3.14
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感想 : 22
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  • 本 ・本 (636ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061311510

感想・レビュー・書評

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  • 応仁の乱前夜の混沌とした時代のうねりに翻弄されて生きる人々を描いた作品。また、司馬遼太郎の創造性とリアリズムがいかんなく発揮されているダイナミックな作品。
    登場人物も強烈で一度見たら忘れられない者が次々と現れでてくる。
    足利将軍の落胤を称する源四郎。その盟友で元山伏で印地の大将、腹大夫。物語を通して立ちはだかり続ける幻戯使いの唐天子。
    他にも苦参(くらら)、指阿弥陀仏、念閑、阿波聖、さわらび、安倍晴道。どれも登場する時間が長かったり、短かったりするがそれぞれが味わい深い。
    物語が進むにつれ、日野富子、今参りの局、足利義政、義視、義尚、細川勝元、山名宗全らのような綺羅星たちが登場してくる。ここに応仁の乱前夜の盛り上がりが頂点に達する。本作の魅力はまるで史実のような文章のと並立して、唐天子との幻戯バトルが何度も勃発する点にある。読んでるうちに自分で自分にあれ?私も幻術にかかってます?と思わず問いかけるほど、精妙で巧みな文章である。
    室町の京に今しがたいたと思えば、次の場面では兜卒天まで昇り極彩色の世界で生活したり、と思えばイギリスのロンドンで揺り椅子に揺られていたりする。司馬遼太郎の圧倒的筆力の前に、舌を巻かざるを得ない。どれも立体的に描かれていて、まるで自分がその場に居合わせたように思えるほどだ。まさに広大無辺、縦横無尽。そして変幻自在。
    これって昭和42年という大昔に書かれたんだよねほんとすごいよねと、現代においても全く色褪せていない。
    室町時代はこれまでの価値観が崩れ下剋上が群がり起こる時期で主人公の源四郎は物語の中を絶えず漂流し続ける。いや読み手である自分もこの流れに身を任せるざるを得なくなってくる。このハードボイルドな室町の世界を存分に味わえる。そんな魅力に溢れている。

  • 歴史小説として読めば応仁の乱へのプロローグとなりますか。足利幕府の脆弱さ(基盤領地の少なさ)、都市部民衆の疲弊、架空権威に近づくための貴族の権勢争い。引きづられる武家。小説自体は好きな司馬遼太郎の伝奇妖術仕立て。主人公の?熊野源四郎のキャラクター弱く、感情移入のツボが見つけづらい。唐天子は強烈。Kindleにて、物語の終わりに気づかないまま終わりました。舞台の時代設定のみが私には貴重でした。いよいよ未読の司馬遼太郎の長編、なくなりました。

  • 今まで読んだ司馬作品のなかでは一番おもしろくなかった。
    室町という時代背景や日野富子があまり好きでなかったり、メインの登場人物が架空であるというのが理由かも。あまりキャラクターに感情移入できず、ストーリーに入り込めませんでした。司馬作品は長編でも長さを感じないほど引き込まれるのですが、妖怪は長いと感じてしまいました。

  • 応仁の乱の直前の話.時代設定が渋すぎる.

  • 2018.9.2(日)¥330(-2割引き)+税。
    2018.9.29(土)。

  • 昭和47年から48年まで読売新聞に連載された司馬遼太郎の小説。室町時代、応仁の乱直前の京都を描きます。
    本書「妖怪」は司馬の幻術士モノの娯楽小説であり、「竜馬がゆく」「国盗り物語」といった歴史小説に比べれば、かなり異色です。

    時は応仁の乱前夜の室町時代。母親から6代将軍の落胤と幼児期より教え込まれていた源四郎は、「将軍になろう」と熊野から京へ上ります。京は7代将軍足利義政の御台所日野富子と、側室の今参りの局の陰湿な権勢争いに明け暮れています。今参りの局は唐天子という幻術士を子飼いにし、源四郎はその幻術に翻弄され、終盤には応仁の乱のきっかけとなった将軍の後嗣問題にも巻き込まれて行くというのが、主なストーリーです。

