一〇年代文化論 (星海社新書)

著者 :
  • 星海社
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感想 : 29
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061385450

作品紹介・あらすじ

『僕たちのゲーム史』著者による、希望のポップカルチャー論!
本書は、二〇一〇年代の若者文化について語った本です。果たして、「二〇一〇年代の若者文化とは」という大きな設問に、まだ二〇一四年の現時点で、答えることはできるのでしょうか? それに、そもそも「若者文化など、なくなってしまった」という意見すらあります。しかし、それは誤りです。本書では、〇七年頃に「残念」という言葉の意味がポジティブに変化したことを手がかりに、一〇年代の文化と社会を読み解いていきます。若者文化は明確に存在し、これまでと違う、新しく自由な時代を築こうとしています。さあ、「現代社会は閉塞している」といったありきたりの社会論を超えて、「今」を肯定的に捉えなおしましょう!

感想・レビュー・書評

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  •  「残念」を主軸に、文化を論じているのだが、実に鮮やかだったし、誰かの理論ではなく、本当に自分の心の底から、前々から思ってた、どうしても言いたかったことをとにかく本音で説いている。激しくも、正しい一冊だと思えた。
     ラノベの四条件とか、いろんなネタ満載だし、一つ一つが納得いくし、また、「残念」という文化論自体も、数年後には新たな主軸に変わると述べている潔さも良い。残念の次は何があるだろうか。
     ものすごく真面目で優等生の女委員長なのに、趣味がデスメタルとか。大企業の女社長なのに、夜は日本語ラッパーとか。そういう「残念」を楽しむ文化が日本全体を巻き込んでいて、また、現実に生きる人間自体も残念というキャラで生きたりもしている。
     残念であればリツイートされ、初音がはちゅねになるのも、鏡音レンのアイテムがロードローラーになるのも残念。読みながら「ほんまやね」と思えた。しかし、残念の次ってなんだろう。この議論をするだけで、朝まで友達と飲めそうだし、話題に事欠かない良い本だと思う。

  • 『僕たちのゲーム史』著者による、希望のポップカルチャー論!
    本書は、二〇一〇年代の若者文化について語った本です。果たして、「二〇一〇年代の若者文化とは」という大きな設問に、まだ二〇一四年の現時点で、答えることはできるのでしょうか? それに、そもそも「若者文化など、なくなってしまった」という意見すらあります。しかし、それは誤りです。本書では、〇七年頃に「残念」という言葉の意味がポジティブに変化したことを手がかりに、一〇年代の文化と社会を読み解いていきます。若者文化は明確に存在し、これまでと違う、新しく自由な時代を築こうとしています。さあ、「現代社会は閉塞している」といったありきたりの社会論を超えて、「今」を肯定的に捉えなおしましょう!

  • 本書で10年代ポップカルチャーのキーワードとして語られる「残念」。

    この「残念」の思想は2007年くらいから露出し始めた新しいタイプの文化的態度であるとさやわか氏は様々な事例を取り挙げて論を展開されていますが、やはり僕みたいな団塊jr世代から眺めると、前世紀からみうらじゅんタモリや糸井重里や「元気が出るテレビ」やら果ては赤瀬川源平「トマソン」などなど、過去「残念」の可能性(ポジティブ)を捉えた様々なクリエイター並びにコンテンツに満ちていたように思え、結局はカワイイ文化も結局が戦後高度経済成長後に一気に溢れたPOPS自体のその「残念」性の遍在ではないのかとも思えたりもしたのですが、後半岡田斗司夫流オタク論の「あえて」ダメなものを愛でる態度とは10年代の「残念」は似てて非なるものだという宣言を読むと、逆につまり僕なんかだと既に若い子の細やかな区別が見えなくなっているだけかもしれないなと反省も迫るある意味俗流「若者論」批判の書でもあります。

    一点、この「残念」を現在のお笑い、アニメ、ラノベ、ボカロ、アイドルなどなど、文化アイコンから「残念」を探りあてていく鮮やかな手並みの中に、21世紀に猛威を振るい大量の死者も出したあの「中二病」について特に論じられてなかったことに疑問だったのですが(Wikipediaにもあるように荻上チキがかつてこの病を「キャラをめぐる病」と定義していたのも2008年ごろ)あとがきで「過去の文献からはあえて引用しない」と決めて書いたということらしいです。もしくは「中二病」を語るとポジティブな「残念」を見失うからか?

