眠る盃 (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061317680

感想・レビュー・書評

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  • 著者は1981年(昭和56年)の8月22日、台湾の空に散った向田邦子さん。
    今日は墓前に花を手向ける人も多いことでしょう。
    25年も前に亡くなったなどと信じられないほど、作品の中の彼女は生き生きと語りかけてきます。

    「眠る盃」という表題作は昭和53年10月の東京新聞に載ったエッセイ。
    滝廉太郎作曲の「荒城の月」の歌詞の一箇所「めぐる盃影射して」を「眠る盃」と勘違いしてずっと覚えていたという話に始まります。
    この後保険会社の支店長をしていたという父がよく客人を連れて帰り、家でもてなす様が事細かに描写され、そして父の思い出へと繋がっていくのです。

    酔いつぶれて寝てしまった父の膳に、飲み残しの酒が入った盃がある。
    ゆったりとけだるく揺れる、その酒までが眠っているように見えるという。
    そして「荒城の月」の4番を歌うとき「ああ、荒城の夜半の月」を「弱の月」と心の中で歌ってしまうという終盤の鮮やかさ。
    月に浮かぶ古城に栄枯盛衰を思うのか、亡き父への想いがこみ上げるのか、向田さんはこの歌のこの箇所で胸にこみあげるものがあるというのです。
    わずか47行のエッセイの、何と深い味わいでしょう。

    実のところ、生前の向田邦子さんについてはその作品さえ殆ど知りませんでした。
    つい最近になり「父の詫び状」を読んだところです。
    この「眠る盃」の前に出された、一冊目の随筆集です。
    喜びも悲しみも、一度自分の胸の中できちんと昇華させてから表現するという「大人の女性」の文章に、芸術さえ感じたものでした。
    以来、日常のすべての場に細やかな気使いの行き届く憧れの女性として、胸に長年住み続けている向田さん。
    しかし、今回この随筆集を通して見えたものは、違う局面でした。

    例えば「父の風船」というエッセイでは、若い時分に酔っぱらった父が、ドラ焼を山ほど買い込んで、銀座通りの店のガラス戸にドラ焼の皮をペタンペタンとはりつけて歩いたという話が出てきます。
    宿題の紙風船が出来ずに泣き寝入りしたら、父が朝には作っておいてくれたという子供時代の思い出の導入で、少ししんみりしているのですが、彼女は「父の供養にそれをやってみようか」と思い立ちます。
    実際には想像の中でのみやって終わるのですが、これを「知的なユーモア」などと若い頃の私なら笑ったのかもしれない。
    今はとてもじゃないが、笑えません。むしろ涙ばかりにじみます。

    たぶん人一倍心根の優しい、弱いところもたくさんあったに違いない向田さん。
    しかしそれをそのまま出すような「野暮」なマネはしたくなかったのでしょう。
    身内のことを書いて稼いでいるという恥のようなものもあったかもしれない。
    生来の慎み深さだったかもしれない。
    「粋」で美しく生きたかったから、ユーモアで包み込んだのでしょう。
    テレビ・ラジオ等のドラマ脚本で脚光を浴びた人だったと聞くけれど、案外ご本人は照れ屋さんで気の弱い、でも必死で頑張っている普通の女性だったのかもしれません。
    お元気でしたら、どんな作品を書いてくれたことでしょうね。

    多磨霊園玉には、本を開いた形の墓誌があり、左側に略歴、右側に森繁久弥さんの句が刻まれているそうです。
      「花ひらき はな香る 花こぼれ なほ薫る」

  • 一切の文章が上品で、表現がしゃれている。ニクいなあと思う。同時に、物書きはこうでなくちゃ、なんて一丁前なことも呟いてしまう。

    こんなに人間観察に優れた人のエッセイを私は知らない。著者が出会い話をしてきた人々がどれほど美しく素晴らしいのかを私でも理解できるのは、著者が紡ぐその言葉が人をひきつけて止まない魅力を持つからである。

    美しい文章というのは、どれほど時が経とうともいつまでも色褪せない。簡単に風化などしない。そうして、後の世に生まれるものの心を掴んで離さない。私が言うのもおこがましいけれど、確かな文章力の中に妙な子供らしさが見え隠れして思わず微笑む。この人の端正な随筆を読んでいたら、課題の締め切りに間に合いそうになくて青くなっている自分が何だか笑えた。

