風の歌を聴け (講談社文庫 む 6-1)

著者 :
  • 講談社
3.47
  • (289)
  • (330)
  • (908)
  • (99)
  • (21)
本棚登録 : 3688
感想 : 440
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (155ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061317772

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  •  「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」
     今や押しも押されぬ大家となられた村上春樹氏のデビュー作であるこの小説は上記の文章で始まる。村上氏が小説家として最初の一歩を踏み出されたのはこの文章からだったのか。「おお〜っ!」って感じ。
     村上春樹氏の小説の主人公やその周りの人々の考えていることは、はっきりいって良く分からない。いつもニヒルで言葉が少なくて、謎掛けみたいな言葉ばかりでクールで…。
     親友の“鼠”という男の正体は何なのだろう。この親友との関わりがちょっと前に読んだ「羊を巡る冒険」まで続くので今回読んでみたのだが。それに、彼の小説の主人公が付き合ったことのある女性が自殺していることが多いのはなぜだろう。何かのメタファーだろうか。村上氏が直接関わった人々がモデルだろうか。それとも村上氏の分身だろうか?鈍感で、四角四面な思考回路しか持っていない私には分からない。
     でも、まあいい。分からなくても。彼の小説の読後感とか読んでいる時の気分の快感さだけは分かるようになった。この小説の主人公の歳(21歳)の二倍以上もかけてやっと。本当にこの小説の“僕”がすでに感じていた“悲しみ”というものを私は、何倍も時間をかけて迂回して少しは理解出来るようになった。
     「泣きたいときには、いつでも泣けないものだ」というときの酸っぱい味を彼の小説で味わうことが出来るようになった。
     村上氏はハートフィールドというアメリカ人作家の影響を受けて、小説を書こうと思ったと書かれている。ハートフィールドという作家はその自死のときにも殆ど話題にならなかったほど不毛な作家だったらしいが、短い作家人生の中で、膨大な数の言葉を書きまくっていたらしい。
     村上氏もこの小説から出発して沢山の小説を言葉を世に送り出して来られた。彼の小説を読んでいると「小説なんて世の中の役に立たない」というようなことを言っているようだが、それでも私は村上氏が一瞬一瞬感じられる形のない感情を“言葉”という形を借りて描いて残されてきたものが財産だと思うし、これからも出来るだけ生み出していただきたいと思う。

    • ニーチェさん
      ハートフォールドは村上春樹氏の創造した架空の人物ですよ
      ハートフォールドは村上春樹氏の創造した架空の人物ですよ
      2022/09/09
    • Macomi55さん
      ニーチェさん
      コメントありがとうございました。はい。騙されてました。何処までが本当か分からないですね。
      ニーチェさん
      コメントありがとうございました。はい。騙されてました。何処までが本当か分からないですね。
      2022/09/09
    • hirokingさん
      Macomi55さん

      村上さんの作品は確かにご自身の経験に基づくものなのか?それとも創作なのか?わからないことが多いですね。

      Macom...
      Macomi55さん

      村上さんの作品は確かにご自身の経験に基づくものなのか?それとも創作なのか?わからないことが多いですね。

      Macomi55さんのレビューを読ませていただいて、本書の内容を思い出しました。私にとっては村上ワールド、不思議世界の入り口でした。
      2023/09/03
  • 1979年に発表された村上春樹のデビュー作である。
    村上春樹は1949年生まれなので、本作品が発表されたのは村上春樹30歳の年である。実際にこれが村上春樹の初めて書いた小説、処女作のようであり、遅い歳に作家になった人だ。

    小説の中で主人公の「僕」は、8年前の21歳の時、具体的には1970年8月8日から8月26日までに郷里の街で経験したことを、「自己療養へのささやかな試み」としてこの小説で描く。この小説は、「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」という文章で始まっている。「僕」が書いている小説が「自己療養へのささやかな試み」を描く文章としては、完璧なものではないことを最初に断っていると同時に、逆に「完璧な絶望が存在しない」と言うことで、「自己療養」の方は、ある程度の成功を収めていることを暗示していると受け取った。

    「僕」は、偶然、「左手の指が4本しかない女の子」と知り合う。何度目かに会った際に、彼女は「僕」に「明日から旅行するの。」と告げる。そして旅行から帰って来た彼女のアパートに泊まることになった際に、彼女から、不在が、実際には旅行ではなく、子供を堕ろす手術のためであったことを知らされ、「僕」は彼女のことを思いやる。それには理由があった。「僕」が帰省する数か月前に、つき合っていた「仏文科の女の子」が自殺をしてしまうのだ。
    自殺の前年の秋に、「僕」は彼女と会話を交わす。
    「ねぇ、私を愛している?」「もちろん」「結婚したい?」「今、すぐに?」「いつか・・・もっと先によ」「もちろん結婚したい」「でも私が訊ねるまでそんなこと一言だって言わなかったわ」「言い忘れていたんだ」「・・・子供は何人欲しい?」「3人」「男?女?」「女が2人に男が1人」彼女はコーヒーで口の中のパンを嚥み下してから僕の顔を見た。「嘘つき!」と彼女は言った。しかし彼女は間違っている。僕はひとつしか嘘をつかなかった。
    彼女は、「僕」が彼女を愛していることを嘘と思い、「僕」は子供が欲しいと嘘をついた(ということなのだろうと私は解釈した)。いずれにしても、自分との関係が理由で(少なくとも理由の1つで)、「仏文科の女の子」は自殺してしまったと、「僕」は感じており、そのようなことがあったので、「左手の指が4本しかない女の子」を、とても気遣うのだ。
    彼女の自殺という取り返しのつかないことを、9年後に、客観的に文章に(完璧かどうかは別にして)書けるようになったことを、「自己療養」のある程度の成功と感じているのだと私は解釈した。