    著者は上下斜め左右から凝視したり目を細めたりしながら何かまだ捉え切れぬものを捕捉しようと懸命にもがいているようにも思えました。なので、この先があるのではないでしょうか。

  • 極めて暴力的かつ傲慢な分析にほかならない。そもそも著者は「残念」という枠に当てはめて現代の「若者文化」なるものを解説しているものの、その客観的根拠については極めて乏しく、それだけでもかなりの問題なのだが、ここでは措いておく。

    それよりも大きな問題なのは、「若者文化」なるものを最初から上の世代には「理解できない」ものと規定し、過度に「変化」「差異」に注目することにより、「断絶」を基底とした社会観を提示し、そしてその「向こう側」を「語れること」それ自体を目的化する態度ではないか。しかしそれを裏付ける客観的な根拠がほぼ提示されていない以上、その分析の正当性を検討することは極めて困難だ。不毛な世代論の再生産でしかないこのような「文化論」に果たしていかなる価値があろうか。

  • 一般にマイナスイメージのみの「残念」という言葉の使われ方が、「残念なイケメン」のようなプラスイメージと合わせて受け入れられるようになってきた。
    この「残念」の用法の変化のみを手掛かりに2010年代の文化を分析するという試みだが、あんまり的を射ているとも思えない。
    なんか、あらかじめ反論を想定して色々な言い訳をしてるけど、それも別に説得的ではないし、取り扱う分野もアニメ・オタク文化ばっかりが中心で興醒めする。
    2020年の今、読む本ではないかも。

  • 秋葉原連続殺傷事件と黒子のバスケ脅迫事件を「残念」の定義を用いて解説してるのが良かった。あとはやや冗長

  • キーワードは「残念」。

    <blockquote>「何とも言えない、微妙な気持ち」を呼び起こすものが、いま人を惹きつけるようになっている。僕はそれはすごく興味深いことだと思って、人が惹きつけられる理由を考えたいと思った。(P.186)

    </blockquote>
    「残念」という感性のあり方とは
    1.短所と長所を両方とも否定せず受け入れる態度を持っている。
    2.「残念」な要素を受け入れるというのは、つまりどんな個性も許す自由さ、おおらかさを持っているという意味。
    3.「残念」というのはつまり、従来的な学校教育などからはドロップアウトしてしまうような種類の個性なのだ。
    4.しかし「残念」な要素は、「キャラ」として受けいられれば深刻になることはない。
    5.「残念」という考え方は、短所を「あえて」受け入れるような元のは違うし、単純に「オタク」的なものではない。


    <blockquote>近年の「残念」とは、言ってみれば「清濁併せのむ」という思想なのだ。そこが日本伝統の美意識だと岡田(斗司夫)の主張した「あえて」愛でるというオタクの思想とは異なっている。(P.144)</blockquote>

  • ”残念”に対する二折にも三折にもなっている複雑な感覚は、うちの子供等を見ていてもわかる気はする。
    Perfumeが誰がコントロールしているのかわからないパーツを総合しているユニットという分析もなるほどだし、斯様にネタの一個一個はまぁなるほどなのだが、2010年代を総括する文化論ってのはさすがにどうかと。まさしく”残念な本”という感じ。

  • 「残念」の変化にフォーカスすること自体はとてもわかりやすい。一方で観測範囲がポップカルチャーに限定されたり、対象期間も主に2010年に至るまでであるなど、導き出される結論が果たしてそのまま採用すべきものなのかは判断に迷うが、一冊の新書として取り上げるテーマには限界があることを考えると、ユニークな切り口。

  • 「残念」ということばの受け止められ方が変化したということを手がかりに、2010年代のオタク文化の新しい潮流を論じた本です。

    著者は、本書を執筆するに際して、あえて参照した文献からの引用はおこなわず、みずからの言葉で自説を記すことをえらんだと述べています。ただ、オタク文化にまつわる批評もそれなりの歴史があり、先行研究を踏まえずになにかを述べることはむずかしくなっていることも事実です。たとえば本書では、平坂読の『僕は友達が少ない』(MF文庫J)を参照しながら、内面を重視する近代的主体性とはべつの人間像が生じていると述べられているのですが、それでは、大塚英志が自然主義文学の〈主体〉でさえも制度として構築されていたことを、現代のサブカルチャー批評の視座から明らかにしたことは、どのように理解すればよいのか、といった疑問がすぐさま思い浮かんできます。あるいは、本書ではももいろクローバーZのインタビューを引用しながら、彼女たちがみずから「キャラ」を演技しているということに注目しているのですが、本書の議論は、宇野常寛や濱野智史らがAKB48を論じる際に「アイドル」という空虚な形式のもとで現成する身体的な〈強度〉に注目しようとしていたことと、どのような関係にあるのかということも、気になります。

    わたくし自身が著者の注目する「残念」という新しい感性に対して感度が鈍いためなのかもしれませんが、本書の印象批評的な語り口には、肝心な部分がクリアにならないようなもどかしさを覚えてしまいました。

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著者プロフィール

ライター・評論家・マンガ原作者。1974年北海道生まれ。大学卒業後は、個人ニュースサイト「ムーノーローカル」を運営(1999年~2001年)しつつ、音楽業界・出版業界での会社勤務を経て、ライターとして執筆活動を開始。小説、マンガ、アニメ、音楽、映画、演劇、ネットなどについて幅広く評論する。著書に『僕たちのゲーム史』『一〇年代文化論』(共に星海社新書)、『キャラの思考法』(青土社)他多数。マンガ原作に『qtμt キューティーミューティー』(作画・ふみふみこ/スクウェア・エニックス)がある。

「2017年 『僕たちのインターネット史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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