- 本 ・本 (496ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061385849
作品紹介・あらすじ
【内容紹介】
「おたく」文化の萌芽は「二階」にあった
時は一九七八年。東京は新橋にひっそりと佇む、今はなきビルの「二階」に、その編集部はあった。そこに住み着くようにして働き始めたのは、まだ行くあてすら定かではなかった若者たち。のちに「おたく」文化の担い手として歴史に名を残すことになる彼らが集ったその「二階」は、胡散臭くもじつに「奇妙で幸福な場所」だった―。一九八〇年にアルバイトとして「二階」で編集者の道を歩み始め、八〇年代を通して巻き起こった、今日に至る「おたく」文化の萌芽とメディア産業の地殻変動の歴史を目撃してきた大塚英志がよみがえらせる、''あの,,時代の記憶。これは、第一級の「おたく」文化史料にして、極上の青春譚である。
感想・レビュー・書評
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『宇宙戦艦ヤマト』について調べるとき、つきまとうのはその時代だ。ヤマトという作品は、強くその時代に結びついている気がする。
もちろん、この本はヤマトに言及した本ではない。
しかし、ヤマトと遠い本でもない。
あの時代の、徳間書店の二階の住人たちの物語だ。
前半はかなりドンピシャでヤマトの時代が語られる。上映会にリスト、当時のアニメファンはどうであったのか?意外にも古典的作品をも網羅しており、その点には大きく驚く。
後半は『アニメージュ』へと切り込んでいく。
ここでもチラチラとヤマトは姿を現す。『ロマンアルバム』のまさかの裏側なども語られるのだが……
個人的には西崎プロデューサーの側面を記してくれたことに感謝したい。筆者が一度だけ会ったときの印象が書かれている。
ちなみに『アニメージュ』に対する考察と、当時を語る鈴木敏夫のインタビューはかなり面白い。いまこのようなことをできる編集長も、できるような現場もないような気がする。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
今や世界の公海となった「OTAKU」という大洋に流れ込んでいる「おたく」という大河の源流をさかのぼる旅。その水源地は東京新橋の雑居ビル「大徳第一ビル」の二階、徳間書店の第二編集局なのでありました。そこでは『テレビランド』『アニメージュ』、その増刊号、別冊枠で『リュウ』『ロマンアルバム』という雑誌が作られていました。コンプライアンスなどという考え方がなかった70年代から80年代、たまたまそこにいた雑多な人々の雑多な想いが「アニメを楽しむ文化」という伏流水を地表に噴出させていく様子を、その現場にいた大塚英志が、まるでオーラルヒストリーのように、だけど独り語りで思い出し思い出し記述していく備忘録です。そこには「メディアの怪人」徳間康快がいて、彼が買った「アサヒ芸能」出身の尾形英夫がいて、全共闘の心情的シンパの鈴木敏夫がいて、歴史書編集者から手塚治虫の「虫プロ」に入った校條学がいて、そしてそこに引きつけられるように自分たち固有の文化として「アニメ」に魅了された世代が「二階の住人」として集まってくる日々の記憶の断片が面白い!指摘として最初の「おたく」の特徴を「リスト」と「上映会」としていることも面白い!富野・安彦〈ガンダム〉と宮崎・高畑〈のちのジブリ〉の間での鈴木敏夫の転向・再転向が面白い!著者とほぼ同じタイムラインでアニメを見て、アニメから離れた自分としては、この「サブカルチャー私史」は非常に刺激的です。それにしてもこの思い出を連載させたジブリの「熱風」という小冊子は、氏家斉一郎の「昭和という時代を生きて」の時でも思いましたが、時代の記録を残す貴重な存在ですね。
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書き残さないといけないから、書いた。自分が書かないと、埋もれてしまうことがたくさんあるから。本の分厚さからも、それが伝わった。
