中核VS革マル (上) (講談社文庫)

  • 講談社 (1983年1月10日発売)
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  • 本 ・本 (283ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061341838

作品紹介・あらすじ

血で血を洗う殺戮戦争を続ける学生や労働者たち。その覆面の下には、どんな素顔が隠されていたのか。高い理想と正義感から生まれたはずの“革命”運動が、両党派間の内ゲバ殺人に転化していった悲惨な歴史の逆説。いま困難な時代の転換期にあって、先行世代の軌跡を見詰めなおす綿密なドキュメント。

感想・レビュー・書評

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  • スプラッター小説

  •  中核と革マルはともに新左翼の運動から派生された組織で、一見すると左翼側の活動家だと思いがちだが、実際はいくつかの点で異なった見解をもつ。本書はその違いを具体的にあげて左翼の内ゲバの実態を暴く。中核と革マルは元々「革共同」と呼ばれる組織が源流で、ゆえにマルクス・レーニン主義、革命などいくつかの共通点はある。しかし例をあげると、革マルは大衆を重視する一方で中核は大衆を蔑視する、また一人のカリスマ的指導者が特徴的な革マルに対して集団指導体制をとる中核など、細かなところで二者は対立している。

  • 読んだのは数十年前だが、同時代に司馬遼太郎の対談本か何かで、やっていることは幕末維新前のゴロツキ浪人がやっていることと変わらない、と喝破されていた。その通りだったとも思う。世の中を変えるには至らなかったけれども。
    幕末と違い国際情勢が複雑になっていた社会で、純化した思想に酔うことの愚しか浮かび上がってこない。この騒動を起こした人たちの一世代下の時代だが、行動原理が全く理解できない。急進的な人は今でも革命を正当化しているようだが、そうでもない人はほっかむりしている。
    いったいなんだったのだろう、としか思えない。

  • 彼らによりすぎ/批判的すぎる立場の記述が多すぎて、70年代の壮絶なまでの内ゲバの正体はなかなか見えてこない。連合赤軍に比べて、関連書籍も明らかに少ない。

    そんな中、歴史的経緯を踏まえ、情報を精査し、極めて客観的な視点で革マル•中核派の歴史を素描する本著は他に類を見ない優れた歴史書であり、彼らの正体を捉える上でこれ以上の記述はないのではないかと思う。

    なぜ「革命」という一点では同じなはずの彼らが血で血を洗う構想に辿り着くのか。
    不可避であったようにも、避けられたようにも思う絶妙なところを突き進み続ける力学に、社会活動を志す自分も自己批判を強いられる。

  • ブクログに登録するための読み返し。

    最初に読んだのは学生時代であるが、母校が一方の拠点大学であったこともあり読んでみた。

    今では考えられないことであるが、本書からも当時は凄まじかったことが窺える。立花氏の取材力と文章力によるものだろう。

  • 新左翼のろくでもない人でなしたちが起こした最悪の事件は、あさま山荘事件とよど号事件や渋谷での放火殺人事件などいろいろあるけれど、こんなに日常的に、月に一人くらいの間隔で人をリンチにかけていた時期があったのか…まだ30ページも読んでいないのに、血も凍りそうな蛮行が次々と出てくる。こんな犯罪に加担した人たちは警察に取り締まってもらいたいわ。この場合は公安か?

  • 中核派と革マル派の抗争を描いたドキュメントですが、戦後にも関わらず、ほんの50年前に、東京で暴力が日常茶飯事であったという事実に今更ながら驚きを感じます。

  • 新左翼のなかで、たがいに激しく対立して凄惨な内ゲバをくり返した「中核派」と「革マル派」についてのレポートです。

    両派とも自分たちに都合のいい情報のみを機関誌を通じて喧伝し、相手を罵っていますが、著者はそれらの資料をていねいに検証して事実にせまるとともに、両派の抗争スタイルのちがいについても考察を展開しています。中核派は、米軍基地反対闘争や在日コリアン、被爆者の権利回復運動、ウーマンリブといったさまざまな大衆運動と連帯するのに対し、革マル派はそれを「大衆運動埋没主義」と非難し、自治会や労働組合でのヘゲモニーを獲得することに力を入れてきたという整理がなされており、革命についての異なる考えかたをもっていたとされています。著者は、このような理論および実践における考えかたのちがいが、たがいへの憎しみをエスカレートさせていくことになった経緯を詳細にたどっています。

    著者は、こうした両者の抗争が「信仰」の対立にもとづくとして、そのために正義の名における殺人の正当化がなされているとします。そして、「人命尊重」「暴力反対」といった市民の論理では両派の抗争は理解できないとして、和解のむずかしさを指摘しています。

  • 新左翼運動の流れ、中核派・革マル派の考え方、分裂したのはなぜか、について詳しく書かれていた。
    両派の抗争は1972年まで(下巻へ続く)。

  • [上下巻あわせて]
    本書は、日本国内における左翼2団体の抗争レポートであり、それぞれの組織の成り立ちから、1960年台~70年台前半の抗争が詳細に描かれている。

    念入りな調査に基づき、(少なくとも読んでいる限りには)客観的に咀嚼され、理論整然と書かれた良書である。

    最近のニュースではイスラム系のテロ事件が報道されるが、日本国内の人々にとってはまだ他人事であるだろう。

    しかし、今からわずか数十年前には日本国内において、
    国内の左翼団体によって連日のように襲撃事件が発生していたのだと本書をもって知ることができた。

    一口に襲撃事件というと軽く聞こえるかもしれないが、
    例えば1人に対して複数人で鉄パイプやバールを乱打して殺害するなど、極めて原始的かつ直接的な暴力が用いられており、読んでいて戦慄する。

    それも、町中や駅や大学教室などの衆人環境下において発生し、かつ人違いによる襲撃も相当数含まれており、一般人でも決して他人事でなかったことに恐怖した。

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著者プロフィール

評論家、ジャーナリスト、立教大学21世紀社会デザイン研究科特任教授

「2012年 『「こころ」とのつきあい方』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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