イエスとその弟子: 聖書を読む (講談社現代新書 523)

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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061455238

感想・レビュー・書評

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  • イエスがエルサレムでやった「質問に質問で返す」という手法が「まず彼らがそれを解決したうえでなければ自分も答えない」(128頁)という論法であるならばアンデレとヨハネがヨルダン川辺でイエスに対して行ったのも(48頁)それと同じだったと考えてもいいだろう。

  •  著者はイエズス会司祭。カトリックの本である。キリストの生涯に寄り添いながら、新約聖書の言葉や場面を一つ一つ丁寧に解説していくので、聖書のダイジェストとしても読めるし、復習や勉強になる本だと思う。何より訳文が読みやすい。

    【キリストの教えは、要するに、神は父であるというこの同じことを、人間の言葉で人びとに告げるところにある】
     日本人じゃなくて、イギリスの人からこうバシッと言われると、そうなんだなと思ってしまう。
     あと、聖書で微妙な言い回しや例えが多いのはなぜだろう。あんなんで信者がついてくるのかと思っていたのだが【要するに、あまりあからまさに話すとイエス自身も危険だし、人びとにも有害だったからである】とのこと。たとえで話して、弟子にあとでゆっくり説明するという二段階作戦をとっていたのだ。
     また、いわゆる、やがて来る「世の終わり」については、【すぐ実現するかどうかは別として、そういう予測をもとに生きることこそ、キリスト教人生観の本質】であるという。その、いつくるかわからない終末という感覚のなかで、「自分があなたたちを愛したように、あなたたちも互いに愛しあいなさい」という気持ちで接し合うのがキリスト教徒なのだろう。

     あといつも思うのが、【神が罪びとを罰するのは、容易に理解できる。彼らの罪には正当な罰が必要であり、それを罰せずにおくのは不当というべきだろう。しかし、罪びとがその罪をよそにのうのうとしているのに、なぜ無実の者が苦しまねばならないのか? また、どうして無実の者の苦しみが、罪びとのしあわせになりうるのか?】は、よくある神に対する疑問だ。
     善良な人がよく不幸になって、悪人が栄えているのはどうしてなのか。著者の解答としては、【無実の者の死は、罪びとの救いというりっぱな実を結ぶのである】。つまり罪びとだけでなく、善人にも不幸が起こり、死んでいく理由……善人が死ぬことは、罪びとに反省と罪をより深く自覚する機会を与える。なので、無実な人間の死は、罪びとの救いに結びつき、それは無実の死の救いや幸福ともなる。
     無意味な死などはなく、その死は、人びとを救う、ということか。

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著者プロフィール

1925年ロンドン生まれ。54年オックスフォード大学卒業。上智大学名誉教授。カトリック神父でもある。著書に「変わり者の天国 イギリス』、『犬の生き方』(以上、秀英書房)、『信ずる心のすすめ道院の窓際から』、『明言は力なり、悪魔のセリフ』(以上、講談社)、『心の色さがし』(TBSブリタニカ)、『チャールズ皇太子の孤独』(同朋舎出版)、『お茶の巡礼』(河出書房新社)など多数。2017年逝去。

「2023年 『ネコの哲学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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