    小説の構成はもう少し複雑だ。友人の「鼠」やバーの店主の「ジェイ」やラジオのDJが小説には登場し、存在感を示している。彼らのセリフや行動の意図や、「僕」との関係性等、小説を構成している要素はまだまだ沢山ある。それらをどう解釈すれば良いのか、村上春樹がどのような意図で書いたのかについて全てを理解できている訳ではない、というか、よく分からないことが多い。
    一番分からないのは、37節だ。DJが番組の中でリスナーからの手紙を読み上げる。リスナーである17歳の女性は脊椎の神経の病気で身動きが全く出来ない状態で病院に既に3年間入院している。彼女は「ベッドから起き上って港まで歩き、海の香りを胸いっぱいに吸い込めたら・・・」と毎朝想像している。その手紙を受け取ったDJは、彼女の病院があるかもしれない山側を見上げ涙が出てくる。そして、小説には、DJの言葉として、「僕は・君たちが・好きだ」と言いたいと感じることが書かれている。村上春樹の小説には、この部分が太字で記されている。「僕は・君たちが・好きだ」と思う場面は、この小説のテーマにも関わる大事な場面なのだと思うが、示され方が小説を読んでいる者(少なくとも私)には唐突な感じがする。文章はすっきりと、村上春樹の初期作品らしい軽快な文体で書いていて、とても読みやすいのであるが、読み解くのはそんなに簡単ではない小説、と感じた。

  • 鼠三部作と言われる初期の作品。未読だったので、これから少しずつ追いかけてみようと思います。

  • なんだかずっと心に残ります。切なさとか寂しさが残るような。それは(こんなお洒落な世界ではないにしろ)多くの人が経験している感情だからでしょうか。あとはよく分からない部分が多いからこそ、その余韻が想像力を掻き立てるのでしょう。
    そんなに長くないのですぐ読めます。初心者におすすめ、と言われる所以が少し分かりました。

  • 短い物語なので、すぐ読み終える。
    村上春樹らしく、さらっと乾いた文体でクール。
    しかし、青春の頃のみずみずしさ、気だるさを肌に感じる。
    1970年という時代。令和の現代とはまた違った夏で面白い。

  • 音楽がいい

  • たぶん20年ぶりくらいに再読。主人公のもってまわったコミュニケーションスタイルがいちいち鼻につくのでびっくりした。こんなに面倒くさいやつだったとは! それに、帰省中の大学生が同性の友達と二人でホテルのプールで泳いでそのあとバーで飲むとか、60年代にはありえたんだろうか? べつにリアリズム小説じゃないんだろうけど、今になるといろいろ気になるものだ。

    とはいえ、かつては彼の暮らしがかっこよく思えたのだ。いきつけのバーがあって、そこに行くと友達がいるとか。余計なことはしゃべらず、女の子をじりじりさせ、なぜか寄ってこられるとか。ないない。だいたい大学生に店でがぶがぶビール飲む余裕はないだろう。

    と、いちいち「ないわー、ないわー」とびっくりしていたのであまり小説を味わった感じがない。指が欠けている女の子が彼の世界に訪れまたすぐ消えたこと、それは思い出すに値するけれど、でもそれを消化できなくて眉根にしわを寄せてる30歳というのもいいかげんにしろ、という気が。もうちょっと今を生きてほしい、というか眉根にしわを寄せていたいのならどうぞ、というか。

  • 夏休み。友人と女の子とビール。学生時代の夏休みって、帰省しても、時間がいっぱいあって。特に何かしらの事件もなく、好きなこと(ここでは小説)を延々と語ってるだけ、という…。
    村上春樹氏の文章は、いつまでも読んでいたくなる不思議な感覚があります。

  • 何度も読み返しているが、久々に再読。
    ちょうど今、『職業としての小説家』を読んでおり、この作品がどうやって生まれたかを知ったので、改めて読んでみたくなった。
    知ったうえで読むと、なるほど…と思う箇所あり。

    ちなみに、家にあった文庫は1997年の第49刷でした。

  • 久しぶりの再読。この小説は、読む度に「生きていることは面白いのかもしれない」と思える。なぜだかは僕にもわからないけど、世の中をくすっと笑えるようになる。少なくとも読後一週間くらいは。。

全440件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

村上春樹の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
村上 春樹
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×