論文をどう書くか: 私の文章修業 (講談社現代新書 576)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (211ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061455764

感想・レビュー・書評

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  • *他人の意見の良い聞き手となり、他人の仕事の勘所を捕まえて適切な励ましを送れるようになれば、自分の立場もぐっと大きくなり、発想も豊かになるというものだ。
    *私にとって論文とは、自分で考えた一つの主張に対して、別のもう一つの立場、あるいはもう二つか三つの立場から批判検討を加えていくというつもりで書かれるものである。したがって最初に書いた主張が最後までまっすぐ貫かれるという保証はない。というより、最初からある主張がはっきり出てくるということは少なく、最初はむしろ。漠然とした疑問が提出されるだけであることが多い。あるいは、ある一つの感動や感銘、つまり内面的な経験が書かれるだけであることが多い。そして次に、その意味を求めて、さまざまな立場から検討を加えてみるのである。最初に書かれる主張・経験を導入部といえばいえるだろう。しかしそこからはまだ、結論はとても予想できない。胸ときめかせてとりかかる新鮮な問題であればあるほど、結論は予想できないのである。
    *解りきったことのつもりが、いざ厳密に正確に表現しようとするとけっこう解り切ってきないことに気づく。そこにいくらでも論文の材料がある。
    *言葉の意味をはっきりさせるということは論文を書くうえで第一に重要なことである。辞書に書いてあるように意味がはっきりとしているだけでは不足である。それ以上に、その言葉に自分はどういう感情をこめているかということを自覚する必要があると思う。
    *我々はただなんとなく、自分自身の内面に対して宛名のない文章を書くのではなく、特定のだれかを説得するという態度で書く機会を増やしたほうがいい。(福沢は蓮如の文章や歌舞伎から洗練された大衆的言葉を学んだ)

  • 僕が生まれる前に初版本が出ている新書です。
    いわゆる「書き方」の本ではなく,
    著者の,物書きとしてあるべき姿のようなものが,著者の経験をふまえた上で書かれています。
    あとがきにもあるように,書き方よりも生き方に少し重点が置かれていて,
    勉強するために読むというのではなく,単に楽しむためにも読める様なものになっています。
    著者の経験を見てみると,結局は,目標を立て,自分なりの方法で努力し続けるしかないんだなと感じました。

  • 自分をどう発見するか。
    他人にわかるということ。
    資料を集める、着想をどうふくらませるかは、よくある手。
    素人の参加が大事だとのことなので、書き方よりも内容だと思った。

  • 大学の論文執筆のようなものを期待していたが、違った。でも新鮮な感じはあった。
    新鮮な目でものを診るためには、自分がいったい何を求めているのかということをはっきりさせなければならない。
    他人の模倣によって、自分の考え方を磨くことができた。
    論文を書くということは、自分の考えをひとつひとつ文章にしながら、改めて、それに疑問をなげかけたり、反論をぶつけたり、異説を立てたりすることによって進むものだからである。だから、ある程度考えたうえで、小さな思考の結晶ができはじめたら、まずそれを書かなければならないのである。
    文章を上達させたい人は、まず文章を書いて、誰かに読んでもらうと良い。

  • obtnd.old

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著者プロフィール

1930年、新潟市生まれ。「映画評論」・「思想の科学」の編集にたずさわり、その後、映画評論家として活躍。日本映画学校校長を歴任。数多くの映画人を育てる。1996年に紫綬褒章を受章。アジアや中東の映画にも精通し、映画文化の世界的な貢献にも寄与。主な著書に、「日本映画史」(岩波書店)「黒澤明の世界」(朝日新聞社)「映画をどう見るか」(講談社)など多数。

「2009年 『意地の美学 時代劇映画大全』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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