政治の季節を卒業したインテリたちが子ども調査研究所やマーケティングに移っていくのがとても興味深かったし、今村太平という人も本書ではじめて知った。彼にとってディズニーやアメリカのアニメーションは「機械美」の芸術としてまずあって、キャラクターは機械のアレゴリーであり、そして何より機械化された芸術としてのハリウッド産アニメーションはアメリカニズムという美学の体現だったという理解は15年戦争下を通して今村たちの一貫した考えだったとか、ジブリ前史としてアニメに対するこういう見方があったことがわかる。
【戦後サブカルチャーの歴史に一つは徳間康快が関わった真善美社のような戦時下・戦後へとリンクするアヴァンギャルド芸術の系譜、もう一つは六〇年代安保と全共闘運動の一つの政治の季節を過ごした人々の存在がどうしても無視できない】はこの本の中心に位置する一文だ。
池田憲章の「ガンダムは最高だ。なぜならば」といって、最初に結論を持ってくる批評の仕方とか、宮崎勤の「リスト」づくりへの情熱と、そのリストの中途半端さ、散漫さ、彼の部屋の中のビデオテープが、テレビドラマやニュースやスポーツ番組をふくめ、不完全だったことの指摘とか、大塚氏は評論の素材に使った人物への責任の取り方が徹底している。
【結局「ロリコン」の語がアニメージュで公然化するのは、1982年4月号付録の「ロリコントランプ」である。パッケージは吾妻ひでおのプティアンジェ。19世紀イギリスを舞台としたアニメ「女王陛下のプティアンジェ」は、名作ものと、後の「セーラームーン」などの原型としての側面もあるアニメーションだが、「吾妻ひでお周辺の若者たち」の間でカルトな人気があった。「ふゅーじょんぷろだくと」の「ロリータ・美少女」特集でも「プティアンジュ」の小特集が掲載されている。】で取り上げられているアニメ「女王陛下のプティアンジェ」がとても気になる。観てみよう。 -
「おたく」は1983年に中森明夫によって名付けられたのをきっかけに一般に認知されていく訳だがその中森明夫が発見した、名付けられる前の「原おたく」とも言うべき「おたく」の始まりを、徳間書店第二編集部のアニメ専門誌「アニメージュ」の制作を中心にそこに集まってきて、去っていった人々を当時の誌面と関係者の証言を元に「そこ」にたまたま同席していた著者の視点から見た「私史」としての時代史。
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1980年代のアニメージュ創刊時を携わった若者の視点で振り返る。
2階の住人とは、徳間書店の二階にたむろした非社員の若者達のことだ。友人の紹介で入り、そのまま特派の編集者となる今では考えられないおおらかな時代。
アニメーションとそれを宣伝、批評するメディアの変遷を見ていくのだが、そこには当然それまでの社会や他のメディア、批評とつながっている。アニメージュとアサヒ芸能の関係なんて考えもしなかった。
ほんの30年前の話なのに、ビデオすらなかった頃のアニメ好きの涙ぐましい努力はすごい。好きなものを知りたい、それを誰かと共有する何かをしたいというオタク第一世代とはこういうものだったのかと感動する。
貴重な現代史の資料でありながら、読み物として格段に面白い。なんだか分からないまま、好きなものと関わってその世界をつくりながらそこで生きていく。とても読み応えのある青春物語だった。
アニメージュを深く知らない人でものめりこめる貴重な昭和の物語。 -
徳間書店、ビルの二階、「場」というものに迷いこんだ「おたく」第一世代と第二世代たちの話。日本のアニメーションがジブリと角川に分かれなていく時に居た人たち。1989年という大きな一年、昭和の終わる前後に確かになにかは終わり、「そこ」に居た子供は大人になってしまっていて、新しいなにかが始まる時に居た人々になった。日本のサブカルチャーやメディアミックスが海外では研究対象になり学部すらある今、資料としても読まれていくのだと思う。
著者プロフィール
大塚英志の作品