    読んでない、読まない、なんて、損している。
    そう断言できてしまう本作なのである。

    (20111230)

  • ライオンの話が面白かった。

  • 向田邦子さんのエッセイはどれも秀逸だと思う。中でも少女時代の家庭を描いたものは素晴らしいものが多い。しかし本紙「眠る盃」に収録されている「男性鑑賞法」はめずらしくまのびした文章に感じてしまった。向田邦子さん自体本当は男性を「鑑賞」する趣味などなかったのではないだろうか。

  • 人はそれぞれ多彩な顔を持つ。善き振る舞いや憎まれる悪態は日常茶飯事、誇らしく自慢したり言い訳をして悔やんだり、まさに一喜一憂を繰り返す。人はそんな完璧じゃない人を魅力を感じる。合点がいかない事も時が過ぎると許してしまう。安易に烙印を押すなかれ、すぐに結論や解答を求めると楽しくない。迷ったり思案したりする過程に本当の喜びが潜んでいるのだ。向田邦子が記す愛憎はそこを得心している。そして私たちの胸に響く。



  • 講談社文庫
    向田邦子 「眠る盃」

    父親、猫、食のエピソードを中心としたエッセイ。女性作家の女性読者向けエッセイと違い、男性が読んでも面白い。話のテンポがよく、予想外の方向へ話を展開するので 飽きない。さすが 売れっ子の脚本家だと思う。


    「字のない手紙」と「鹿児島感傷旅行」は 随筆というより短編小説の完成度。書かれていない部分を想像しながら読める


    水羊羹へのこだわり、レストランの味を真似する方法、丼ものをおいしく食べるコツなど食べ物エピソードは かなり面白い。


    全体的に 幸田文 に似てる?







  • ①文体★★★★☆
    ②読後余韻★★★★☆

  • 昭和の女性は、かくも素敵であった。

  • 向田邦子の2作目のエッセイ集

    教科書に載っていた「字のない葉書」をまた読みたくなって購入
    当時とは読んだ感想が違うかもしれない
    今は親目線の気持ちがよりよくわかる


    改めて、エッセイの出来が素晴らしいと思う
    着眼点、描写、構成、表現などどれをとっても一級品

    ただ、「父の詫び状」よりも俗な話題が多い気がする


    面白かったのは、ツルチック、中野のライオン、で読者から連絡が来て真相が判明するくだり
    現代なら一般人でもSNSなどで容易に発信する事ができるし、運良くバズったりしたらわかるときもある
    当時も有名な人であれば雑誌の記事などを目にした人から情報が寄せられたものなのだと感心する


    あと、没になったアイデアのもなかなかよい
    記憶喪失の四十七士が現代に来て国を憂うアイデア
    原稿は進んでいないのに嘘の進行を伝えつつ、三島由紀夫のあの事件によって企画自体が没を告げられる
    そしてあまり進んでいなかった事も看過されていたというオチ

    他にも、若い頃に双子を名乗る詐欺の話を書いたが、リアリティがないと言われたやつ
    実際にそんな事件が起きて、笑えてきてしまうというのも納得


    向田邦子の小説は何作か読んだけど、他のももっと読んでみようかと思った

  • とても人間味のあふれる文章で、読んでいて心地よかった。

    著者の回想を読んでいるつもりが、なぜかいつの間にか自分の回想となっている事が多々あり、著者と自分の昔を重ね合わせながら読んだ。多くの思い出の引き出しを開けてもらい、とても不思議な読書時間だった。

    著者の表現は、簡潔だが、本当にその出来事が起こっている瞬間にタイムスリップしているかのような、巧みな表現が多くその面でも勉強になった。特に最後の一文にとても味のある表現が多く、余韻まで楽しめるエッセイだった。

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著者プロフィール

向田邦子(むこうだ・くにこ)
1929年、東京生まれ。脚本家、エッセイスト、小説家。実践女子専門学校国語科卒業後、記者を経て脚本の世界へ。代表作に「七人の孫」「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」。1980年、「花の名前」などで第83回直木賞受賞。おもな著書に『父の詫び状』『思い出トランプ』『あ・うん』。1981年、飛行機事故で急逝。

「2021年 『向田邦子シナリオ集 昭和の人間ドラマ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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