    司馬遼太郎の有名な歴史小説では、主人公の殆どが実在の人物。土方歳三(燃えよ剣)、明智光秀(国盗り物語)、河井継之助(峠)といった時代の変革期に生きた実在の人物を独自の解釈で描くところに司馬作品の面白さがあります。一方、「妖怪」の主人公源四郎と幻術士の唐天子は架空の人物。歴史を動かすのは足利義政、日野富子、今参りの局。結局、架空の人物は彼らに翻弄される脇役でしかありません。本作について、司馬は「こんなものをおもしろく読んでもらえるのだろうか」と語り、梅原猛は本作を失敗作と酷評しているそうです。

    それでも、私は本作を面白く読めました。
    まずは、「応仁の乱」前夜というわけのわからない時代を、娯楽小説として料理した司馬の手腕はすごいと思いました。また、飢饉で死骸が並ぶ京都の描写、足利義政の優柔不断ぶりと恐妻ぶり、時々紹介される司馬遼太郎の日本人論、非常に読み応えのある1冊でした。

    一昨年、中公新書の「応仁の乱」(呉座勇一著)が話題になり、メディアでも応仁の乱の不可解さが取り上げられました。要はなぜ始まったのか?誰が勝ったのか?が不明瞭な事件と紹介されています。本作「妖怪」は前者の問いについてのヒントになると思います。
    なお、尾崎秀樹による解説がわかりやすく、解説から読むことをお勧めします。星3つか4つか迷いましたが、★★★★。

  • 面白い話ではあったが…惜しむらくは、源四郎のふがいなさか。兵法の修行に行ってきても、唐天子にやられるやられる。とはいえ、室町時代の京都をうろつき回っているような雰囲気に浸ることはできました。

  • 司馬遼太郎マイナー長編。
    何となく読んでみた。

    舞台は室町幕府8代将軍足利義政の時代の京。
    そこへ熊野から6代将軍足利義教の落胤を自称する熊野源四郎が上るところから、物語は始まる。

    「都へ出て、将軍になろう」と正気で言う「野性と典雅さのいりまじったふしぎな若者」で何やら怪(快)人物を思わせる主人公、と来れば司馬読者なら期待するというもの。

    ところがこの源四郎、腰が定まらない。
    都で義政の正妻日野富子の兄日野勝光の食客になり、義政の側室お今を除くよう依頼されるもお今に憑く幻戲(めくらまし)使い唐天子にいいように騙され、それを打ち破る術を得るべく関東へ兵法の修行へ。
    修行の成果で幻戲使いにとって苦手な人間になるも、またもや唐天子に散々に操られて右往左往。生き霊のまま富子のもとへ行ったりお今の屋敷に忍び込んで捕まったり一揆に巻き込まれたり。
    自分を鍛え直すために西国へ武者修行へ赴き、幻戲の通用しない、唐天子が卑屈な態度をとるしかない男になって帰ってくる…んだけどやっぱり唐天子に憑かれてフラフラと。

    まさに本文にあるように、「人生の漂流民」。常に周囲に流されてる。
    物語の中で源四郎が能動的になるのは兵法修行についてだけ。
    主人公としての魅力はゼロに等しいです。
    この一事だけでも司馬作品として異色。

    もうひとつ異色なのは、ストーリーに本筋がないこと。
    京を覆う末世的雰囲気、義政の後継者問題を巡る陰謀、それに利用される源四郎、妖しい術を用いる唐天子…
    それら全てが輪郭の曖昧な物語を形づくっている。
    その総体と言うか様のことを、「妖怪」と言えば言える。
    冒頭にあるように、「この時代にはこんなやつがいた、というはなしである」に過ぎないとも言えるのかなぁ。

    ダラダラ書いたけど、司馬作品としては駄作だと思う。
    なので星3つ。
    司馬初心者にはオススメしない。
    根本的なところだけど、長すぎる。司馬遼太郎の伝奇・幻想小説は短編に限る。

  • 主人公が貧弱で終始周囲に振り回されるために、読み手も一緒にあっちこっちに振り回されて頭が回らなくなります。やはり妖怪は司馬さん。

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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