幸福という名の不幸 (下) (講談社文庫)

  • 講談社 (1975年1月1日発売)
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本 ・本 (328ページ) / ISBN・EAN: 9784061313156

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    ・面の表情はほぼ決っているのに、なお、体の芯が艶っぽいとは、どういうことなのだろう
    ・二十三歳は、開花の盛りのように思われ、二十四歳は盛りをほんの少し過ぎたかと思える。二十五歳となると、女も分別盛りになる
    ・愛する人を失った場合ー方法は一つしかない。只じっと、時の過ぎるのを待って、記憶の薄らぐのを待つ他はない。
    ・酔いは甘く感動はその底に苦渋を秘めている。己を厳しく律し、冷静さを失わない人間にしか、本当の感動はあり得ない。
    ・世間を第一目標に暮しているのでもないが、世間を無視するほどの論理も勇気も持ち合わせている訳ではない。
    ・絶望的になることさえ、許されてはいないとおもっている男の絶望のようなもの そのような屈折した感情は慈悲の色を帯びていた。
    ・何も言わないのは、失いたくないからであった。
    ・芸術を愛する人々は、温和な、淡々とした感情によって支えられた穏やかな家庭生活を許されず、絶えず激しい感受性の波浪に洗われ続けて生きるのであろう。
    ・もし何かの折りに、自分が余語に対する普段の態度を失うことができさえすれば そうすれば、事は一きょに解決するかもしれないのである。
    ・好きなら、その人の幸福を希うだけでしょう。
    ・あした、あんたは、あんたの会うべきだった人に会うかも知れないんだ。その前の日まで人間にはその運命がわからない。
    ・一生、淋しい時には慰め合い、話もよく通じて、そして、お互いの生活には、何ら干渉し合わない。一つの理想。
    ・酔っぱらっている人生なんて、決して楽しいもんじゃない。運動の足りない食べ過ぎた胃袋みたいにうっとうしいだけだ。酔いつづけていないと生きている気のしない人間も確かにいる。
    ・一人と一人が責任を持ち合うことしか、人間を慰め合う方法はないような気がする
    ・この世にいる間に出来ることと言ったら、はかない、その場限りの優しさを示し合うことだけではないか
    ・淋しさと貧しさの中で生きるには慎みが第一ということなのかも知れぬ。諦めとは言わず、慎しみと言っておきたい。

  • 女性は難しいが、逆からみれば、男ってわからないのだろう。

  • 下巻。結婚とは、幸せとは。。。

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著者プロフィール

1931年、東京に生まれる。作家。53年、三浦朱門氏と結婚。54年、聖心女子大学英文科卒。同年に「遠来の客たち」で文壇デビュー。主な著作に『誰のために愛するか』『無名碑』『神の汚れた手』『時の止まった赤ん坊』『砂漠、この神の土地』『夜明けの新聞の匂い』『天上の青』『夢に殉ず』『狂王ヘロデ』『哀歌』など多数。79年、ローマ教皇庁よりヴァチカン有功十字勲章を受章。93年、日本芸術院・恩賜賞受賞。95年12月から2005年6月まで日本財団会長。

「2023年 『新装・改訂 一人暮らし』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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